第49話 大馬鹿
大きな鎌が振り上げられている。莉子の目の前の蜘蛛女の脚は、鋭く研ぎ澄まされ鋼鉄をも斬り裂くだろう。
蜘蛛の下半身に取り付けられたような人間の上半身に付いた口は、ニヤニヤと下卑た笑いを浮かべ続ける。
「のこのこと亡雫がやってくるとはな。見かけによらずバカなのか? 」
赤髪の男は妖怪を味方につけて余裕ぶっている。
莉子はどうしようもなくそれにイラついた。
「麗姫、先に殴っていい? 」
「構わん」
「“竜骨”」
「っ!? 」
男の眼前へと迫り、その顔面を殴りつける。嘉則は抵抗もできずにまともに食らったが、倒れることはなかった。
――馬鹿な……、見えなかった……。
想定を超える彼女の実力に、嘉則は冷や汗を垂らす。
空亡を封じれば、どうにでもなる。そんな油断に足元を掬われかけていた。
「私は、聖人と言えるほど心が清らかなわけじゃない」
莉子は侮蔑を込めた目で嘉則を見る。その眼光の鋭さに貫かれ、彼は一瞬だけだが怯んだ。
「悪行は見逃せないってほど、正義感に溢れた優等生でもない」
その背後から、女郎蜘蛛の脚が迫る。鎌のような脚による斬撃を、莉子は体を倒すようにしてかわし、振り向きざまに蜘蛛の腹を殴りつけた。
「がああああ! 痛いぃ! 」
衝撃で顔を歪ませながら、蜘蛛の体が転げ回っている。
「でもね……、あんたは」
莉子は再び嘉則を見る。さっきまでの目の中に怒りが混じっていた。
「私の特大地雷、的確に踏み抜いて行ったわ! 」
脳裏に浮かぶのは、少女の泣き顔だった。
――殺してやろうと思ったけど、できなくて……。
彼女達の無念を考えると、それだけで胸に剣が刺さったような痛みを覚えるのだ。
「お主、佳姫のことは覚えておるか? 」
次いで出てくるのは、九尾の頭領。着物の袖に両手を突っ込んで、ゆらゆらと尻尾を揺らしている。
「お前、なぜ生きている……! お前は……」
「覚えているかと聞いておる! 」
麗姫の怒声が嘉則を後ずさりさせる。彼は、空亡を除けば、日本でも最強クラスの妖怪の怒りを向けられていることを自覚した。
「あの時殺した死にかけの九尾か」
「そうか。覚えているか」
麗姫の9本の尻尾が逆立ち、足元から炎が上がる。女郎蜘蛛はそれに恐れて近寄ろうともしない。
「では、しかと思い知れ。これからお主の
炎は勢いを増していき、天まで届くほどの柱となる。
「そして妾と、何よりお主の犯した罪の代償であるとな! 」
彼女から発せられた灼熱の炎は、嘉則だけを狙いすましたように一直線に向かっていく。
何の予備動作もなく生み出されたその熱に、彼の身体は焼かれていった。
嘉則の絶叫が山にこだまする。
彼は自らに治癒術をかけるが、全てを回復できるようなダメージではない。重度の火傷が、その半身に残った。
「くっ、図に乗るな! 獣畜生の分際で! 」
莉子達の足元が盛り上がる。2人は危険を察知して、左右に飛び散った。
「女郎蜘蛛が2体……」
地中から現れたのは、2体目の女郎蜘蛛だ。姿形は生き写しのようで、ほとんど変わりはない。
「命を増やすとは、どうやったのかしらんが、大したものじゃな」
2体目の女郎蜘蛛は何も言わない。まるで喋る機能がついていないかのように静かである。
しかも、それだけではなかった。同じように次々と地中から同じ体と顔をした女郎蜘蛛が出てくる。
「なっ!? あんたどんだけ姉妹いるのよ! 」
流石の莉子も、この状況は想定していなかった。
16体の蜘蛛に囲まれるようにして、2人は見下ろされる。
「莉子ちゃん、気ぃつけて! こいつらは霊力を吸収できる! 霊術は通用せん! 」
今川が叫んで伝えた。拓真の治療は完了したようで、気絶したままではあるが致命傷になるような傷は塞がっている。
蜘蛛達は当然時と華にも迫っている。
彼女達は付けられた首輪によって力の大半を奪われながらも、嘉則の分身の周りを素早く飛び回って撹乱していた。
だが、女郎蜘蛛に対抗できる程の力は今は残されていない。
「まずい! ライコウ! 」
霊力を吸収されることを承知の上で、今川は蜘蛛達を止めにかかるが、霊力の塊であるライコウでは大した足止めも出来ない。
「おのれ! 邪魔じゃ! 」
麗姫と莉子の周りにも女郎蜘蛛が出現する。麗姫にとっては大した敵では無いが、道を塞がれては通ることが出来ない。
しかも、女郎蜘蛛はまだ増えている。蜘蛛の子のように地中から溢れてきてわ、彼女たちに群がっていく。
「何でもかんでも増やしすぎなのよ! 」
莉子も霊力を伴わない体術で敵を退治していくが、数が多すぎて間に合わない。
やがて、そのうち数体が時と華の至近距離に迫った。
「逃げろ! 2人とも! 」
そう叫ぶ麗姫だったが、囲まれている彼女達には脱出できない。
「時……! 」
華は時を背中にかばいながら、必死に守ろうとしている。女郎蜘蛛の鋭い脚が持ち上げられた。
「や、やめろ! 」
群がる蜘蛛を燃やしながら2人の元へ向かおうとする麗姫だが、新たに生み出された女郎蜘蛛達は、炎に焼かれても、身体を裂かれても、絶命するまで迫ってくる。
脚が振り下ろされる。時だけでも逃がそうと華は彼女のことを突き飛ばした。
華の細い体が引き裂かれる。刀のような刃で腰から完全に切断された。
「華あああ! 」
遠くから聞こえる絶叫の中、時は切り離された双子の姉の半身を揺する。
「お、ねぇちゃん」
母を奪われてから、感情表現が無くなった彼女の目から大粒の雫が零れ、華の顔を濡らす。
「と、き……やっと、元にもど、たね」
たどたどしい口調で答えようとする華の呼吸は、すきま風のような音を立てるばかりで、その命を永らえさせるに及ばない。
「やだ! やだ! 起きてよ、お姉ちゃん! 」
時にとって、久々に出す大声だった。喉がちぎれそうになりながらも、彼女はそれを止めない。
麗姫は呆然と、その光景を見ていた。抜け殻のような目で、一点を見つめる。
あの傷、しかも華の生命力では他者からの治癒術では治らない。しかし、今の彼女は妖力を行使できない。
「諦めが早すぎだ! そいつは妖怪だろ!? 首輪の術者を殺せばまだ助かる! 」
全員の意識を華から目の前の敵へと戻したのは、空亡の声だった。
「時間かかりすぎよ! 」
霧が絵を描いたように、徐々に肉体が現れる。
「ば、馬鹿な! なぜ出てこれる! 式神は術者の権限なしでは……」
「今日は驚きっぱなしね、あんた」
莉子は小馬鹿にしたように男を嘲笑う。
「私達は契約を更新したのよ。互いに一切の条件を設定せず、空亡は自由に出てこれるようにね」
「妖怪と、そ、そんな契約をする人間が……! 」
妖怪との式神契約にはリスクが伴う。なので、妖怪と人間が契約を結ぶ場合に、式神に対する束縛を解くことはまずありえない。
そう、常識の範囲内に属する人間であれば。
「私は式神のことなんてよく知りもしなかったからね。常識なんて分からないわ。ただ、こっちの方が便利だったからこうしただけ」
嘉則は空いた口が塞がらなかった。
莉子は、もう1人の空亡に騙され、それで母親を失ったはずだ。
にも関わらず妖怪をここまで信頼するとは、彼の想像の範囲外であった。
「私はね、自分でも理解できるくらいの大馬鹿なのよ。あんなに妖怪に酷く騙されたのに、こいつのことは、頼もしくてたまらないわ」
空亡合掌し、妖力が高まる。
「さぁ、第2ラウンドだ」
妖力が高まり、弾ける。
「――“常世迦具土”」
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