第47話 惚れた弱み

 生臭い匂いが辺り一面を支配している。興亡派の雑兵達が垂れ流した血液は、血で川を作り出していた。


 西郷と今川によって瞬く間に制圧されたその場を見ても、男は動揺を見せない。


「存外にやるものだな、現代の討魔師たちも」


 彼はひとつひとつの言葉を確かめるように、ゆっくり丁寧に発音する。

 それが、余計に不気味であった。


「誰なんだよ、てめぇは。興亡派のリストでは見なかった顔だ」


 西郷は脳内で興亡派のリストを検索する。強力な霊術者は顔写真付きでマークされている。

 討魔庁から隠れている人間なのか、あるいは新入りか。


「こんだけやらても何の反応もせぇへんし、気味が悪いわ」


 今川のすぐ隣にはライコウが大太刀を持って控えている。

 一振りで5、6人は斬ることができるであろうその太刀は、言いようもない圧力を放っていた。


「そこの男、お前は俺のことを良く知っているはずだ」

「なに? 」


 西郷には心当たりがなかった。目立つ容姿をしている男である。1目見れば忘れないはずだ。


「“影刺し”」


 西郷の足元から影が伸びる。それは黒い槍となって、彼の心臓を貫こうとしていた。

 すんでのところでそれを回避したが、彼の顔には驚きの色が見える。


「今のは西郷家の術……なんでお前が使える! 」


 影を使っての実体を持った幻術、それは西郷家に代々伝わる秘術である。西郷の血を引くものにしか扱えない術を、なぜ目の前の男は使えるのか。


「西郷 嘉則よしのり。俺の名だ」


 西郷拓真は戦慄した。男の名が自分と同じ西郷家だった、ということだけではない。

 嘉則、その名は西郷家の者であれば誰もが耳にしたことがある。


 今から500年ほど前の、西郷家当主。それが西郷嘉則であった。

 1人で龍をも退治したと伝わる伝説の術師の1人である。


「同姓同名ってやつか? 」

「いいや、正真正銘の西郷嘉則だよ」


 嘉則は当然ながら現代には生きていない。

 拓真には、嘉則の言った言葉が信じられなかった。


「“千夜影狼”」


 千夜影狼は西郷家秘伝の切り札である。

 実体のある分身を生み出すこの術だが、難易度が高く拓真には6人が限界であった。


「な、なんだこの数は!? 」

「これ、西郷はんの……!? 」


 しかし男が生み出した分身は、50を超えていた。

 圧倒的な霊力量とその出力がなせるわざである。


「どうだ? 伝説の通りだろう」


 西郷嘉則は、千夜影狼によって数十、数百の分身を作り出すことができたという。

 今、男がやったことは伝説で伝え聞いた話と同じであった。


「女郎蜘蛛、来い」


 地中から何かが迫ってくる。そう察知した今川と拓真は、大きく飛び退いた。


 地面を破って現れたのは、巨大な蜘蛛の妖怪。女の上半身から、蜘蛛の下半身が生えている。


「ひゃははははははは! 良い男がいるじゃないの! こいつも食べて良いの? 嘉則」

「ああ、構わんぞ」

「妖怪だと!? 」

「しかも、かなり強いで! こいつ! 」


 耳まで裂けた口を開きながら蜘蛛は笑う。

 強大な妖力を感じる。


「“万世一斬”! 」


 先に動いたのは今川だった。ライコウの太刀に霊力を纏わせて蜘蛛の頭目掛けて振り下ろす。

 その衝撃だけで、嘉則が生み出した分身が10体ほど消えた。


 しかし――


「美味しそうな霊力ね! 」


 ――ライコウの振り下ろした太刀は、女郎蜘蛛に当たることは無かった。

 纏わせた霊力が一瞬にして消滅し、ライコウ本体も霧散していく。


「あいつ、霊力を食ってるのか!? 」


 蜘蛛はライコウの力を妖力へと変換していく。


「女は好きじゃないのよ! 」


 女郎蜘蛛の剣のように鋭い脚が、今川に向かって突き立てられる。


 拓真が彼女を突き飛ばしたことで、その脚が心臓を貫くことは無かった。


「西郷はん……! 」


 だが、かわりに西郷の左腕を掠めたようで、彼の腕からは血が垂れる。


 彼らの周囲には嘉則の分身。

 そして、霊力を無効化する強大な妖怪。


 状況は最悪と言って良かった。


「今川、お前は逃げろ……」

「なに言うてるん!? 1人で勝てるわけないやろ! 」


 西郷はじっ、と敵を見つめている。その顔からは不退転の覚悟が見て取れた。


「あの蜘蛛女には霊力が効かない。霊力の塊であるライコウとは相性が悪すぎる」


 今川は式神術の使い手である。相手があの蜘蛛でなければ、遅れをとることは無かっただろう。


 だが、あまりにも相性が悪すぎた。



「で、でも、それじゃ……」


 西郷は死ぬつもりだ、と彼女は直感的に思った。

 彼は仲間を守るためなら自分の身を顧みない。そういう男である。


「なぁ、頼む。お前には、死んでほしくないんや」


 諦めたような表情をしていた。

 今際の際に、せめて1人でも救おうと考えた結果が、彼の出した結論である。


「頼む。生きてくれ」


 その顔を見て、今川は反論することも出来なくなった。

 彼女は強く歯を食いしばって、彼に背を向ける。


「助け呼んでくるから、死なんで待っててな。もし勝手に死んだら、うち……西郷はんのこと追いかけていくから」


 彼女は走り出した。女郎蜘蛛も嘉則の分身も、後を追ってくる気配はない。


 彼らにとって、莉子達がここに来るのは好都合であった。


「自分の命と引き換えに女を逃がすか。純情的だな」


 鎖鎌を構え、拓真はニヤリと笑う。


「――惚れた女や、当たり前やろ」


 彼に向かって一斉に、分身と女郎蜘蛛が飛びかかった。

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