第44話 大病

 九尾の頭領、麗姫はブロンズ髪の女を静かに見据えていた。

 大妖怪の殺気を向けられた女は、大蛇の背後にいてなお、怯えている。


 ――妾の罪、今こそ贖わねば。








「食事の支度なんぞするな。次は妾に申せ、良いな? 佳姫よしひめ


 布団の上に、頬の痩けた九尾狐が横たわっている。

 やつれた姿ではあるが、健康な状態であれば絶世の美女であろうことは伺い知れる。


 彼女は体を起こして、荒れた髪を撫でながら寂しく笑った。


「ごめんね麗姫。久しぶりに料理したくなっちゃって」


 佳姫が病に倒れてより数年の時が流れた。妖怪の永い寿命の中では一瞬の時間である。

 だが、彼女の肉体はその一瞬を生きていることすら奇跡といえる程、深く病に侵されていた。


「料理など、元気になったらいくらでもできるであろう」


 麗姫は毎日のように佳姫の家に通いつめては、彼女の代わりに家事を行ったり、幼い子供の面倒を見たりと、甲斐甲斐しく尽くしていた。


 幼年期より親友と認める間柄であったから、日に日に弱っていく彼女の姿を見ては、麗姫は酷く落ち込んでいる。


「……麗姫。私が死んだらあの子達をお願いね」

「……っ! 何を申す! 弱気なことを言うでない! 」


 口では佳姫を励ます彼女も、黄金色の耳が垂れている。頭では、2人ともよく理解できていた。佳姫の命は長くないと。


「いいのよ、もう十分生きたもの。でも、時と華が大きくなるのを見れないのは、少し残念かな」


 彼女の視線の先には、縁側で眠る双子の姿があった。

 茶と銀の髪が溶け合うように、寄り添って眠っている。


「お主は九尾の里で妾につぐ実力者じゃ! 病になど、負けるはずがなかろう! 」

「いいのよ、もう。せめて、残された僅かな時間をあの子たちと過ごせれば、それで」


 開けた戸から爽やかな春風が吹き込んでくる。


 簡単な諦めという感情ではなく、満足したような表情をする佳姫の横顔を、麗姫は直視することができなかった。


「妾が、妾が必ずお主の病を治す術を見つけてみせる! だから、もう少し辛抱せよ……! 」





 それから2、3ヶ月が経過した。

 佳姫の病を治す手段は、未だ見つからず。


「なぜじゃ……妾の治癒術でも、他の部族の頭領でも治せぬとは。亡雫も効果は無かった……どうすれば…… 」


 麗姫は自室で1人頭を抱える。


 佳姫に残された時間は、もう多くない。

 彼女は強い焦りに束縛されていた。


 その焦りが、彼女の判断力を奪っていたことを、彼女自身も気付いてはいなかった。



「佳姫の病を、治せる……? 」

「はい。諸国を旅するおり、万病を治す秘術を会得したのです。我らが同族の役に立てれば、と思い参上致しました」


 頭には狐耳、背中には9本の尾が揺れる。

 誰かが化けている様子もなく、彼らは同族であると麗姫は判断した。


 平時の彼女であれば、このような怪しい輩に心を許すことは無かっただろう。

 しかし、目に濃い隈を作って心身が弱った彼女はこの甘い匂いのする藁にすがってしまった。


 ――これで、これで佳姫が治る……!


 その日、彼女は久しぶりに寝床で寝た。



 それから数日立ったある日のこと。


「麗姫様! 佳姫様の邸宅に人間が現れ、麗姫様を呼べと暴れております。幼子が人質に取られ、我らではどうすることも……」


 九尾の男が大風に吹かれるようにして彼女の家に駆け込んできた。


 強い胸騒ぎを覚えた麗姫は、急いで家を出た。

 ちょうど、強く雨が降り始めている。





「お主ら、なんのつもりだ! 佳姫はどうした……! 」


 時と華を人質に取った人間の集団が、同族を相手に暴れていた。

 時と華の首には、怪しげな紋章が刻まれた首輪がはめられている。


 中心にいる赤髪の男が、何かを投げる。


 ボールのようにころころと転がるそれを、麗姫は見た。


「……佳姫? 」


 やつれていても、なお美しいその顔。黒い髪と耳。

 彼女の親友の頭部である。


 虚ろで生気の無い両目と、麗姫の目が合った。


「佳姫ぇぇぇぇぇぇぇぇ!!! 」


 倒れるようにして首を抱き込み、麗姫は治癒術を試みる。

 当然、既に死んでいる者には効果などない。


「佳姫、起きよ……妾が、治してやるから……ほれ、起きよ……」


 滝のように流れる涙にも構わず、彼女は妖力を注ぎ込む。

 低い声で赤髪の男が言う。


「このガキ共を殺されたくなければ、言う通りにしろ」


 麗姫はこの世のものとは思えぬ怒気を込めた目で、男たちを睨みつけた。


「お主ら、どこから……」

「お前が入れてくれたんじゃないか」


 彼女の心臓が早鐘を打った。


 心当たりは1つ。普段は外からの客など里に入れない彼女が、唯一招き入れた同族。


「ば、馬鹿な……幻惑術などかかっては……」

「俺の幻惑術を見抜けるものなど存在しない。たとえ大妖怪であろうともな」


 歯をカチカチと鳴らし、彼女は自らの行動を振り返り、そして後悔した。

 時間を戻せるのであれば、数日前の自分を殴り殺してやりたいと思えるほど、自分自身に強い憎しみを覚える。


 ――せめて、残された僅かな時間をあの子達と過ごせれば。


 脳裏に佳姫の言葉が蘇る。


 ――奪った、妾が、佳姫の貴重な残された時間を……。


 佳姫の目が彼女を見る。もう生きてはいないはずのその頭から、声が聞こえたような気がした。


『お前のせいで……』


 絶叫が鳴り響いた。降る雨もその声をかき消すことはできない。


「ごめんなさい……ごめんなさい……! ごめんなさい……」


 彼女はうわ言のように謝罪を呟き続けた。







 あの日の雨のように、ぽつぽつと火の粉が舞っている。

 次第に激しく、そして大きくなるそれはやがて火炎となって森を焼いた。


「葵! 離れて! 」


 莉子の言葉に弾かれたように葵は僧衣の男たちから離れる。

 その1秒あとのことであった。


 男達の体は発火し、焔に包まれる。

 絶叫と悲鳴が轟く中、麗姫は女から目をそらさない。



「……殺してやる!! 」

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