第43話 怪物

 生臭い匂いが鼻を刺激してくる。

 眼前にまで迫った巨大な蛇の怪物に、私達は一様に息を飲んだ。


 八本の首、八本の尾、首を持ち上げる度に見える腹は血にただれている。


八岐大蛇やまたのおろち……!? どこからこんな奴を……!」


 空亡が動揺を隠そうともせずに焦りを見せる。


「八岐大蛇って神話の生物じゃない! なんでここにいるのよ! 」

「分からん。だが、幸運なことに完全体じゃない。本来だったら奴の大きさはこんなものじゃないはず。戦うなら今しかないぞ」


 そうでなくとも、あいつの腹の中にはキャシーがいる。戦わない理由は無かった。


 大蛇は山を襲っている。九尾の妖力を求めているのだろうか。

 それならば、時と華もこの場にいた方が良いだろう。


 空亡がいるここが、世界で最も安全な場所だ。


「時ちゃん、華ちゃん。あまり近づきすぎないで」

「は、はい! 」


 九尾達が張った結界を破壊しようと、大蛇は暴れ続ける。

 その8つの頭の1つに、人影があった。


美作みまさかさん! やっぱり、九尾の頭領は空亡に殺されたようです! 」

「あらそう。妖力反応が消えたからもしやと思ったけど、意外と呆気なかったわね」


 僧衣を纏った男が数十人と、赤い派手なドレスを着た化粧の来い女。ブロンズの髪を靡かせながら、大蛇の頭の上に立っていた。


「リコちゃん。多分あいつらが大蛇を使役してる。きっとあの男の仲間だよ」

「じゃあ、あいつらごと叩けば解決ね! みんな、準備は良い? 」


 私達は大蛇の元へと飛ぶ。時と華は、近すぎず、されど遠すぎない場所で待機して貰うことにした。


「あんた達! あの気色悪い髪色した男の仲間でしょ! 」


 女はこちらを振り向いた。


「あらあら、亡雫ちゃんと、空亡くんじゃなーい。わざわざ食べられに来たの? 」


 周囲を囲む男達も臨戦態勢を整える。

 私は葵に露払いを依頼した。


「葵、周りの男達の片付け頼める? 」

「わかった。リコちゃんも気をつけてね」


 女は男どもに合図をだし、彼らは葵と共に場を離れた。


「じゃあ死んでもらおうかしら。大蛇! 」


 彼女が立っている頭が、口を開き火炎を打ち出す。

 私達の数メートル先までそれは迫っていた。


「危な! 」


 私は隣にいる空亡を掴むと、自分の前に放り出して盾にする。


「がああああ! 」


 空亡は火にあぶられ、苦悶の声を上げた。ダメージは回復しても、痛みは感じるようだ。


「っ!? 仲間を盾に!? 」


 つい先刻まで笑っていた女の顔が、驚愕の色に染まる。

 突如として自らの式神を盾に使った私に驚いているのか。


「大丈夫よ。空亡はこれくらいじゃ死なないわ」

「そ、そういう問題なの……? もっと、仲間に対する思いやりとかはないわけ? 」


 存外、人間らしい倫理観を持った女であるようだ。だからこそ、2人の幼子の母親を奪った罪を許すことはできない。


「おいおい、そんな薄い感情論で俺たちの関係性を語るなよ? 」


 空亡は皮膚組織を再生させながらも、強気な態度は決して崩さない。


「俺は式神で、莉子は俺の主人。俺は盾であり、矛であり、莉子の所有物。そしては、俺の推しだぜ」


 彼は口が裂けんばかりの満面の笑みで女の疑問に答える。


 そう、こいつはリコの、所有物だ。


「推しの役に立てれば俺はなぁ、最高の気分で生活できるんだよぉ!! 」


 傷を治した空亡が大蛇に特攻する。

 彼はその横顔にパンチを食らわせ、大きな頭は衝撃で飛び跳ねた。


 女は大蛇から降りて、レイピアを霊術で取り出した。


「チッ! イカれた野郎が……! 大蛇! 」


 しかし、大蛇の首は8つある。残りの7つが空亡を食おうと、口腔を広げた。


「“竜骨”! 」


 私は霊力を宿らせた拳骨で首を1つ吹き飛ばしてみせる。


 動揺したのか残りの首も一旦私達と距離を取った。

 吹き飛ばした首が徐々に再生していく。


「馬鹿な! 八岐大蛇に再生能力など……! 」


 空亡の言葉に女は高笑いを始めた。けたたましく、何とも愉快そうに。


「“大蛇”は八岐大蛇じゃないわよ! 」


 ――八岐大蛇じゃない……!?


 八本の首、八本の尾。教養のない私でも知っている伝説の怪物だ。

 他にそのような生物などいない。


「大蛇は、配合させて造った人口妖怪よ! 」


 ヒュドラ、ゲームや漫画でもよく見る名前だ。ギリシア神話に出てくる怪物だったはずだが、そいつの遺伝子と八岐大蛇の配合生物?


 両者ともに実在していたことにも驚きだが、それを掛け合わせたということは、両者の能力を併せ持っているということか。


 大蛇の首のうち、1つが口を開いた。

 また私達を食おうとしてくるのか、と身構えたが大蛇の攻撃はその予想を上回った。


「これは、毒……!? 」


 奴の発したブレスを吸い込んだ途端、全身に力が入らなくなる。手も足も痺れて思うように動かない。


「くっそ……! 」


 それは空亡も同じようだ。大妖怪にも効果がある程の猛毒である。


 私達は空から地面に落ち、膝をつく。


「さぁ、これで終わりよ。おバカさん達」


 大蛇の口が迫る中、空亡は不敵に笑う。


「毒霧か。だったら、燃やしちまえば良い」


 次の瞬間、彼の身体が発火し瞬く間にその温度を増していった。


「そろそろ体力も戻っただろ。出てこい! ! 」


 圧倒的な熱量。圧倒的な爆炎がその場を支配する。

 大蛇の首を焼き落としながら、金色の髪を風に揺らして彼女は現れた。


「馬鹿な……お前は……死んだはず……!? 」




「良く寝れた、感謝するぞ空亡」


 その内に眠る力を全開にしながら、麗姫が地に降り立った。


 輝く双眸を女の方に向けながら、その殺意を隠そうともせず、彼女は手に持っていた煙管を握りつぶす。


「狐の祟り、とくと馳走してやろう……」

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