第32話 開戦

 私は治癒術を苦手としていた。

 他の術は概ねマスターできたが、これだけは未だに慣れることはない。


 とりわけ、他者に対する治癒術は難易度が高い。霊術師の中でも、それを使いこなせるのは熟達の者だけだ。


「治れ! 治れ! 」

「ごめん莉子……僕も他者への治癒術は……」


 必死に葵の傷を癒そうとするが、なんの効果もない。

 彼女の血液は未だに流れ続けている。


 キャシーにも、治癒術は使えない。


「リコちゃん……平気……すぐ、治すから……」


 消え入りそうな声で葵は言った。


「治すって、そんな状態じゃ……! 」


 術の行使には高い集中力が必要だ。

 大怪我を負っている状態では意識を保つこともやっと。激痛で力の行使などままならないだろう。


「……」


 やがて、葵は呻き声も出さなくなった。


「葵……! ダメ、ダメよ! 死んだらもう私のライブ観れないのよ!? 」


 身体を揺すって必死に問いかけるが、返事は無い。

 暖かった血も今は時間と共に冷たくなっていく。


「ちょっと……嘘でしょ……? ねぇ! 起きて! 写真でも動画でもいくらでも撮って良いから、起きてよ! 」


 視界がぼやける。


 またか。また、私を守って人が死ぬ。

 私が巻き込んだから、葵は死ぬ。


「嫌、嫌だ……。死なないで……もっと、仲良くなれると思ってたのに……」






「あー! 死ぬかと思ったぁ! 」

「え? 」


 跳ねるようにして彼女は起き上がった。

 先程まで死にかけていた葵は、怪我をする前と変わらぬ様子で明るく元気である。


「あの片目隠し男……次会ったら絶対殴……あれ? リコちゃん!? なんで泣いてるの!? 」


 せわしなく感情を変化させる彼女に、私は呆気に取られていたが、彼女の手が私を揺すってきたことで我に返った。


「あ、葵……生きてるの? 」

「え? あぁ、これね。私達はどんな状況でも治癒術かけられるように訓練してるからね」


 よいしょ、と軽い掛け声と共に彼女は腹部に刺さっていた矢を抜いた。


「ぎゃあああ!! 痛ってぇぇぇぇ!」


 矢を引き抜いたことによる痛みで叫ぶ彼女に、思わず笑がこぼれる。


「良かった……死んじゃうかと思った」


 痛い痛いと転げ回っていた葵は、私の言葉を聞き漏らさなかった。

 這うような動きで即座に詰め寄ってきて、目に涙を貯めながら喜んでいる。


「それって……私を心配してくれたってこと……!? 」

「そ、そうだけど」

「ああああああ!光栄ですううう!」


 とりあえず、死にそうにはないので安心した。




 私が心を落ち着けたのも束の間、別の来客が訪れる。


「はぁっ、はぁっ、葵!? それから……莉子か」

「あぁ……最悪の展開やぁ……」


 声のする方を見ると、2人の男女がたっている。

 2人とも息を切らしている様子から、走ってここまでやってきたのだと推測できた。


「莉子……多分、葵の同僚だよ」

キャシーが肩から2人の方を警戒していた。


 男は手に鎖鎌を持ち、金色に染めた髪をワックスで逆立てている。おそらく祓魔師だ。


 女は錫杖を両手に持っていた。膝まである長く滑らかな黒髪に、優しそうな糸目が特徴的である。こちらは服装から察するに巫女であろうか。


「拓真くんと、明菜ちゃん……」


 討魔庁から新たに派遣されたという2人。

 さらに、私達の味方ではない。


「あの赤髪の男追ってきたら、なんだ? お前らグルなのか? 」


 赤髪という特徴から推測できる人物は、先程私達を襲った男だ。


――あいつ、2人をおびき寄せて共倒れさせようとして……?


「あんたら、あいつを追ってきたの!? だったら私達もそいつと……」


「まぁ、どっちでも良い。見つけちまったもんはしょうがねぇ。四条莉子、お前を確保する。それが最優先事項だ」


 私が共闘を持ちかけるより早く、彼は武器を構えた。


「ちょっと、西郷はん……」

「黙ってろ、これも任務だ」


 私の前に葵が出る。


「リコちゃんに手を出すって言うなら……いくら2人でも手加減できないよ。……一応聞くけど、2人が追ってきた赤髪の男、そいつと戦うのに協力してくれたりする? 」

「無理だ」


 男は即答した。


「じゃあ、しょうがないね。逃げて、リコちゃん」

「待って……葵」


 こいつらは、完全に戦う気だ。

 同じ部隊に属する仲間であるにも関わらず、私のせいで、殺し合いをする。


 ――そんなの、真っ平御免だ。


 女の方は戦意が薄い。でも、このまま2人同時に戦うことになれば、男の方を見捨てて戦闘放棄などできないだろう。


 それに、見たところあの2人はバディを組んでいる。連携されれば厄介だ。


 ならば。


「葵。女の方をどこか離れた場所まで誘導して、そこで戦いながら説得して」


 相手はきっと私を舐めている。葵と女がその場を離れても、私を倒してすぐに合流できると判断するはずだ。


「で、でもそれじゃあリコちゃんが」


 彼女は私の身を心配している。

 しかし、“その点”において心配は不要だ。


「大丈夫よ。男の方も殺さずに説得する」

「な、何言ってるの!? 相手はプロの祓魔師だよ!? 」


 引き留めようとする彼女を制し、私は彼女より1歩前に出る。


「私を誰だと思ってるの? あの“四条紗奈”の娘よ? 」


 まだ彼女は私の力を見たことはない。空亡がいない今、私ではあの男に勝てないと思っている。


 だが、それは間違いだ。


「ね? お願い、約束でしょ。あなたの仲間は絶対助ける」


 彼女は唇を固く結んだ後、覚悟を決めたように女へ飛びかかった。


「“針籠はりかご”! 」

「っ! 」


 葵の術を避ける女。女の後ろにあった木が、爆散して倒れた。


「こっちだよ! 明菜ちゃん! 」

「明菜! すぐに合流する! 死なずに耐えてろ! 」

「分かった! 気ぃつけてな、西郷はん! 」


 葵を追って離れる女。おそらくあいつが明菜か。


「キャシー、あなたは赤髪の男の匂いを追って。多分、麗姫の方も訳ありだと思うんだ」

「分かった。……莉子、手加減を忘れずにね? 」


 キャシーは機敏な猫の姿のまま赤髪の方を追いかけ、消えていく。


「あなたが西郷拓真ね? 葵の友達らしいから手を抜いてあげる。さっさと来なさい」


 私の言葉に西郷は気を悪くしたのか、眉間にシワを寄せる。


「お前、舐めてんのか? 」

「舐めてるのはそっちでしょ。いいからさっさとして。時間が惜しいの」


 プチプチと血管が切れる音が聞こてきそうなほど、彼の顔は怒りに満ちている。


「っ! ははっ、いいぜ。美人アイドルだって言うから優しくしてやろうと思ったが、ちょっと痛い目見せてやるよ……」


 西郷は煙のように私の前から消える。


 首に、 冷たい刃物が迫る感覚があった。

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