第17話 妖の巫女
妖怪の身体を破って現れた化け猫。
私は、その子をよく知っていた。
「キャシー……? 」
見間違えるはずもない。
尻尾が三又になろうと、身体が大きくなろうと、私にはキャシーの顔が分かる。
口に咥えていた地羅を、地面に優しく置いて、キャシーは周りにいる妖を睨みつけた。
「莉子から離れろ……意思も持たない家畜どもが! 」
キャシーがそう叫んだと思ったのも束の間、まず、私の腕を掴んでいた鬼の喉元から血しぶきが上がった。
次々に蹂躙されていく妖怪達。
「こいつ、あの猫か!? 」
空亡も困惑しながらではあるが、共に戦っていた。
キャシーは凄まじい速度で妖怪の喉を爪で引き裂き、頭を噛み砕き、身体を踏みつけた。
やがて付近にいた化け物達が殲滅されるまで、そう時間はかからなかった。
「沙羅! 沙羅! 」
「うぅ……」
どうやら沙羅の方は気を失っているだけのようだ。外傷も無い。
「莉子、大丈夫かい? 」
声変わりを前にした少年のような、あどけない声が、キャシーの口から発せられていた。
「キャシー、だよね? その姿……」
「君の血が、僕を変えてくれたんだ。莉子を守れるようになったんだよ」
「もしかして、デパートの時の? 」
あの時にキャシーに舐められた血が、この子を妖怪へと変えたのだろうか。
「お前は亡雫だ。それも、多分その中でも更に特殊だ。原理はよくわからんがな」
返り血に染まった空亡がこちらを見下ろす。
「あ、助けてくれてありがとうね。悪い方の空亡、では無いんでしょ? 」
「妖怪に良い、悪いというのがあるのか分からんが、少なくとも
恐らく、青目の空亡は“空亡”に関する情報をあべこべに伝えていた。
危険なのは最初に会った方だ。仮に両方の空亡が悪心を持っていたとしても、赤目の空亡は私達を守りながら戦った。それは事実だ。
「そ、そうだ! ねぇ、お母さんを助けて! 」
母は今、空亡と戦っている。あっちは妖力を持っていて、力は強大だ。
いくら何でも1対1では分が悪い。
「そうしてやりたいのは山々だが、生憎、今の俺じゃ足でまといだ。そこの化け猫の方が役に立ちそうだが、どうやらガス欠らしい」
「ガス欠? あれ!? キャシー!? 」
キャシーを見ると、先程までの巨体と強者の雰囲気はどこへやら、身体は元のサイズに戻り、尻尾も何の変哲もない。
ただの猫に戻っていた。
「ごめん莉子……まだ妖力に適応しきれてないみたいだ……」
万事休す、とはこの事か。
私は母を救い出す手立てを、脳を焼き切らすほど高速で回転させながら考えた。
「おやおや、赤目よぉ。随分と弱々しくなっちまったな」
酷く音が割れたような、聞き取りにくい声だった。
下半身が大きなアシダカグモの身体をした男が、そこにいた。説明を受けずとも分かる。
妖怪であった。
「
母から聞いた話がある。
妖怪は基本的には理性が高く、姿が人間に近いほど力が強くなる。
言葉を喋れないような妖怪は、自分のような巫女にとっては大した脅威では無いと。
しかし、人語を理解できる妖怪は、並の巫女では太刀打ちできない。
また、空亡のような姿が人間の形であれば、それは“大妖怪”。最強として知られる母でも手を焼くレベルだ。
この蜘蛛男は言葉を喋った。しかも、上半身だけ見れば人間の形をしており、かなり力の強い妖怪であろう。
空亡が万全であれは、彼の敵ではないだろうが、今の状態では歯が立たないかもしれない。
「もう1200年前だよなぁあれは。よくもやってくれた」
「まだそんな昔のことを覚えてるのか? 粘着質な男は嫌われるぞ? 」
そう煽りを飛ばす空亡の顔にも冷や汗が垂れる。
「ここで死ぬ奴が、他人の性格なんか気にしてる場合かぁ! 」
槍のように尖った足が、空亡に向かって突き立てられる。
空亡は腕でガードしたが、衝撃までは殺せない。
彼の体は、物凄い勢いで木に叩きつけられた。
「空亡! 」
「ぐっ! クソッ、こんな時じゃなければ」
駆け寄って見ると、あの足で貫かれたのか、両腕に穴が空いている。
「さぁ、どう殺してくれようかな……亡雫以外は殺してもいいらしいからな。その寝てる可愛い嬢ちゃんも、美味しく食べてやるぜ」
下卑た笑みを浮かべながら、蜘蛛男はこちらに近寄る。
――どうすれば、このままじゃ全員……
私は必死に頭を回す。
記憶を探って、何かこの場を打破できる知識はないかと、頭の中をまさぐった。
――莉子、霊力を持った人間は、妖怪と式神契約を結べるのよ。
探して探して、掴んだ。
お母さんが教えてくれた、知識。
「空亡! 貴方、死にたくないでしょ!? 」
私は彼の身体を激しく揺すって、問いかける。
「何を当たり前のことを……」
「だったら、私の式神になって! 」
式神契約には、妖怪と人間、両者の合意が必要だ。逆に言えばそれ以外に、特別な手順はいらない。
幸い蜘蛛男は慢心して、その歩みは緩慢だ。
「俺にお前の手下になれって言うのか! 」
「このままじゃ、貴方も私達も殺される! 私の式神になるか、あの蜘蛛男にボロボロにされて、青目の空亡の胃袋に収まるか、どっちがいいの! 」
そうだ。このままではみんな死ぬ。
私にも、空亡にも、選択肢は無い。
「お前、妖怪の式神になるってどういう事か、分かってるのか? 」
妖怪の式神となれば、その身体は妖と同一となる。
私は人では無くなる。妖となるのだ。
「私が貴方の“巫女”になる。だから、貴方も私の武器になって」
式神契約を結んだ妖怪は、使役者の霊力を糧として妖力に変換できる。
私が、空亡の妖力バッテリーになれれば……
「空亡、私のお願いを聞いて……」
妖怪は決して信用出来ない。先程騙されたばかりだ。
なのに、私はこの妖怪に、賭けようとしている。
本当に……
「最強の妖怪を矛にしようって? さっき騙せれたばかりだろ。お前、本当に……」
「馬鹿な奴だ」
――馬鹿な奴だ。
「でも、いいぜ。気に入った」
空亡は拳を突き出す。
「俺の力、お前に全部やるよ。“主”」
賭けは、成功した。
「契約、成立ね」
突き出された拳に、私の拳を当てる。
今ここに、契りは結ばれた。
最強の妖怪は人間の式神となり、
私は、『妖の巫女』になった。
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