第15話 空亡と空亡

 私が四条家に来てから3年が経ったある日のこと。



 ――これは、夢?


 前に見た、あの景色。


 森の中に、ぽっかりと穴が空いた広い空間。


 その中心にある壊れかけた小さな祠を、月明かりが照らしていた。


 ――吸い寄せられる。


 何故か分からないけど、足が勝手に進んでいく。

 意識はハッキリしているのに、止められない。


 ――来るな。


 あと20cm


 ――――来るな。


 10cm。


 ――――――来るな。


 5cm。


「やめろ! 」


 手が、祠に触れた。



 太陽が目に入った、そう思うほどの光が私をつ包んだ。


 祠に触れた指先が焼けるみたいに熱い。


「これ、夢じゃない! 」


 確かな身体の五感が、これが現実であることを私に訴えていた。


「くっ! お母さーん! 助けてぇ! 」


 やがて指先の熱は全身を焦がす。

 身体が、燃えていると錯覚した私は、必死にお母さんに助けを求めた。



「莉子ぉ!! 」


 悲痛な叫びが聞こえる。お母さんの声だ。


「莉子! 莉子! しっかりして! 」


 お母さんの手が触れた瞬間、炎のような熱さが嘘のように引いていく。


「お母さん……」


 苦しみに喘ぎながら、彼女に抱きついた。




「とうとうやっちまったか」


 吐き捨てるような声がした。


 祠があった。その場所に“彼”は立っていた。


「空……亡……? 」



 短い黒髪、青柄の着物と袴。整った目鼻立ち。

 容姿は、あのほぼ空亡だったが、1つだけ違う。

 目だ。


 空亡は青い目をしていた。この男のものは、赤だ。


「やっとだ。やっと成功した」


 背後から背筋を凍らせるような無機質な声が届く。


「空亡が、2人……」


 青い目の空亡と、赤い目の空亡。双方が互いを見やり、青目は怪しげに微笑を浮かべ、赤目は睨みつけている。


 ――空亡は2人いる。


 お母さんの言葉を思い出した。

 私は、もう1人の方の空亡の亡雫。赤目の空亡は、私があの祠に手を触れた時に現れた。


「危ない方の空亡……」


“この世の終わり”とお母さんは言っていた。

 私は彼と接触した。つまり、赤目の空亡は完全顕現を果たしている。


 ――でもまだ、こっちの空亡が……


 希望はあった。もう一方の空亡がここにいる。同じ空亡同士だったら、止められるのではないか。


「やっと“思金おもかね”にかかったか。これ程抵抗されたのは初めてだ。さすがは亡雫だな、なぁ片割れ」

「どこからだ。どこから紗奈の記憶を変えやがった」


 やっとかかった? 記憶を変える? 何の話だ。それではまるで……


「説明するのも面倒な程変えたさ。お前が確かめてみろ」


 赤目は大きな舌打ちをして、右手で印を結ぶ。


「“思金”」


 何も起こらない。私の目には何も変化は無かった。


 違ったのは、お母さんだ。

 私を抱くその手が、震えていた。


「あ、れ? 私、なんであいつを……」


 その揺れる視線の先には、青目の空亡。


「ここで、その娘と、お前を喰う。もう1個の亡雫が見つからない今、俺が力を取り戻す方法はそれしかない」


 その娘、という単語が誰を指しているのかは分かった。


 信じ難い、しかしそれは真実だ。


「ネタばらししてやろうか? 莉子」


 彼はこっちに視線に移す。歓喜に打ち震え、その奥底にある狂気が露呈した目だ。


「紗奈の記憶はな、俺が書き換えたんだ」

「そ、そんなこと……」


 ――できない。いや、分かっているはずだ。空亡には、できる。

 だって、私は見ていたのだから。


「ここに封印されているのが、危険な空亡? だったら、その封印を解く恐れがあるお前をこの山に住ませる理由はなんだ? 簡単だ。俺が封印を解きたかったからだ」


 違和感が、紐解かれる。


「なんでお前を紗奈のところに連れていったと思う? 一緒の方が操りやすいからだ」


 こいつは……


「全て俺の計画のうちだ。亡雫に『どちらのもの』なんて制限は無い。全てはお前と片割れを喰らって、完全顕現するため。言っただろう? 『幸運なのは俺の方』だって。のこのこと付いてきてくれる、馬鹿な亡雫が現れてくれて、本当に幸運だったよ! 」


 神様なんかじゃない。


「どうだ? これで思い残す事はないだろ? さっそく、糧となって貰おう……」


 妖怪だ。


「“大禍津おおまがつ”」

「“離間りけん結界”! 」


 青目の空亡と、お母さんの声が同時に耳に届く。


 空をも飲み込まんばかりの膨大な霊力と妖力が、大気を引き裂きながら激突した。

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