第8話 記憶

 ――亡雫なきしずく


 私の脳には無い単語だった。


「保護してやってくれよ。が目覚めた時、“龍神りゅうじんの巫女”であるお前のそばに居るのが、この地球上で最も安全だろ? 」


 紗奈さんは、しばし考えているようだった。


「この山に眠ってる、あいつのこともある」


 あいつ? 誰のこと?


「ちょ、ちょっとさっきから一体何の話を……」


「その子の親は? 」


 親、という言葉が耳に入った途端、私の思考は停止した。


「まず親御さんに話してからの方が……」


「嫌だ! 」


 紗奈さんの言葉を遮るようにして私は叫んだ。


「あそこには戻りたくない! 」


 そうだ。あんな、あんな地獄。息がつまりそうで、吐き気がして、とても家なんて呼べる場所じゃない。


「ああ、なるほどね。お人好しの妖怪さんが、わざわざ連れてくるような子だもんね」


 カツンカツンと、地面に敷き詰められた石がぶつかる音で、紗奈さんがこちらへと歩いてくるのが分かった。


 頭に暖かい手が乗るのが分かった。


「いいわよ、ここにいて」


 目の奥がツンとする感覚があった。目が熱くなる。


 最初の言動からして不安があったが、多分、いや絶対に悪い人ではない。


「お前も大概お人好し、だな」


 空亡はクスッと笑って言った。



 その後、空亡は帰ると言って来た時と同じように、柏手を打って空間を歪めて帰路について行った。


「まずは自己紹介ね。私は、四条しじょう紗奈。それからもう1人……」


 紗奈さんが顔を向けた方を見る。


 そこには、黒髪ロングでスレンダーな女の子が立っていた。


 服は巫女服ではなく、大量の骸骨が踊っている謎のプリントが入ったTシャツと、猫の顔ががらとして描かれているズボン。


 少し、いやかなりダサい格好である。


 しかも、さっきまでそこには誰もいなかったはずなのだが……。


「娘の沙羅さらだ。今年で13になる。ちょっと硬いけど、良い子だから仲良くしてやって」


「お話は、ずっと聞いていました。新しい家族の人、ですよね」


 聞いていた? でも、誰もいなかったはず。


「あ、私姿を消せるんです。こんなふうに」


 沙羅の身体は、カメレオンのように透過していき、背景と完全に一致。視認することができなくなった。


「沙羅は隠密術の使い手さ」


 紗奈さんが言うと、沙羅が再び現れ、「えへへ」とおどけてみせていた。


「わ、私は九条莉子って言います! 」


 慣れない自己紹介を慌ててやった。こんなに優しそうな人間に囲まれたことなど、今までなかった。


「あ、あの……隠密術? って……それから、亡雫って? 」

「そうだろうね。まだ知らないことが多いだろう。1つずつ教えてあげるから、まずは家に上がって」


 招かれるまま、神社の裏手にある玄関へと向かう。


「あの、空亡様とはどういう関係なんですか? 」


 紗奈さんは私より頭1つ分身長が高い。

 顔を見るには、見上げるようにしなければならない。


「いいのよいいのよ、様なんて付けなくて。だってあいつは……」


 彼女が不意に言葉を詰まらせた。


「あれ? あいつ、は? 私、あいつとどうやって知り合ったんだっけ……? 」


 そう言った彼女の声は震え、目は泳いでいた。


「ご、ごめん。何だか、よく分からないや。はは……」


 突然態度が急変した紗奈さんの様子に、私は疑問を持ちつつも玄関から家に上がった。





 ――――お前と俺は、昔馴染みの友人。そうだろ? 紗奈。


 隣を歩く私の娘2人が、自分を追い越した時、頭の中に“彼”の声が聞こえた。


「そう、だっけ? あぁ、そうだった、かな」


 独りで呟いたその声は、2人には聞こえていなかったようだった。

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