九条莉子編

第3話 悲劇

 これは5年前、まだ私がになる前の話だ。




 陰鬱としていた。日々の色が全て灰色に見えていた。

 空も海も、花も全部同じ色だった。


莉子りこ〜、またお金貸してよ〜」


 気色悪い笑みを浮かべながら、髪を汚い金色に染めた女が言う。


 名前は、なんだっけ?


 興味も無いし、覚えたくも無かったから忘れてしまった。


「ねぇ、ちょっと聞いてんの? 」


 女は私の頭をゴミでも持つみたいに乱暴に掴む。周りの取り巻き共も、皆同じ顔をして気持ち悪く、ニタニタと笑っている。


 パシンと輪ゴムが弾けるみたいな音が私の頬から響く。

「さっさと貸せよ」

 頬をはたかれた。ジンジンと頭に痛みが響く。


 これが私、九条くじょう莉子のありふれた日常だった。


 この学校には私の居場所は無い。

 家に帰っても、あのクソババアにこき使われるだけだ。


 だから私は、学校が終わるといつもこの神社に来る。

 なんでもこの神社には、大昔に封印された、という最強の妖怪が眠っているのだという。


 だから私はいつもここでお祈りするのだ。


 ――あのクソ女共とクソババア、全部倒してください。“私達”を助けてください。


 これが私の日課だ。






「ちょっと、遅いわよ! これからタッくんとデートなんだから、その家畜の世話、ちゃんとやっておきなさいよね」


 今日も母親クソババアは私と、黒猫のキャシーを放って、男と遊びに出かける。


 キャシーだって、元はアイツが気まぐれで拾ってきたのだ。


 でも、毎日のように酒に溺れてはこの子を殴るのである。私は見ていられなくなって、「私が面倒見るから」と虐待を辞めさせた。


 名前も私が付けたものだ。


 今では、この子だけが私のたった1人の家族だ。


「キャシー、私が卒業したら、ここから出て一緒に暮らそうね」


 綺麗な黒い毛並みを撫でながら話しかける。

 バイトをして、お金を貯めて、こんなゴミみたいな家から出るんだ。私を虐めているアイツらともおさらばする。


 私の唯一の夢だった。





「キャシー? 」


 ある日、私がいつものように帰ってくるとキャシーが居なかった。


 嫌な予感がする。


「お、お母さん……キャシー、は? 」

「キャシー? あぁ、あの可愛くない猫ね。お昼ぐらいにタッくんが家に来てさぁ〜、それであの猫、タッくんに噛みつきやがったのよ」


 胸騒ぎがした。全身から湧き出る冷や汗が、それ以上聞いてはいけないと警告を出している。


 でも耳を塞ぐことはできなかった。


「ムカついたからさ、包丁で腹カッ捌いて、捨ててやったわ。ゴミ捨て場に」


「……え? 」


 さも当然の事のように、この女は語った。

 ――カッ捌いたって、お腹を……? なんで、だってそんなこと、した、ら……


「キャシーが、死んじゃう……」

「はぁ? もう死んでるに決まってるでしょ、あんなの」


 私は車に跳ね飛ばされたような勢いで家を出た。


「キャシー……キャシー……キャシー……」

 アスファルトを雨が叩く中、私は必死に走った。


 大丈夫だ。まだ間に合う。すぐに見つけて病院に連れて行こう。


 それで、もうあんな家出よう。お金はまだないけど、路上生活になってもあそこよりマシだ。


 そうだ。キャシーと一緒なら大丈夫だ。


 キャシー、キャシー、キャシー、キャシー……。


「キャ、シー……? 」


 ゴミの山の中に、一匹猫がいる。毛なみは黒い。お腹が引き裂かれて、臓物が飛び出している。


 着けている首輪に名前がある。あれ、私がキャシーにあげたものと、同じ柄だ。


 でも、そんなはずは無い。だって、キャシーは生きてるんだから。


 そう、生きてる。だからこれは別の、可哀想な猫だ。そうに違いない。


【キャシー】


 首輪に書かれていた文字を見て、私の膝は崩れた。


 誰かの絶叫が聞こえる。あぁ、私のか……。


 あれ、私、なんで生きてるんだっけ? 何のために?


「うわー、もう最悪ー。って、あれれ、莉子ちゃんじゃーん」


 私がこの世で2番目に嫌いな声が、私の耳を焼いた。




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