第十六話 あの女
ふと思う。現実世界での善悪と、異世界での善悪は何か違っているのだろうかと。
ゲームや小説なんかでは、主人公、つまり現実世界の基準で善悪が成り立ちルールとなる。
だけど、この『ラミアーヴァ帝国水物語』での善と悪は、一体どういうものなんだろう———?
「える……エル君か。うん。いいね。綺麗な名前だ」
明かしてくれた名前を声に出して噛み締める。名前を教えてもらう事は相手が自分に心を開いてくれる第一歩だと、昔祖母ちゃんが言っていた。物語りで真名と呼ぶように、名はその人の人生に関わることを意味するのだと。
ちなみに、エル君の膝に刺さっていた針はザイスが抜いてくれた。警戒心はあからさまだったけど、応急処置をしてあげてた辺り、彼も白い綺麗な手をした少年が人を殺さざる得ない理由に気づいているらしい。
無表情な執事だけど、アルワデが信頼していただけあって優しいところもある。
「それで……えーっと。話せるなら話して欲しいんだけど、あ、無理ならいいんだけど、君が私を殺したい理由って何かな? 誰か人質に取られてるとか? 弱みを握られてるとか? そう?」
エル君に目線を合わせたまま、矢継ぎ早に質問を繰り出した。考える隙間を与えないようにって意図がなかったと言えば嘘になるけど、まあ単純に教えてほしかったからだ。何しろ彼の手は綺麗過ぎて、正直筋肉の付きだって悪いほうだ。いくら子供と言えど細すぎる。生まれながらに暗殺者として育てられた子供なら、こうはいかないだろう。
といっても、これも予測に過ぎないのだけど。
「———両方」
お姉ちゃんに言ってごらん? とばかりに首を傾げたまま返答を待っていたら、エル君は澄んだ川みたいな水色の瞳を揺らめかせて短く告げた。
すると背後から、ザイスの短い溜息が聞こえてくる。「だろうな」とか、そんな感じのだ。
やっぱり彼も勘付いてあるらしい。
まあ、私でもわかるくらいだものね。
この子、全く悪意が無いし。
「そっか、両方か。それって誰か協力者がいたらなんとかなりそう? それとも、私の首持ってかないと無理そうかな?」
「きょう……? そ、れは」
私の弾丸質問に戸惑いながら答えてくれたエル君だったが、次第に声がか細く聞き取りずらくなっていく。
彼は自分の黒装束の胸元をわし掴みにしていて、なんだか苦しそうに見えた。
「おい、お前エルと言ったな。首を見せろ」
「ザイス?」
ぎゅっと身体を強張らせて俯いたエル君に、やばい、聞き過ぎたかなと内心焦っていると、いつの間にか横に来ていたザイスが手を伸ばし、エル君の黒装束に手をかけた。エル君と、私が同時にぎょっとする。
「やめっ……」
「ちょっと!」
いたいけな少年に何してんの、とザイスに文句を付けようとしたら、エル君の露わになった首筋が見えて言葉を飲み込んだ。てっきり綺麗な白い喉元が見えると思ったのに、少し違っていたからだ。
「やはりな」
「っ……」
ザイスは予想していたのか、彼の首元を見て納得した風だった。それからラミアーヴァでは珍しい灰の瞳をすうっと自ら扱う針のように細めて息を吐く。
エル君はぎりりと唇を噛み締めていて、薄い唇が真っ白になっていた。
彼の神秘な水色の瞳には、苦悩だけが浮かんでいる。
「これ、何?」
エル君の白い首筋に刻まれた紋様を見て、横目でザイスに問いかけた。
少年の白い肌に刻まれていたのは、真っ青な入れ墨みたいな紋様だった。夥しい鱗模様はまるで蔦のように絡みつき、首筋全体を上から下に降りている。恐らく、鎖骨まで到達しているだろう。
それはさながら、蛇が絡みついているかに見える。
私の問いかけに、ザイスはやや目を細めてからひたり見据えて口を開いた。
「水毒だ」
「みずどく?」
短い答弁を聞いて、私は首を傾げることしか出来なかった。
ただ、毒という名称の意味は、この世界でなく日本で生まれ育った私にもわかる。
今、エル君がどういう状況に陥っているのかも。
「僕達には……道が無い。君を殺すか、死ぬか、それしか、道が無いんだ……!」
エル君の瞳から透明な涙が流れていく。
白い頬を伝うそれがぽたぽたと、彼の黒装束をより黒く染めていく。
痛々しい光景に、私の胸がぎゅうっと引き絞られた気がした。
「———水毒とは、リアネストロ一族のみが使用することの出来る術の一つだ。かけられた者の身体に毒の蛇が刻まれ、一度でも体内に仕込まれれば、半永久的に発動可能となる。術者が死なない限りはな」
「リアネストロ家って……」
「そうだ。アコーニ=リアネストロ。あの女の生家だ」
ザイスの説明を聞いて、『時子』の頭にあるゲーム情報が浮上する。
ラミアーヴァ帝国水物語に登場するキャラクターの一人。アコーニ=リアネストロ。
アルワデの取り巻きの一人にして、白の令嬢と称される伯爵令嬢。
そして———私に『あの言葉』を告げた、女の名だ。
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