第十二話 主人の幸せを願う
「な……!」
ティーカップに浮かんだ蛇神様を見てインテリ不届き男もとい、ザイスが驚愕の声を上げた。
確かこの世界には神殿があり、仏像ならぬ神像をお祀りしていたはずだ。
だからこそ、彼も一目見て紅茶色したソレが誰であるかわかったのだろう。
しかし、人間驚きの次に来るのは疑念だと昔祖母ちゃんが言っていた。
なら私がすべき行動は一つだ。
「ラミアーヴァ様っ! なんかソッコーばれてるんですけど!」
「ほほ、すまなかったの。特に手を抜いたわけではないが、こ奴だけは見破れるのを忘れておったわ」
ザイスの出鼻をくじくために、あえて大袈裟にラミアーヴァ神へ苦情を告げた。すると蛇神様は私の意図を察したようにニヤリと含んだ笑みで回答してくれる。
どうやら先ほど不敬にも「ラミアーヴァ様手ぇ抜いた?」と考えたのも筒抜けだったようだ。
神様って思考まで読めるのかな。だったら下手なこと考えない方がいいか。
にしても、ザイスだけは見破れるって、どういう意味なんだろう?
疑問に思いつつ、目線はラミアーヴァ神のままそっとザイスを盗み見ると、彼は微妙な表情……訝し気というか、恐れているというか、嫌がっている、というかなんとも読み取れない表情を浮かべていた。
「本当に……ラミアーヴァ様なのですか?」
「お前ならば『わかる』じゃろう? のう……今はザイス=ヴァーリと名乗るものよ」
「っ!」
お?
なんだなんだ? 急にザイスの顔色が変わったぞ? 一瞬で青褪め……いやむしろ赤くなってる?
目付きがより極悪インテリに進化して眉間の皺が四本に増え……って。
あれはそうだ! 図星指されて逆切れしそうな人の顔だ!
でも……なんで?
先ほどの冷徹な表情をかき消したみたいなザイスの姿に、私はちょっと驚いた。
「ほほ、まあそう怯えるでない。今のわらわには其方をどうこうするつもりは無い。それよりも、ここにおる時子について少々頼みがあるが故、こうして仮の姿で参じたのじゃ」
「……この少女は貴女に縁のある者なのですか」
「左様じゃ」
ラミアーヴァ神のフォローっぽい台詞(?)のおかげか、ザイスは少しだけ肩の力を抜いて、お世辞にも感じ良いとは言えない視線を私に寄こした。これが漫画だったらじろじろ、とかじとーっとか効果音がつく感じだ。
アルワデーっ、貴女の執事が私にめちゃくちゃ感じ悪いんだけど!
今頃どうしてるかなと思いつつ私と入れ替わった少女を思う。
不自由はしていないだろうか、困っているんじゃないだろうか、と。
それとも、海外の人みたいに家が狭いって驚いているんだろうか。
ボロくても祖母ちゃんとの思い出が沢山ある平屋だから、彼女もいつか気に入ってくれると嬉しいが。
現代日本へ行ってしまった公爵令嬢に思いを馳せていると、おもむろに、はあ〜っと盛大なため息が聞こえて、ん?と意識が戻る。
ため息の犯人はザイスだった。
「我が国の信仰対象であるラミアーヴァ様が、俺にどんな頼みがあるんです? それに、アルワデはどうしたのか、まずはそれをお答えいただきたい。正直なところ、嫌な予感しかしませんが」
「ほ、察しの良い男よの。じゃが安心せよ。アルワデは無事じゃ。それにそう悪くない話じゃぞ? 時子はお前にとっても吉星となろうからの」
「コイツが……?」
ちょっと、今コイツって言ったよね。ばっちり聞こえてたんだけど。
ああ今アルワデと話ができればいいのに。それで、貴女の執事殴ってもいい? って聞けたらどんなにいいか。
横から口出すとややこしくなるかなと思って気を使ってるのに、こうも不躾な視線寄こされたんじゃ苛立ちもするよ。
一応神様の前だからってずっと立ってたけど、もういいや。このふかふかベッドに座っちゃお。
少々むくれながらぼふんとベッドの縁に座ると、ザイスの皺がもう一、二本増えた。
だけど知るもんか。出会い頭に脅すわ針飛ばすわされたこっちの身にもなれっつーの。
「ほほほ、それ見よ時子がむくれてもうた。
「……にわかには信じがたいが……アルワデがこの世界を嫌っていたというのは……理解できる」
ラミアーヴァ神の説明を静かに聞いていたザイスが、ほんの僅か痛まし気な表情をする。
冷たい印象を与える彼の顔が、ここにはいない一人の少女を憐れに思っているのが見て取れた。
それを見て、私の胸に彼の言葉を否定する答えが浮かんだ。
「アルワデは、この世界を嫌ってたわけじゃないよ」
口に出したら一瞬、間が空いて灰の瞳がゆっくり私に振り返った。ちょっとだけ大きさを増した目には少しの戸惑いと、驚きが見える。
貴女が今ここにいたら、きっと伝えてたよね。アルワデ。
私の奥底に存在するアルワデの情報が、切々と思いを訴えている。
彼が言ったのは事実とは異なると。
それはもう、胸が痛くなるほど。
「……どういう意味だ」
「確かにアルワデはこの世界が辛いって言ってた。でも嫌いじゃなかったよ。たった一人だけ、支えてくれる人がいたって……そう言ってた。両親も味方と言えない中で唯一……ザイス、貴方だけが。だから、全部嫌いだったわけじゃない」
前半はアルワデ自身が口にしていた事。後半は、正しくは彼女がそう感じていた、が正解だ。
今の私の中には、アルワデと彼との思い出がしっかり植え付けられている。
実の両親にすら皇族献上の道具としか扱われなかった彼女にとって、ザイスは兄に近い存在だったようだ。
恋に発展しなかったのが不思議なくらいだが、彼自身も使用人としての境界は守りつつ、寄り添うように見守っていた節がある。
脳内に意識の小箱として置かれた彼女の記憶の中に、マナーレッスンや帝国の歴史についてこっそり補習授業をしていた光景があった。
推測だけどアルワデが育った環境の割に純粋培養されていたのは、恐らく彼の尽力があったからだろう。普段は執事の顔をして、彼女と二人でいる時だけ、頼れる騎士の役割も果たしていたのだ。
ちょっと嫌味で失礼千万だけど、中身は案外いい人なのだろう。
だから伝えるべきだと思った。
アルワデは、彼女はこの世界すべてを嫌って、切り捨てて入れ替わったわけじゃないんだと。
「……そうか」
あら。へえ。
そんな顔も出来るんだ。意外。
アルワデの言葉を聞いた瞬間、ザイスの表情が緩んだのがわかった。
すぐに元の鉄仮面に戻ったものの、その一瞬がより印象的で。
アルワデにそういった感情はなかったようだけど、彼の方はもしかして、なんて無粋なことまで考えてしまう。
でもそうなると、この状況は彼にとって辛い事かもしれない。
詮索はするつもりないけれど、だったら申し訳ないなとちょっと思った。
「生きているなら……ここよりマシな場所にいるなら、それでいい―――おい、お前」
「へ?」
と罪悪感を感じていたら、ふいにザイスがじっと私を見た。
灰色の瞳が、探るみたいにゆっくり眇められる。
なんだか存在を確かめられているみたいな、変な視線だ。
「名は、トキコと言うのか」
「あ、うん、そうだけど……」
「わかった」
聞かれたので相槌を打ったら、今度はふいっと顔を逸らされてしまった。
人に尋ねておいて、しかもちゃんと返事をしたというのに、なぜこんな妙な態度を取られねばならんのか。
意味が分からない。っていうか失礼だと思う。執事ってマナーに厳しいんじゃないのか。
「ほほ、これは先が面白そうじゃの」
本当は白い紅茶色の蛇神様だけが、やけに楽しそうにころころと笑っていた。
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