第九話 入れ替わり


「そうじゃな……アルワデがあまりに強く願うのでの。一時だけ入れ替えてみたのじゃ。じゃが、其方らが本当に入れ替わりたいと申すなら、その願い叶えてやろうかと思ってのう。だからこうして出てきたというわけじゃ」


「なるほど」


「わらわは面白いことが大好きじゃ。異なる世界の娘が入れ替わるとは、なんとも愉快ではないか」


 白い蛇神様は綺麗な顔をふっと綻ばせてころころ笑った。


 それはもう楽し気で、なぜか一瞬彼女(神様といえど女性体だからこの例えでいいだろう)の姿が幼い少女に見える。


「はあ……面白いでギロチンで首切られるのは中々キツかったですけど」


「ほほ! じゃろうの♪」


 嫌味を言ったつもりがウケけた。

 見た目に反して中々人懐っこい神様らしい。


「本題に入ろうかの……答えよ。瑠璃、そしてアルワデ。本気で入れ替わる気はあるかの? 互いに元の世界への未練は無いか」


「未練……ですか」


 名を教えた覚えはないのに呼ばれて、一瞬戸惑ったものの、次に言われた台詞を聞いて私とアルワデは顔を見合わせた。すでにラミアーヴァ神の表情から笑顔は消えている。

 これは真剣に答えないといけないやつだ。

  

 それに、まあ、確かに。


 先ほどアルワデに話した通り、たとえゲーム世界であれ、彼女と入れ替わるのはやぶさかではない。

 正直なところ、唯一肉親と呼べていた人が亡くなったせいで自棄になっているのかと問われれば、それは否定できないけど。


 だけど悪役に憧れていたのは本当だ。

 理想の悪役を追い求めて沢山の物語を読み、アニメを観、ゲームをプレイしても、そのどこにも私が見たい姿は見つけられなかった。


 私が十五歳という年齢だから、こんな後先考えてないことを思うのかもしれない。


 『いないのなら、自分でなってしまえばいい』なんて、無謀なことを。


「わ、ワタクシは……っ!」


 思案していると、アルワデが意を決したように強い口調で声を上げた。

 彼女は吊り目気味の黒い瞳を潤ませながら、華奢な両手をぎゅっと握って私を見る。


「貴女さえ同意してくださるのならば、あの時言ったことは本心ですし、お、お願いしたいですわ……!」


「アルワデ」


「で、ですがっ、たとえ断られたとしても、貴女を恨みはしませんわっ。貴女が育った世界がどういうものかは存じませんが、ワタクシにとってあの世界はとても……とても辛いものでした。お父様もお母様も、到底ワタクシの味方とは言えません……正直言って、身の危険は毎日あります。たった一人だけ、支えてくれる者はおりましたが、皇族相手ではどうにもなりませんでしたもの。ですから……」


「アルワデ、あなた」


「わ、ワタクシだって、またあんな風に死ぬのは嫌ですっ……嫌ですけれど、本来ワタクシがいるべき場所に、何も知らない貴女を送り込んで苦しませるなど、ワタクシの矜持が許しませんわ……っ!!」


 私はもう泣き顔も見慣れた彼女の身体をぎゅっと抱き締めた。

 細くて華奢な身体は頼りなくて、泣きながら一気にしゃべったせいか肩はぶるぶる震えている。 


 髪も瞳も、身を包むドレスすら真っ黒なアルワデ。

 彼女の眩しいほど純白で綺麗な心根が愛しくて、私の口元に自然と笑みが浮かんだ。


 ……うん。

 答えはもう、ひとつしかないよね。

 

 ね? 祖母ちゃん。


 泣いてる子には優しくって、祖母ちゃんだって言ってたもんね。


 私は両腕をそっと緩めアルワデと私の間に隙間を開けた。

 それから今にも決壊しそうな彼女の目を見ながら、口を開く。 


「アルワデ、私は元の世界ではただの一般人だし、まがりなりにも良い暮らしだったとは言えないよ。衣食住には困ってないけど、貴女が着ているようなドレスなんて一着も持っていないし、唯一の肉親はちょっと前に死んじゃったし。命の危険とかは気を付けていたらあんまり無いけど、一人で気楽な分、なんでも自分でやらなきゃいけない。洗濯や掃除、食事の準備も。あと向こうの世界の学校にも通わないといけないし、きっと貴女が学んできた事とは内容も全然違う。それでも、貴女は私……大葉時子おおばときこと、代わりたい? 時子わたしとして別の世界で、生きていきたい?」


 念の為、彼女へ簡単に私についての説明をする。

 いくらアルワデが良い子でも、彼女は元々異世界の住人だ。現代世界にすぐ適応するのは難しいだろう。

 何しろ貴族社会でもてっぺんの地位にある公爵令嬢である。現代的に言えばカースト最上位世界の人間なはず。


 日常生活に執事やメイドが当たり前に存在し、私がしていた炊事洗濯など経験があるはずもないわけで。

 私自身不満はなかったけれど、生活レベルには雲泥の差があるだろう。

 その上知っている人間は皆無となれば、引き返すのなら今だ。


「やります……やってみせます。貴女が、それを許してくれるのならば」


 アルワデは黒真珠みたいな瞳をいっぱいの涙で煌めかせながら、けれどしっかり頷いた。

 

 それを見て私も腹を括る。


 祖母ちゃんが言ってた通り女は度胸だ。

 二言は無い。


 それに入れ替わりたい理由もひとつ、追加されたし。


「なら……決まりだね。それでラミアーヴァ様、私達が入れ替わるとして、お互いの世界についての基礎知識とかを身に着ける時間っていうのはもらえるんですか?」


 さすがにこのままの状態で彼女を現代日本に放り込むわけにはいかないな、と思って聞いてみる。


 現実世界で終盤までゲームをプレイしたものの、ただ知識があるだけと生活するのは大違いだ。

 アルワデの立ち居振る舞いだって、正直今の私にできるとは思えない。

 まずはそれをどう誤魔化すかが問題である。


 けれどそんな心配をよそに、美しい蛇神は白い面をふんわり綻ばせた。

 つかの間、誰かの笑顔がそれに重なる。


「ほ。そんな面倒をせずとも、我が力にて互いの世界の情報をそなた等の意識に刻んでやろう。時子はアルワデの知識と経験を、アルワデは時子の知識と経験を、その身に刻むが良い」


「そんな便利なこと出来るんですか」


「これでも一応神じゃからの」


 自分で一応って言ったよこの神様。

 日本でも蛇の神様って特殊な立ち位置にあると思うけど、もしかするとラミアーヴァ様もそうなんだろうか。

 なんてころころ笑う綺麗な蛇神様を前にそんなことを思う。


「じゃあお願いします。私が、『アルワデ』になります」


 アルワデと二人並んでラミアーヴァ様に頭を下げる。


 一瞬これで元の世界とはさよならか、とじわりと滲むような感覚がしたけれど、向こうの世界の橘瑠璃という存在がいなくなるわけではなく、中身がアルワデになるだけだと思うとなんだか急にほっとした。


 彼女なら、祖母ちゃんと過ごしたあの家も、祖母ちゃんの位牌も、託せる。

 そう思ったから。


 ラミアーヴァ神は私達をじっと眺め見た後、どこかほっとしたみたいな表情でこくりと相槌を打った。

 なにかすっきりした様に見えるのは気のせいだろうか。神様の感情面がどうなっているのか知らないけど、胸のつかえが取れたみたいな、そんな顔だ。


「相分かった。ならばこの時より、龍蛇神ラミアーヴァの名において、其方ら二人の国替くにがえを行う。たとえ世界ががうとも、其方らのえにしは消えぬ。我が水の娘達よ……己が思う道を進め———」


 それから白い蛇神様は右手を私達二人の前に出し、言葉を綴りながら何か文字を描くように空間を指先でなぞっていった。そしてぱっと開いた掌を、地面———この場合水面になるが、足元に向けてかざし、白い睫毛のが囲う両目を閉じる。


 すると巨大な水鏡から———今度は本物の鏡が浮き上がってきた。


 手のひらサイズの小ぶりな鏡だ。縁は深い緑色で質感は金属。片面は丸い鏡面で、もう片面には二対の蛇らしき模様が彫られている。円の中心には赤い宝玉が嵌め込んである。


 それは歴史の教科書で見たことがある『銅鏡』だった。


 ラミアーヴァ神は銅鏡を両手で持つと、私達一人ずつを鏡面に映し始めた。

 最初にアルワデの姿を映すと、鏡面がまるで水になったようにゆらりと波紋を浮かべた。まるで真ん中に、一滴の雫を垂らしたみたいだった。


 次にその鏡を私に向けると、ラミアーヴァ神は何か短い言葉を呟いた。意味はよくわからない。

 どこかで聞いた事のあるような響きだった。国語で習った古文みたいな。


 私を映した鏡はアルワデの時と同じように、鏡面に波紋を浮き上がらせる。

 ラミアーヴァ神は最後に自分の胸の前に銅鏡を持ってくると、ずっと閉じていた瞳を開いた。

 白い睫毛に縁どられた大きな瑠璃色の瞳が、瞳孔をすうっと細めている。

 一瞬、その瞳がほの赤く見え———すると銅鏡が、ぽうっと白い光を放つ。

 

 眩しさに条件反射で目を瞑り、数泊置いてから瞼を上げると、にっこり笑顔の白い蛇神様が見えた。

 

「これで仕舞いじゃ。どこか不調があるなら、今申せ」


「思ったより早……」


「ですわね」


 言われた通り、とりあえず自分の両手を見てみた。

 うん。見慣れた自分の手だ。爪は長過ぎず切りそろえてるし、特におかしなところは———と思ったところであれ? と疑問がそのまま口に出る。


「見た目が……変わってない?」


 隣を見るとアルワデも目を丸くしていた。まんま先ほどと同じ彼女である。

 違うのは、私の服を着ているってだけ。黒髪黒目の吊り目美人が、見慣れた中学のジャージを着ているのは結構シュールだ。なんだかすごく申し訳ない。

 ついでにいえば、私はアルワデのドレス姿になっていた。ってこれめっちゃ重いな。

 よくこんなの着ていられるよアルワデは。


 ただ、変わったといえばそれだけだ。服以外の容姿は全て元の自分のままである。

 入れ替わってるはずなのに……どゆ事?


「互いの世界での認識を交換しただけじゃからの。しかも其方ら二人は黒く長い髪に黒い瞳と何もかもが揃いじゃ。特に不和も起きぬじゃろうて」


 一緒に首を傾げる私達に、ラミアーヴァ神は補足をつけてくれた。それで納得する。


 なるほど。物語上の特性自体は同じということか。

 恐らくゲームの文章にある「黒い髪、黒い瞳をした黒の令嬢」といった条件が同じならば、見た目そのままでもOKらしい。

 

 確かに、不思議極まりないけれど私の意識の深くに『アルワデの情報』があるのが感じられる。


「わかりますわ……時子様のお祖母様、とても素敵なご婦人だったのですね」


「アルワデは……すごく、大変だったね」


 互いに互いの思い出を感じながら、二人そろって涙ぐむ。そんな私達を見ながら、ラミアーヴァ神は「それぞれの世界に送り出す前に、其方らに暫し刻をやろう」と言ってくれた。

 その微笑みは、確かに神様らしく慈愛に溢れていた。


 そして私達は、色々な話をした。

 物心ついた頃の思い出から、両親の事や育った場所の事や、たくさんの思い出について。


 とても不思議な感覚だった。自分の思い出を、誰かが共有してくれているというのは。


 私はアルワデであり、アルワデは私。

 悲しいことも、嬉しかったことも、全てがお互いの中にある。


 それぞれの世界に送り出される時も、彼女は最後まで私への感謝を伝えてくれた。

 繋いだ手が消えるその時まで、とても綺麗な涙を流しながら。


 出会う前に見た虹色に包まれ消えていく、その、瞬間まで……



 

 こうして、私達の『入れ替わり』は成された。


「——お行きなさい。我が水の娘たち。そしてどうか———」


 私とアルワデが消えた世界で。


 そう唱えた白い蛇神の足元、水鏡に、着物姿の『知った顔』が映っている事など……知る由もなく。

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