第三話 恐怖政治の象徴


「へ?」


 私は間抜けな声を出し、口を開け固まっていた。

 予想だにしていなかった『ゲームのキャラに睨まれる』という事態が飲み込めなくて。


 だけど次の瞬間、スマホ画面から細く白い手がにゅっと出てきて更にぎょっとする。

 それは黒いレースに包まれた華奢な手で、どこか見覚えがあった。


 嘘……!? 

 手!? 画面から!?

 手が出てきたあああ!!


「っなん……!?」


 驚愕する私の右腕をその白魚のような手ががしりと掴んでくる。素早い動作と、ひやりと冷たい感触に背筋にぞっと悪寒が走った。


「ひぃっ!」


 あまりの恐怖に悲鳴を漏らし、咄嗟にスマホを放り投げようとした。

 が、画面から伸びる白い手に掴まれているせいで、既に離れているはずのスマホは私の腕にぶらさがったままだ。


 ななな、なんで!?

 私、乙女ゲームをしてたはずなのに!

 なぜにこんなホラー展開になってんの!?


 パニック状態の私に構わず、白い手は驚くほど強い力で私の腕を引っ張ってくる。

 それはまるで、スマホの画面の中へ引き摺り込もうとしているみたいだった。

 

「じょ……冗談でしょっ! 離せ馬鹿!!」


 誰にともなく怒鳴りつけながら、スマホから伸びている白い手を逆に掴み引き剥がそうと力を込めた。

 

「っく……!!」


 こんな細い手してるくせに!

 なんでびくともしないのっ!!


 ぐぐぐ、と音が出そうなくらい思いっきり力を入れているのに、白い手は一向に離れる気配がない。

 どころか、指先が今にも画面に吸い込まれそう———と思ったら、既に第二関節まで画面に埋まっていた。


「うそおおお!?」


 私の指が! 無いっ!?

 

 消えた、というより画面に入り込んでいるような、そんな状態に目を剥いた。もう頭は大混乱を起こしてわけがわからない。無茶苦茶恐いしなんだか指先も気持ち悪くて、祖母ちゃんの葬式ですら泣かなかった涙がこみ上げてくる。


 画面に埋まる指先が妙に生暖い。

 まるでぬるい水に浸かっているみたいだ。


「は? ちょ、わ、っえええええっ……っぷ!?」


 まるで指先の感覚を合図にしたみたいに、私の身体が腕、肩、頭の順でどんどん画面に引き摺り込まれていく。本来入らない筈の私の身体が、まるでランプに精霊が吸い込まれるようにスマホに触れた部分から細く絞られ入り込んでいた。


「……!!」


 ずぶずぶと身体がめり込み、頭がすっぽり入ると視界が虹色に埋め尽くされた。

 螺旋を描いた虹がくるくる回っている。


 き、気持ち悪い……!


 たとえるならエレベーターに乗った際の浮遊感や船酔いのような感じだった。

 内側から胃をひっくり返されたような吐き気がしたと思ったら、同時にぱっと視界が開けた。


「う、そ……」


 恐る恐る開いた目には、信じられない光景が映っていた———



 開いた唇の隙間に、ぬるい風が入り込む。

 受験の願掛けで伸ばした髪が、危険を知らせるみたいにざわりとした。


 不気味な温度に、肌が戦慄いているのがわかる。

 産毛さえ逆立つ感覚に、ふと祖母の言葉を思い出した。


 それは自然界をテーマにしたドキュメンタリー番組を見ていた時のこと。

 

 『瑠璃。動物はね、体毛から危険を察知するんだよ。猫も犬も。人間だって同じことさ』


 まるで私に何かを言い聞かせるみたいに語った祖母の顔が、すっと浮かんで消えていく。


 どうして今、それを思い出したのか。


 早まる鼓動を感じながら、私はせわしなく眼球を動かし、祖母の言葉を脳内で否定していた。

 

 危険なんて、違うよ。

 だって祖母ちゃん。

 私、さっきまで部屋にいたんだよ。


 ベッドの上に寝転んで、祖母ちゃんのスマホでゲームしてたんだ。

 危険なんて、あるわけない。


 こんな事———あるわけないよ。

 祖母ちゃん。

 

 指先の震えを誤魔化すために、祖母を心で呼んだ。

 目の前のありえない光景を否定したくて。縋りたくて。


 たった今まで居た部屋の空気などまるで感じられない状況を、頭と心が拒絶している。

 柔らかいベッドの感触が、固く冷たい石に変わっているなんて、知りたくなかった。


 なのに目に見える光景が、肌に触れる風が、匂いが、すべて現実だと見せつけてくる。


 どうして、私の前に『こんなもの』があるんだろう。


 呆然とする私の眼前にあるのは自分の部屋の壁でもテレビでもなく、ギラリと鈍く光る刃を持った背高の断首装置だった。広く知られている呼び方は『ギロチン』。

 はるか昔の恐怖政治を象徴する処刑器具。


 その周囲を取り囲むのは物々しい様子の兵士達と群衆だ。


 まるで映画のワンシーンのようなそれは、たった今まで自分がプレイしていたゲーム『ラミアーヴァ帝国水恋物語』の断罪イベントスチルそのものだった。


 じっとり冷たい石畳の広場に、そこに集う無数の人々の呼吸やざわめき。


 円形の人垣に取り込まれた場の中心に居るのは、『私』だった。


 何、これ。

 なんなの、これ。


 おかしい、私は夢を見ているんだろうか。


 ゲームしながら寝ちゃったとか。

 きっとそうだ。

 そうに違いない。


 こんな異世界モノの夢まで見るなんて、私ってばヲタクの鏡なんじゃなかろうか——などと内心おちゃらけるも、首元にカシャンと冷たい何かが当たり、血の気が引いた。


 無意識に、ひゅっと短く空気を吸い込む。


 首に当てられたそれは、二本の長い槍だった。


 赤く塗られた長柄の先には、銀色に輝く鋭利な刃がついていた。

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