第一話 理想の姿

 『悪役』と言われたら。

 あなたは誰を思い浮かべるだろうか。


 好きなアニメの悪役?

 それとも、ドラマや時代劇に出てくる悪役?


 漫画やドラマ、舞台に至るまで。

 長きにわたる人類史において、人は物語の中に必ず彼等を登場させる。

 絶対にして唯一無二の存在。

 それが『悪役』。


 常に主人公の壁として立ちはだかり、越えさせることで成長を促し、クライマックスでは必ず敗北する。


 私が愛して止まない美学を極めた、彼等は———そう。


「理想の姿」なのだ。


***


「だあああもうっ! ストーリーは良いのに、この悪役令嬢ラスボスってばお粗末過ぎ! 本当にこれでボスなわけ!?」


 ベッドに寝転んだまま、ゲーム画面に文句をぶつけた。

 長時間プレイでじんわり熱くなったスマホを苛立ち紛れに枕の横へぽいっと放り投げる。

 布団に落ちた薄い板状の機械はぼすんと落ちて、なお画面から煌々と光を放っていた。


「あー……期待外れにも程があったわー……」


 溜息を吐きながらヘッドボードの時計を見ると、針は深夜二時半を指していた。

 思い切りど深夜である。


 まじか。

 四時間半て……全然気付かなかった……。


 経過時間を数えて一気に身体が脱力する。

 そのまま自分の趣味ではない花柄ピンクの枕にばふっと突っ伏し、地団太を踏むみたいに手足をバタバタさせた。行儀悪いと言うなかれ。


「ぬあ〜っよじかん! 四時間半も! 無駄に! したっ……!」


 罪無き枕に鬱憤をぶつけながら、息苦しさに顔を上げると外から犬の遠吠えが聞こえた。

 わおーん、という少し寂し気な声が静かな夜の街に響く。


 雨が降った後だからだろうか。

 澄んだ空気に鳴き声はよく通り、やがて木霊が返ってくる。

 そのせいかほんの少し溜飲が下がった。

 

「恋の季節だっていうのに、返事が自分の声なんて、悲しいねえ。でもって四時間半も無駄にした私も悲しいわー……」


 犬からしたら大きなお世話でしかない独り言を呟きながら、仰向けになって大の字で寝転ぶ。

 築五十年の天井の染みをぼんやり眺め、はあ〜っと二度目の長い息を吐いた。


 ここまでやり込むつもり、無かったんだけどなぁ……。


 経過した時間を認識したせいか、忘れていた疲れがどっと身体に押し寄せてきた。

 目が乾いているうえに頭もずんと重たい。肘を付いていたせいか肩と首も少々痛い。

 これは完全にスマホ首というやつだなぁと内心苦笑した。


 できるなら、四時間前の自分に言ってやりたい。


 『悪い事言わんから、その乙女ゲーをプレイするのはやめておけ。大ハズレだ!!』と。


 確かに、序盤から中盤まではそこそこ面白かった。それは認めよう。

 だがしかし、最後の最後で『私的に』超絶残念展開になっていようとは……!


「四時間……四時間頑張って、まさかの! このラスト……! のあああ私の時間が……貴重な時間があ〜っ!」


 ごろごろごろ、とベッドの上でひたすら転がる。

 すると布団から埃が立ったのか鼻がむず痒くなった。

 ここのとこ忙しくて干せていなかったから、たぶんそのせいだ。


 なんか涙目になっているのも、目に埃が入ったからだ。きっとそうだ。

 それか思春期十五歳特有の不安定な情緒のせいだ。


 スマホによるドライアイと埃で開けずらくなった目をジャージの裾でごしごし擦りながらベッドから起き上がると、ふとある場所に視線が向いた。


 私の部屋として使っている六畳の和室から敷居を超えて、リビングスペースになっている部屋の片隅には、新品らしく艶々に光る黒い仏壇がでんと存在を主張している。


 この築五十年を超えたボロい平屋で唯一、値打ちがあるものといえばこの仏壇だ。

 祖母ちゃんは貴金属を好む人ではなかったし、生前着ていた着物も普段使いしやすい木綿のものが多かった。

 それは今や私に受け継がれている。自分で着られるようになるにはちょっと時間がかかりそうだ。


祖母ばあちゃんがお勧めって言うからプレイしたのに、全然好みじゃないんですけどー……」


 仏壇にある写真立てに向けて文句を呟く。

 和室に私の呟きが消え、後にはスマホから流れるゲームのBGMだけが残った。


 黒光りする位牌の横では壮年の白髪女性が「グッジョブ」ポーズで写真におさまっている。

 私の祖母、大葉百合子おおばゆりこ(享年八十八歳)である。


 二度目の溜息代わりに、私は祖母の遺影にふくれっ面を向けた。


「もう、こうなったら祖母ちゃんの小説、全部網羅してやるからね!」


 ビシッと写真を指差し言い放つと、祖母ちゃんが「やれるもんならやってみな」と笑っているみたいに見えた。千を超える蔵書を持つ彼女なら、絶対そう言っただろうなと溜息を吐きながら思う。


 このボロい平屋と遺産を私に残してくれた祖母、大葉百合子は一ヶ月前にこの世を去った。


 昭和七年生まれの申年で、性格は竹を割るどころか岩を割ったような、豪快な女性だった。

 私の育ての親であり、唯一の家族……だった人だ。


 よくある不仲な両親の間に生まれた一人娘の私を、再婚による施設送りから救ってくれた人でもある。


 真っ白な髪を結い上げ、毎日びしっと着物を着るような、ぱっと見は厳格な祖母ちゃんだった。


 だけどその実はロマンス小説が大好きで、少女漫画や童話も好んで読むような夢溢れる人でもあった。

 昨今流行りの乙女ゲームすら、PCとスマホを駆使してコンプしてしまう位


 亡くなったのは、しくも私の高校受験合格発表日。

 二月も半ばの頃だった。


 彼女に合格を伝えたその日の夜、眠っているのかと思ったら笑顔のままこの世とおさらばしていた。


 ほんと、祖母ちゃんらしいったらない。


 彼女の米寿のお祝いを、私の合格祝いと一緒にしようと約束していたのに、結局それは果たされなくて。


 いつの間に書いたのやら、遺言書にあった通り質素な家族葬の後は火葬場からすぐにお墓へと埋葬した。


 『四十九日も骨のままおいとかれるなんて、あたしゃ御免だよ』なんて、やたら達筆な文字で締めてあったのがますます祖母ちゃんらしかった。

 

 そうして私は十五歳にして、天涯孤独の身となったのだ。

 (再婚した元両親なんぞ、祖母ちゃんの通夜にすら来なかったし、これで合っていると思う)


 仏壇の横に置いてある着物を掛ける衣桁いこうには、春から着る予定の黒いセーラー服がかけてある。


 祖母ちゃんが居た頃はここには浅葱色の着物と、龍の絵柄がついた名古屋帯がかけてあった。

 あまり高い着物を買わない祖母ちゃんには珍しく、少々値が張ったと言っていたからたぶんお気に入りの品だったのだろう。


 けれど祖母ちゃん亡き後は、目にするとなんとも言えない気持ちになるので今は仕舞っていた。


「う〜……寒っ! と思ったら窓開いてるじゃん」


 祖母ちゃんの遺影とセーラー服を眺めていたら、吹き込んだ隙間風にぶるっと震えた。

 出所を探すと、障子戸の向こうにあるガラス戸がほんの少し開いているのが目に入る。


 あー、そういえば。

 夕方ちょっと開けといたんだっけ。


 思い出しながら手を伸ばし、サッシに指先を引っかける。


 閉めようと力を込めた時、ふと窓の隙間から金色の満月がくっきり浮かんでいるのが見えて、ぴたっと手を止めた。


 人工的に象ったような丸い満月の周りには、べた塗りの黒が広がっている。

 コントラストがとても綺麗だな、と思った。


 なんとなく花札の『すすきに月』の絵面に似ているなと思う。


 といっても花札の空は赤く塗られているし、あてられた月は旧暦の八月(現在の九月)らしいが。

 現代ですすきと言えば、大抵の人は十月を思い浮かべるんではなかろうか。


「確か……十月の神無月じゃ、出雲に集まる八百万の神様の先導を、龍蛇神がつとめるんだっけ」


 祖母の着物について考えたせいか、ふとそんなことを思い出した。


 雑学ばかりを吸収してしまう頭をふわりと冷たい風が掠めていく。

 日中は春めいてきたといっても、朝晩はまだまだ冷え込む時がある。

 中学のジャージも勿体ないから着ているだけで、さほど防寒効果があるわけじゃない。


 だというのに窓開けっぱなしで二時間スマホゲー(しかも乙女ゲー)に没頭していた自分っていったい何だろうとちょっとだけ空しくなった。


 それもこれも祖母ちゃんのせいだ。


 内心愚痴りつつ、私はカラカラ窓を閉めてから枕の横に放り出していたスマホ画面に視線を戻した。


 室内灯より明るく光る画面には、真っ黒なドレスに身を包んだ黒髪の少女が王族と民衆に取り囲まれ項垂れていた。

 

 年齢は私と同じ十五歳。

 乙女ゲーム『ラミアーヴァ帝国水物語』に登場するアルワデ=カーデウスというキャラクターだ。

 公爵令嬢であり、この世界では悪役令嬢ラスボスとして名を馳せている。


 そう、ラスボス。

 とてつもなく、期待外れの、がつくが。


「無いわー……これがラスボスとか、無いわー……」


 無いわ無いわと繰り返しながら、私は再びスマホを手に取った。

 仰向けのまま画面を見上げる。


 祖母ちゃんが手紙に書いてまで勧めてくれた作品だけど、なんかやる気失せちゃったし。

 もうここで中断しようかな。


 基本的に本でもゲームでも始めたら最後までやり切る、のがモットーな自分としては珍しい事を考えた。だけど今回だけは別ではなかろうか。そういう事にしておきたい。


「祖母ちゃんには悪いけど……」


 一人呟きながら、スマホのホームボタンを見た。


 明日プレイすればまた気持ちも変わる、とか……?

 いや、同じだろうなぁ。

 

 なんて思いながら、私はそもそも何故今日このゲームをプレイする事になったのかを思い出した。

 

「遺品がゲームって。祖母ちゃんらしいっていうか、なんていうか……」


 そう。

 そもそもこれは、祖母ちゃんがすべてのはじまりだったのだ。

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