バッドエンダー! 悪役令嬢の悪の美学

国樹田 樹

プロローグ 悪役の流儀



「っおのれアルワデ=カーデウス! この、魔女め!!」


怒号が鳴り響いた瞬間。

パリン、と。

誰かが落とした酒杯グラスが砕け散った。


しかし振り向く者はいない。

そんなものより驚くべき光景シーンが今、繰り広げられていたからだ。


「このワタクシが、魔女ですって……?


夜を嘲笑うかのように煌々と光を放つ吊り下げ照明シャンデリアの下、扇で口元を隠した『黒き令嬢』が、血色の絨毯の中心に佇んでいる。


波打つ漆黒の髪は腰まで届き、揃いの黒い瞳は目尻がややつり上がり気味だ。

それが見る者にキツイ印象を与えている。意志の強そうな眉も、彼女の気位の高さを窺わせた。

扇状に長い睫は涙袋にまで影を添え、目元しか見えぬ表情に深みを与えている。


その上、身に纏うのは生地もレースもフリルもリボンまでも、全てが漆黒のブラックドレス。

まさに『全身黒ずくめ』と言って差し支えない令嬢だった。


ただひとつ―――胸元に咲く、一輪の赤い薔薇を除いては。


彼女の足下では、貴族衣装に身を包んだ金髪の青年が膝をつき、歯を食いしばりながらわなわなと震えていた。細面だが目鼻立ちの整った、美しい青年である。


けれど彼が持つ鮮やかなサファイアの瞳は、形を歪め憎々しげに黒き令嬢を捉えていた。


周囲には、固唾を呑んで見守る貴族かんきゃく達が円状に並んでいる。

一種の舞台が、そこに作り上げられていた。


「帝国を乗っ取り、この俺を王座から引き摺りおろした毒婦が……っ!!」


青い目を激情で赤く染め、青年が令嬢に怒鳴り散らす。

そして素早く両手を広げると、地響きとともに足下から膨大な水流を湧き上がらせた。


突如現れた濁流は渦となり、周囲一帯と彼の豪奢な衣装に水の飛沫を飛び散らせる。水滴はまるでスパンコールを散りばめたように、空中でキラキラと煌めいた。


それを見た、場に居並ぶ全ての者が息を呑んだ。


―――ただ『一人』を、覗いて。


「引きずり下ろしたなんて……心外ですわ。まだ、座ってもいない王座でしょう?」


黒き令嬢は轟音を放つ濁流を気にもせずに、青年を見下ろしたまま、冷たい一瞥でもってそう答えた。

青年の奥歯が、ギリ、と強い音を立てる。

彼の瞳は真っ赤に血走り、憤怒に燃えていた。


「っの……!! 身の程を知らぬ女がっ……!!」


吐き捨てた青年が右手を振り仰ぐと、導かれた水流は応えるようにごごごと地を震わせた。

そして水は巨大な蛇のごとくうねったかと思うと、空高くに鎌首をもたげ、令嬢に狙いを定める。


「死して後悔するがいいっーーー!!」


狂気の雄叫びを上げた青年が手を振り下ろす。渦を巻いた巨大な水蛇が令嬢を飲み込まんと一直線に彼女へ遅いかかった。


―――が届く直前、ばしゅう、と破裂し霧散した。


「っな……!?」


音を放ち消えた後には、もうもうと白い霧が漂っている。

文字通り霧となったのだ。

白霧が消える頃、円状に高速回転していた扇がぴたりと止まり、絶句する青年の前で翻った。

元通りになった扇の影で、令嬢の口元が弧を描く。覗くのは、それで? と言わんばかりの眼差しで。


「なっ……炎の魔法扇、だとっ!?」


我に返った青年が驚愕し叫ぶ。

令嬢はそんな彼を冷たく一瞥し、扇を閉じてびしりと突きつけた。長い睫に縁取られた黒い瞳に、すうと細い光が走る。


「魔女? 毒婦? いいえ。違いますわナディム様。ワタクシは―――」


口上の途中で、示し合わせたように会場の大扉から鎧姿の兵士達が足音荒くなだれ込んだ。兵士達は呆然とする青年の両腕を掴み引き摺っていく。

それを冷たく眺めながら、令嬢が再び真っ赤な唇を開いた。


「私は―――『悪役』なのですよ」


くっと酷薄な笑みを浮かべる令嬢を凝視したまま、金髪の青年ナディムは扉の外へと消えた。


「最高の、結末バッドエンドでしたわね」


口端を上げ呟いた後、令嬢の勝ち誇った高い笑い声が、豪奢なシャンデリアの下で響き渡った。


―――『悪の令嬢 アルワデ』―――と。


誰かがそう、呟いた。

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