外典1:私の話、彼女の話

 ここでの生活は、まるでずっと前からそうだったみたいに始まった。


 部屋を渡された。自由に使えるメイドも二人付いていた。正直、メイドは要らなかったけれど、断るのも面倒だからそのままにしておいた。何も言わなければ何をしてくれることもない。


 そうして「生活」が始まった。


 始まったと言っても、べつにすることはない。備え付けられた部屋のソファに座ってぼーっとしているだけ。それで昼が過ぎ、夜を迎え、朝に変わる。ほとんど途切れることなく続いた。


 時折、見る先が変わったり、姿勢を変えたり、立ちあがったりすることもあったけど、意識して行っていたわけではなかった。何の目的もなく体が動いただけだ。


 ただ、この生活にもわずかばかりの起伏は存在した。


 陽が上るころルカが部屋にやって来る。決まった時間に扉があき、決まったことを喋る。数回の来訪を迎えるころには、スケジュールの一部のように組み込まれていたことだけど、実際、私の意志が全く介在しないところからやって来る、変化の類だった。


「やあ、おはよう」

「調子はどうだい?」

「うん、そうかそれはよかった」

「ご飯は食べたかい?」

「そうか、まあ、気が向いたら食べてみればいい」

「必要なものはあるかい? それか、欲しいものは?」

「うん、ないならそれでもいい。でも、なにかあったらエンリョなく言ってくれ」

「それじゃオレは行くよ」


 こんな言葉に私は適当にうなずく。本当にそれだけで、ごく短い時間だったことは言うまでもない。


 しかし、それは砂山から毎日一粒ずつ砂を取り除いていくような行為だったけれど、たしかに影響があったことは言うまでもない。


 私はある日、いつものようにやってきた彼にこう聞き返したことがある。


「やあ、おはよう。調子はどうだい?」


 いつもなら「変わらない」と一言答えるだけだった。でも、この日は、というか数日前から頭の隅に生まれだした疑問が、とうとう思考のほとんどを侵食しかかっていたから、答えを変えてみることにした。


「――悪い、って言ったらどうするの?」


「具合がよくないのか?」


「いや、別に」


「ならよかった」


「ただ聞きたかっただけ。悪いって答えたら、あなたはどうするつもりなのかなって」


「そりゃ、アルルとヴィズを呼んで診てもらうよ。万が一のことがあったらよくない」


「そう」


「どうかしたのか?」


「いや、気になっただけ」


「――でも、珍しいな、そんなことを言うなんて」


「言ったでしょ。気になったからって」


「……そうか」


「もうひとつ聞いてもいい?」


「ああ、構わないよ」


「どうして毎日ここへ来るの?」


「それは簡単なことだ。わからないからだよ」


「わからないから?」


「そうだ。オレにとってお前は予測がつかない存在だからな」


「どういう意味?」


「そのままの意味だ」


「そのままって言われてもよくわからないんだけど……」


「じゃあ、言い方を変えよう。お前がオレの手を離れた存在だからだ」


「あんまり変わってないんだけど」


「かもな。だから、言葉通りに理解してくれ」


「言葉通りにって言われても……」


「そうだな、他に言い換えるとすれば、お前意外のことはすべてわかってる」


「ますますよくわからないね」


「じゃあ、例えばなしををしよう。未来が見えるとして、それは確実にやって来ると思うか?」


「なにそれ。……でもまあ、未来が見えるって言うんなら、そうなんじゃない?」


「ああ。でも、その見える未来は実は大きく二つに大別できる」


「ふたつ?」


「自分の手で見に行く未来と、他人から見せられる未来だ。この二つはたとえ見えた未来だとしても、その未来に対する認識が変わる」


「どういうこと?」


「お前は自分で計算して導き出した答えと、他人が計算した答えを見せられたとき、どっちの方が確証を得られやすいと思う?」


「あー、なんとなくわかったかも」


「ならよかった」


「でもさ、そしたらそれ、言い方を変えれば、私以外は自分で計算してるってことにならない?」


「そういうことになるな」


「さっき私以外のすべてはわかってるって言ったよね?」


「そうだな」


「例え話ってどこまでが喩えなの?」


「たぶん、なんとなく直感しているとおりだよ」


「ルカは未来が見える?」


「そんなところだな」


「そう、なんだ。……じゃあ例えばこのあと私が話そうとしていることとかもわかるの?」


「ああ、わかってるよ」


「これまでの会話で私が答えたことも事前に全部わかってた?」


「ああ」


「じゃあ、今日私がいつもと違った答えを返すことも?」


「わかってたよ」


「全部合ってた?」


「合ってたな」


「じゃあこの後私は何を言うと思う?」


「『もう来てほしくない』か?」


「……ほんとに合ってるんだね」


「理解はできる。来てほしくない理由が、気味が悪いからじゃないことも」


「心まで読めるってこと?」


「できなくはない。けど、これは推測にも近いよ。未来から導き出したことだけどな」


「なんか、わかってて言ってるんだとしたら、余計に気に食わない」


「悪かった。なるべくしないようにはするよ」


「なるべくなんだ」


「これまで自然としてきたことだからな。できないようにもできるが、知ってはおきたい」


「そういうところかな、来てほしくないのは。まあ、わずらわしかったのもあるけどね」


「ひとりがいいか?」


「たぶん、ね」


「メイドは?」


「それは?」


「どっちだとしても答えは一緒だろ?」


「それもそうなんだけどさ」


「ある意味で、理解ができているなら話ははやいと思わないか?」


「そうだとしても、あまり気分がいいものじゃないよ」


「まあ、いまはそうかもな」


「知ってるふうだね」


「知っているからな」


「でもさ、それってさっきの話からすると確信はないんじゃないの?」


「なくても見えてる」


「だから信じる?」


「そうだな」


「なんか理解できないかも」


「かもな」


「でも、いいの?」


「なにがだ?」


「そこは先回りして答えないんだ」


「いやなんだろ?」


「そうだけど……。ま、いいや、来なくていいんだと思って」


「別に固辞するほどのことじゃない」


「でも、毎日来てたわけでしょ」


「ああ。けど、お前に許可も得てないオレの独断だったわけだしな。お前を尊重したいとも思ってる」


「でも、言われるまで待ってたんだ」


「……ああ」


「それ、あんまりいい方法だとは思わないけど。未来が見えるなら、もう少し別のやり方があったんじゃない?」


「案外、そうでもないんだよ」


「そういうもの?」


「確かに手段はいくらでもあった。でも、行きつく先はひとつだったりする。だから、自分にとって都合のいい方法を選んだ。それだけの話だ」


「それでも。私はあんまりいいと思ってないけどね」


「だから、ここで降りるんだよ。いまはわからないだろうが、オレにとってお前は特別な存在なんだ」


「……そう」


「じゃあ、もう戻るよ。話ができてよかった」


「ねえ」


「ん?」


「……いや、なんでもない」



 部屋を出ていく直前の顔を覚えている。どこか悲しげだった。申し訳なさそうにしているのとは違う。ただ、なにかを受け入れたようなそんな表情だ。


 これが私のはじまりになるのかもしれない。

 少なくとも、私という存在はここで意味を持った。

 そして、それは「いま」でも変わらない。

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名前のない神話 十 七二 @10s_

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