2

 城の大ホールは、昨日までとは打って変わった様子になっていた。


 いつもならここは無駄に広い空間が広がっているだけで、閑散としていることが多い。というか城自体が常にそうだ。多数の階層を有し、複雑に入り組んだ構造のせいか、誰かと遭遇することはまれだ。実際、今まで暮らしてきた中でひととすれ違ったことなんて数えるほどしかなかった。


 しかし、今日は違う。ホールを埋め尽くすほどではないにしろ、かなりの人数が一堂に会している。理由はある式典が執り行われるからだ。


 集まっている人々の多くについて私は何も知らない。会話をしたことはおろか、顔を見たことすらない人物が大半だ。


 ただ、彼らの多くから近寄りがたいものを感じ取っていた。というのも、彼らは私がやってきたときから一言も発さず、自身が立っている場所から一歩も動こうとしない。あとからやってきた面々も、そのほとんどが先人に倣うようにして、適当な空きスペースまで歩いてから、石像のように固まる。みな、自分のテリトリーを守るかのようにしてただそこに居続けた。


 とはいえ、静寂がすべてを支配しているわけではない。数人で談笑するような声も多少は聞こえてきていた。静けさを壊してしまわないほどの小さな会話が耳に入ることもある。


 問題はひと際大きな声で話す人物が目の前にいることだろうか。


 私の前にはネフとルカの二人が立っている。ネフが一方的にルカに話しかけていた。それもホール全体にも聞こえていそうな音量で。内容ははっきり言ってどうでもいい事柄だ。これから行われる式典には微塵も関係ない、日常的な出来事の感想を話している。


 ネフの声は少し高めで通りもいい。きっと周囲にはくだらないこの内容が丸聞こえだろう。そのため、そばにいる私はどこか居心地が悪かった。時折、話を振られることもあったから適当に返していたが、どうしても周囲の様子が気がかりだった。


「そろそろか」


 突然、ルカがそう零す。ネフがまくし立てていることなどお構いなしに断ち切る。すると、ネフも当たり前のように何も言わずに話すのをやめた。


 ルカはホールの入り口の方に顔を向けていた。


 ホールに続く、広い通路には二つの人影があった。


 一人は見知った人物でルア。真っすぐに前を見据えて姿勢よく歩いてくる。


 もう一人は、知ってはいるものの、直接的な関係のない人物。それでいてもっとも注目を集める存在であり、今日の式典の主役とさえ言うことができる人物だ。


「それじゃ、ルカのこと、頼んだよ」


 ネフは私に耳打ちをしてそそくさとホールの中ほどへ退散する。彼女にも多少の配慮をするだけの心得はあるらしい。


 ネフの退散に合わせるようにルアがルカの側までたどり着く。一緒に歩いてやってきた男の顔からは明らかな緊張の様子がうかがえた。


「こちらでお待ちください」


 ルアに促されてルカの隣に立つ。一瞬、目が合ったような気がしたが、そんなことは聞けるはずもなくただ後ろ姿を見ていた。ルカと男の間には、なんのやり取りもなかった。


 それから数分もしないうちに式典の開始を告げる女性の声がホール全体に響いた。

 声に合わせてルカと男が歩き出す。合わせるように目の前の閉ざされた扉がゆっくりと手前に向かって開きだした。一本の線が入り、眩しいほどの光が差し込んでくる。私は歩き出したルカの後をおい、光に目を眩ませながら後を追った。


 慣れ始めた視界に飛び込んできたのは、たくさんの人々だ。城の前庭を埋め尽くし、城へとつながる大橋にまで人が溢れかえっている。人波は見える限りの奥まで続いており、端の向こうの街にも数えきれないだけの人々で埋め尽くされているのがすぐにわかった。


 上空では取材用のカメラドローンがいくつも飛び交い、こちらにカメラを向けているのが分かる。


 しかし、これだけの注目を集めることは十分に理解ができていた。なにせこの星に住まう人で、根本的に関係のない人物などいるはずもないからだ。誰にとっても今日はターニングポイントとなりうる、そんな日なのだ。


 広いテラスに用意された二つの豪奢な椅子に、ルカと男が座る。そのすぐ後ろに私が。そして私の後ろには、先ほどまでホールでただじっと待っているだけだった一同が、綺麗に整列して立っている。


 また、どこからともなく、女性の声が聞こえてきた。


「それでは、ただいまより調印式を執り行います」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る