第8話 身代わり婚約者②

 未央みおを替え玉にして篤人あつとが婚約披露パーティーに出席している頃、テニス部は都内随一の強豪校との対戦試合の真っ最中だった。

 ハルからペア解消を言い渡された秀一は、三年生の椎名しいなと組んで圧勝した。


「秀ちゃんのお陰で、引退前にいい思い出ができたよ」と先輩に喜んでもらえて、秀一は照れ臭い。


「オレ、ハルの試合観てきます」


 椎名に断り、秀一はシングルスに出ているハルのコートに向かった。

 対戦相手が有名人なのか、コートの周りには人だかりが出来ている。

 秀一の試合の時もそうだったが、女子の観戦者がやたらと多いのは、夏休みならではの光景だ。

 秀一が近づくと、金網前にいた女の子たちが場所を開けてくれた。

 試合は二セット目に入っていた。


(……ハル、一セット取られちゃったんだ)


「チュウタ!」


 懐かしい呼ばれ方に振り返り、見上げると、甥っ子の賢人けんとが立っていた。


「喜んで下さい」と賢人は満面の笑みだ。「俺、二学期からこの学校に転入します。お祖父じいちゃんが学費出してくれたんです。寮にも入ることになりました」


「そうなんだ」と秀一は、また観戦に戻った。


「なんでもっと嬉しがってくれないんですか! 拗ねますよ!」

「嬉しいよ。でもハルがブレイクされた」

高辻たかつじさんには無理じゃないですか? 相手、ジュニアランキング八位ですよ」

「ハル、調子悪いみたい」

「俺だったら、もっといい勝負になりますよ」

「オレにも勝てないのに?」

「あれから猛練習しました。チュウタは魔女でしょうが、俺は天才ですよ。入部したら、ここにいる奴ら全員、潰しにかかります」

「賢人は中等科の二年だよね。先輩への言葉遣い、気をつけて」

「了解っす」


 最後はハルのダブルフォルトで試合終了となった。


「(……荒れてんな)オレ、ハルのところに行ってくる」


 ハルを追いかけようとする秀一に、女の子が声をかけてきた。


「鷲宮君」


 顔は見覚えあるが、名前は出てこない。

 たぶん同学年のテニス部の子だ。


「今度のミックス大会、ペアになってくれない?」

「……そんなのあった?」

「三年の追いコン試合」


 やはり思い出せないが、断る理由も見つからない。


「いいよ」


 女の子はスマホを取り出した。「LINE交換しようよ」

 秀一とLINEの交換を終えた女の子は、「ありがとう」と笑顔で去って行った。友達なのか、女の子の集団とキャアキャア騒いでいる。


「チュウタ、いいんですか!」なぜか賢人は怒っていた。「あの女、並以上かもしれませんが、チュウタよりブスじゃないですか!」


「賢人、口悪すぎる」

「厚かましいにも程があります!」

「ミックスのペア組むだけじゃないか」

「俺と組んで下さい」

「男ダブに出よう」

「ミックスがいいです」

「(意味わからないよ)ハルの様子見てくる。賢人はまだいる?」


 賢人は口をへの字にしたまま、うなずく。


「戻ってきたら、中等科のコーチと部長に紹介するよ。それまで大人しくしてるんだよ」


「ワン!」


 挑戦的な目つきで女子の集団を睨む賢人を残して、秀一は部室棟に向かった。




 テニス部の部室前には、一年のテニス部員に混じって怜司れいじが立っていた。

 部屋の中から鈍い物音がする。


「ハルが鍵をかけて出てこない」と怜司。「何か壊してるみたいだ」


 秀一はドアをノックした。「ハル、開けて!」

 音が止んだ。

 しばらくして、鍵が開く音がする。

 秀一はそっとドアを開けて中に入った。

 他の部員も入ろうとするが、怜司が止めた。


 薄暗い部室で、ハルはベンチに座っていた。

 ハルの左拳から流れる血を見て、秀一はギョッとなった。

 部室の壁に穴があいている。

 秀一は救急箱を持ってくると、ハルの隣に座って手の消毒を始めた。

 さすがに利き手は避けたようだが、ひどいケガだ。


(オレ達、夫婦だったことがあるんだな)


 こうして手を握っていると、ハルとの過去世が思い出された。

『あの人』に夢中になって、ハルを酷く傷つけた事も思い出す。


(だから秘密を作られるのが、嫌いなんだね)


「オレ、好きな人がいるんだ」


 言える範囲でハルには正直になろうと、秀一は決めた。


「電車に乗って、その人に会いに行った」


 顔を上げたハルは、何か恐ろしい物を見たような顔をしている。


「相手の名前は言えない。そこは許してよ。それからこのことは、誰にも言わないで。その人と付き合っていること、知られたくないんだ」


 ガーゼをしてテーピングをした。

 あとは壁の穴を隠さなければと、秀一は周りを見渡した。

 カレンダーを移動させるかと、立ち上がりかけたら、ポケットに入れたスマホがなった。


 ついさっきLINE交換した女の子からだった。

『今から会わない?』とのメッセージに『今日はムリ』と返信した。


一ノ瀬真子いちのせまこか」


 スマホを覗いていたハルが、低くつぶやく。


「今度、ミックスに出るんだよ」と秀一は立ち上がった。


 剥がしたカレンダーで、壁に開いた穴を塞いでいたら、ハルが突然腕を掴んできた。


「頭、下げろ」


 言われた通り、秀一はその場にしゃがんだ。

 ハルは匍匐前進ほふくぜんしんしながらロッカーに向かうと、壁に背をつけながらロッカー上のダンボール箱を慎重に下ろした。

 そして中から、何やら機械を取り出す。


「それなに?」


 ポカンとする秀一に、ハルは険しい顔をした。


「盗撮だ」






 




 


 

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