第6話 体育倉庫の死体④

 夏休みとはいえ、運動部に所属していると、ほぼ毎日学校に通うことになる。

 その上、秀一は一学期の成績が振るわず、夏季セミナーの受講を担任から厳命された。


鷲宮わしみや君は、基礎からやり直した方がいいね。夏休み中に、これやって」


 くまモンとあだ名される、秀一の担任、巨漢の熊崎はニコニコしながら、中学三年間分が詰まった英数国三教科のドリルを渡してきた。

 一日の分量は相当なものになるが、七月は実家のゴタゴタで手を付けていない。

 そのため、八月に入っての秀一は忙しかった。

 朝練に出て、夏季セミナーを受講して、また部活。家に戻れば宿題が待っている。

 引っ越した正語しょうごのマンションに行く時間も作れなかった。

『今度いつ来るんだ?』との正語からのメールは嬉しいが、身動きが取れない日々が続いている。


 休み時間、机に突っ伏しながら、秀一は考える。

『滅びの魔女』として生きていた前世を思い出した今、自分に数学や英語は必要なのか?

 欲しかった男を手に入れたのに、その男にも会えず、授業を受ける理由はどこにある?


(……でも、くまモンはオレが落ちこぼれるのを本気で心配してくれている……)


 部活は楽しい。くまモンをがっかりさせたくない。

 結局秀一は、この多忙ループから逃げる考えを捨てた。


「おい」


 ハルの声がして、秀一は顔を上げた。

 だがハルは秀一の隣の席の未央みおに用があるようだ。

 一瞬、ハルと目が合ったが、向こうはプイと顔を背けた。

 ハルの横には篤人あつともいたが、秀一はまた机に突っ伏した。


 ハルはこのところ機嫌が悪い。

 秀一がうっかり満員電車に乗った話をしたからだ。


 出無精で家と学校を自転車で往復しているだけの秀一が、いつ満員電車に乗ったのかハルは訊ねてきたが、秀一は『言いたくない』と突っぱねた。

 適当に誤魔化せばよかったのだろうが、友達に嘘はつきたくない。だからといって、正語のマンションに泊まった話は口が裂けてもしたくない。


(ハル、ごめん)


 ハルは秘密を作られるのが嫌いだ。

 それは分かる。

 分かるが、正語との関係が知られれば、正語の立場が悪くなる。

 十九世紀のイギリスにいた過去世を持つ秀一には、恐怖しかなかった。

 

 ウトウトしていたら突然、後ろの席から鮎川あゆかわの声がした。


「それ、やめた方がいいよ」


 秀一はパッと起き上がった。

 相変わらず未央の机の前には、ハルと篤人が立っている。


「馬鹿げていると思わないの?」と鮎川。


 秀一は振り返って、鮎川を見た。「何かあったの?」


 長期欠席が続いた鮎川も夏季セミナーが義務付けられたが、秀一と違いかなり勉強ができる。一学期中は口をきいたことがなかったが、わからない所を教えてもらっているうちに仲良くなれた。


「ハルがくだらない事を、未央にさせようとしている」と鮎川が言うと、「おまえには、関係ないだろ!」とハルが怒鳴った。


 ハルは鮎川ではなく、秀一を睨んでいた。


(……オレ、何も言ってないのに)


 不貞腐れて、秀一はまた机に突っ伏した。

 間もなく大股で去っていく足音がした。

 秀一は薄目を開ける。

 肩を怒らせたハルが教室を出て行くのが見えた。

 続いて「あっちゃん、話がある」と鮎川が篤人を連れて教室を出て行った。

 机に寝そべったまま秀一は、隣の未央に顔を向けた。


「何があったの?」


「僕、王来寺おうらいじくんの婚約者に似ているんだって」と未央が真っ赤になった。「今度、婚約披露パーティーがあるらしいんだけど、その婚約者の人と連絡がつかないから、身代わりになって欲しいって、頼まれた」


「アユは、それを止めたんだね」


 そりゃそうだろう、人を騙すのは良くないと秀一は納得した。


「秀ちゃん、今日は忘れ物ないの?」

「全部、持ってる」


 忘れ物の多い秀一は、筆記具を未央からよく借りる。


「数学の問題やった? 秀ちゃんの列が当てられる日だよ」

「……やってない」


 未央はノートを開いて、秀一に渡した。

 秀一は起き上がった。「ありがとう」と未央のノートを写す。


(未央って、ホント親切だな)


 未央と鮎川のおかげで、秀一は地獄の短期集中セミナーをなんとか凌いでいた。




「バカな事、考えたらだめだよ」


 人気のない廊下で篤人は、鮎川に言われた。


「未央が似ているのは、君の婚約者じゃなくて、再従姉弟はとこ美遥みはるさんだよね?」


「うん。ハルは記憶違いをしている」


 言葉がスムーズに出る。

 ストレスのない環境下で、親しくしている友人となら、篤人は普通に喋れた。


「僕も未央を初めて見た時、驚いた。彼は君の親戚なの?」と鮎川。


「わからない。男が生まれるのは珍しいから、すぐにおばあちゃんの耳に入ると思うけど、聞いたことがないよ」


「本気で、身代わりにするつもり?」


「……未央が嫌でなければ……」


「ボデイーガードが殺されたばかりだし君の家、物騒じゃないか。婚約者にどうして頼まないの?」


 篤人は黙った。面と向かって口がきけたら、苦労しない。

『会って話したい』とのメッセージに、このままLINEで連絡を取り合いたいと返したら、相手から返信が来なくなったのだ。


「……逆に警察の人増えたから、安全だよ」


「自分そっくりな顔見たら、美遙さん驚くだろうね」


「来ないよ。まだ調子良くないみたい。お母さんの方は来るよ。お姉さんの聖麗せいらさんも来る」


「フラれたショックで、病んじゃったんでしょ?」


「でも別の人と婚約したんだって」篤人は手で笑いを堪えた。「美遙さんの婚約者の名前がさ、慈音じおんさんっていうんだよ」


「キラキラだね」と、鮎川はニコリともしない。


「(……ガンダム知らないんだ)そうだね……」


 篤人はちょっとだけ、がっかりした。





 

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