第10話 SILENCE

 理不尽にも、時はめぐり、僕の魂は不愉快な現実へと連れ戻される。

 相変わらず僕は離島の施設で、束縛された生活を送っている。

 「斉藤さん、礼拝の用意するから、来てや-」

 

 ここで行われる、日曜日の、礼拝。

 僕らは、礼拝の時は神父さんの話をしっかり聞かなければならない。説教の最中に眠るなんて、もっての外だ。

 そのせいで、土曜日の夜から日曜の朝まで行われる、ニムロディアスの集まりには僕は基本的に参加できない。というか、以前のトラブルで、施設によってその時間はアクセス禁止にされてしまった。

 職員の元で、パイプ椅子を並べるのを手伝う。つまらなくて、僕にとってはなんの価値もない時間だ。

 「まあ、そうつまらなそうな顔をすんなよ。お前が好きじゃなくても、楽しみにしている人もいるんだぜ?」

 倉田さんが、僕の肩をポンと叩いた。

 「…どう頑張ったって、僕は楽しくないですよ、楽しみなのは倉田さんだけでしょ?」

 「そんなことないぜ、緑くんだって楽しみにしてるぜ、な?」

 確かに、利用者の中にも楽しみにしてる人はいるだろう。だけど…、

 「意味があると、思えないんです」

 僕は、部屋の奥から別の椅子を取りに行こうとした。

 「一回、黙って聞いてみろよ。何か見えて来るものがあるかもしれないぜ?」


 「…というわけで、その時、ペテロはイエス様に対して裏切りともいえるような、そんな行為に出てしまったわけです。ペテロほどの弟子でも、窮地に立たされた時はそういった行為に走ってしまうわけなのですね〜」


 他の利用者の人たちは、真剣に話を聞いていたり、そっぽを向いたり、色々だ。ただ一つ言えるのは、神父さんのこの説教は、やっぱり僕にとっては何の意味もないということだ。

 「…キョロキョロしてないで、ちゃんと説教を聞けよ」

 僕の隣に座る倉田さんがそっと耳打ちしてきた。

 「だっておもしろくないんですもん。倉田さんはおもしろいと思ってるんですか?」

 「ああ、面白いよ。なんてったってあの神父さんもなかなかの変わり者で有名だからな。彼の唯一無二の視点での説教はとても勉強になる」

 倉田さんにそういう質問をするのが間違いだった。

 僕は、めんどくさくなって、ぼうっとすることにした。


 「…そんな感じで、ペテロほどの弟子でもそういったミスをするのですから、私はですね、皆さんもミスをいっぱいしてもあまり気にしなくていいと思うのですよ。大切なのは心ですから。皆さんも、人を愛する気持ちを大事にして、日々を過ごしていただければと思います」


 パチパチと拍手が鳴り、神父さんが手製の紙芝居と共にホールを後にした。

 僕は、後片付けをしようと、いやいやながら立ち上がった。

 「斉藤さん」

 倉田さんに、名前を呼ばれてビクッとなった。何か注意されるかと思ったからだ。

 ところが、倉田さんから出てきた言葉は全く別のものだった。


 「今日、昼過ぎたら裏山に行かないか?」


 僕は、二つ返事で了承した。


           ★


 裏山とはいえ、僕が今登っている山はこの島の最高峰。標高は300m近くある。僕らは頂上までは登らず、中腹の東屋まで行くこととした。

 目的地まで、僕らは黙々と歩いた。

 たまに蜂が目を横切ったり、ムカデの死骸があったりしたが、僕らは気にもとめずに進んだ。

 だけど、東家の少し手前のあたりで、突然霧がかかり出した時は、さすがに僕らは足を止めた。

 それまでとてもいい天気だっただけに、流石に戸惑った。山の天気は変わりやすいとはいえ、ここまで変化するものだろうか。

 僕は、急いだ。雨が降ってくるかもしれないから。

 東家まで行って少し休んで、さっさと帰ろう。

 顔に霧がかかって冷たいが、決して心地は悪くない。

 

 しばらくすると、東屋が見えてきた。

 そして、そこからの眺めに、僕は息を呑んだ。

 近くの山には若干モヤがかかっているが、遠くの海は晴れ渡っていて、雲間から太陽の光が差し込んで、幻想的な光景を生み出していた。

 「すごい…」

 休みの日によくこの山に登るという倉田さんでも、この光景は珍しいようで、少し興奮しているのが見てとれた。

 

 僕らは、東屋のベンチに腰を下ろし、しばらく海を眺めていた。

 

 「…悪かったな」

 「…え?」

 倉田さんは、なぜか謝った。

 

 「…黙って聞けとか言っちまったからさ。あれは、よくなかった」


 「…いやいや、それだったら僕も、何の意味があるのかわからないとか言っちゃったし、お互い様でしょ」

 「…そっか?そうだな、それならもうこの話はおしまいだな!」

 倉田さんは、意外とお調子者というか、楽観的というか…、まあ、僕にはできない気持ちの切り替え方ができて、羨ましいと思う時もある。

 

 「でもやっぱり、倉田さんは優しいですよ。僕があんまりしゃべるの得意じゃないから、しゃべらないでここまで来てくれたんでしょ?」

 「いや、違うけどね」


 倉田さんは、海を見つめた。いつの間にか空は晴れ渡って、遠くの橋まで見えている。

 

 「気まずくて喋らなかっただけだけどね。…まあ、途中から、こういう風に黙って過ごすのも悪くないと思ったけどね」

 「…そっか。まあでも、プラスになったのなら、よかったです」

 

 さっきまでの霧が嘘のように、光が照りつけてきた。僕は、帽子を深々と被る。


 「まあ、そもそも喋らないことも悪くはないからな!逆に沈黙が敬意を示すこともあってだな、ハバクク書の中にもそう書いてあるんだけど、」

 「もう、また聖書の話ですかー?」

 

 そんな軽口を叩き合いながら、僕らは帰路についた。

 

 僕らは、適度にしゃべったり、適度に黙ったりしながら山を下った。

 風の音と、聞いたことのない鳥の声。木々がざわめく音と、遠くの川の水が流れる音。


 施設が見えてきても、それでも、自分でも驚くほど、僕の心は晴れ渡っていた。

 リアルも悪くないな。

 そう、思える一日だった。

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