第3話 バックグラウンド
もはや、それは「第二の産業革命」と言っていい。VRリンクデバイス「EDEN」が開発されたことにより、世界中の人々の生活スタイルはこの数年間で目まぐるしい変化を遂げた。
人々の生活の場が現実の空間から非現実のヴァーチャルへと徐々に移り変わり、今では国内の「EDEN」の普及率は7割強となっている。
それだけ多くの人がこの装置を得ることになった要因として、やはり何といってもこの装置の持つ「手軽さ」と「利便性」があげられるだろう。
使用方法は、丁度眼鏡をかけるように、この装置を耳に引っ掛け、電源ボタンを作動させる、ただそれだけだ。あとは、自動的に〈半睡眠〉状態となり、使用者の意識は現実から、ヴァーチャルの巨大サーバーへと移行する。
そこでは、皆自由に己の分身となるアバターを作り、「思考」するだけでアバターの一挙手一投足をコントロールすることが出来る。また、ユーザー間でのコミュニケーション、数多くのゲームや音楽、映画やドラマなどの娯楽等のショッピングが、これまでに類を見ないほど容易にできるようになった。
また、言うまでもないことだが、この装置によって人々の作業効率は飛躍的に上昇した。それもそうだろう。「EDEN」は古今東西の電子機器が行えることの多くを、たった一つのデバイスを通じて遂行することが出来るのだから。最近では「覚醒」状態で「EDEN」を活用する試みもなされているようで、今後ますます人々の生活は豊かになるだろう。
だが、そんな完全無欠に思われる「EDEN」にも、一つだけ穴があった。
先述した通り、「EDEN」は今現在、数多くのゲームにアクセスすることができるが、このデバイスが産声を上げた直後は、全くもってそんなことはなく、信じ難いことにソリティアやピンボールといった程度のゲームしかプレイ出来なかった。
だが、そんな中、「EDEN」を活用した、恐ろしく高い完成度のVRMMORPGが登場する。それが「グランドクロス・オンライン」だ。
「グランドクロス・オンライン」は、中世ヨーロッパ風のファンタジー世界を舞台にしたMMORPGだ。このゲームでは、プレイヤーは各々の目的を持って自由にゲームに取り組むことができる。例えば、ダンジョンを攻略する、モンスターを育成する、ひたすらに鍛錬を積む、アイテムを生成する、などといった具合にだ。
また、これらはあくまで「グランドクロス・オンライン」の初期の姿に過ぎない。度重なるアップデートによってユーザーの願望は、現時点でほぼ満たされていると言っても過言ではないだろう。
僕とセレーナは、4年前にこのゲーム内の世界で出会った。まだゲーム内の世界が「ルーム」という小規模の区画で区切られていた時代だ。僕らのルームは当初プレイヤーはほとんどおらずスカスカだった。無理もない、あの当時「グランドクロス・オンライン」は大コケすると予想されていたし、実際、このゲームはリリース当初はそこまで高い評価を与えられるゲームではなかったのだから。今でこそ「EDEN」史上最高のゲームと呼ばれることに異論を唱える人は誰もいないが、それも運営の試行錯誤あってのものだ。
また、このゲームに文化省がパトロンとして一役買ったことも、このゲームが成功した一因だろう。結果的に、「グランドクロス・オンライン」は国内のみならず世界的に愛されるゲームとなり、一時は「EDEN」のゲーム市場を独占するまでに至った。
このように大いに盛り上がり発展した「グランドクロス・オンライン」だが、僕とセレーナがやっていることは至ってシンプルで、このゲームが産声をあげた当初と何ら変わっていない。会える時に会って、稽古という名のバトルをして、時間がある時は一緒に映画を見たり買い物に行ったり、他愛の無いお喋りをしたり。
でも、それでいいし、それがいい。
「所詮バーチャルじゃん」という人もきっといるだろう。だが、ここにはここだけのリアルが確かに存在している。
僕らにとってここは、胡座をかいてお互いにリラックスして過ごせる、そんなかけがえのない場所だ。
「斎藤さん、起きてる?パン切って」
「…はい」
…まあ、僕のリアルなんか、見せたくもないけども。
僕のリアルは、最悪だ。
人が出来ることを上手く出来ない、
自分は人よりも明確に『劣っている』と気がついたのは、いつ頃からだろうか。
あまり深くは覚えてはいないが、これだけはわかる。きっと僕は死ぬまでこのままだろうし、死ぬまで自分を好きにはなれないだろう。
6歳の時、僕は上級生と喧嘩になり骨折させた。
10歳の時、僕は先生と口論になり耳に噛みついて出血させた。
僕は自分の感情をコントロール出来ないの人間だと通告され、中学を出た後、親元を離れて田舎の更生施設へと送られた。
更生施設を出た後も観察の継続が必要とみなされ、僕は現在住んでいる施設へと入れさせられた。
ここは離れ小島に建てられた施設で、この施設に住んでいるのは、大半が知的障害の人だ。だけど僕みたいに、精神疾患の人も何人か入っている。
この施設は本当に自由がない。許可を得なければ外に出ることもできないし、そもそも外といっても動けるのは島の中だけだ。だけど、そんな施設の生活にも唯一メリットがある。それは、自分の時間が豊富にあるということだ。小一時間ほど施設の職員の手伝いなどが求められるぐらいで、他の時間はほとんど自由時間だ。
だからこそ僕は、このゲームに没頭した。…というか、このゲームしかやることがなかった。おかげで今ではすっかり古参プレイヤーの仲間入りだ。
「斎藤さん、ありがと。じゃみんな呼んできて、もう入れるから」
「…はい」
…いつまで、こんな時間が続くのだろうか。
そんなことをふと思いながら、食堂の重い鉄のドアを開き、僕は少し眠い目を擦りながらホールへと足を運んだ。
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