あい・マイ

 わたしの番号もまた消されていた。《MY》という二文字は、何かで焼きつぶされ、わたしがもはや《クリプト》の子供ではないことを示していた。

「何も悩む必要はない」とクリフは言う。「俺もそうやってここに来たんだ」

「覚えてるよ、クリフのこと」と私は言った。「他の子のことはすぐに忘れちゃうけど、……クリフのことはずっと、ケビンが騒いでいたもの。クリフクリフって」

 ジープを降りると、砂の中のからわらわらと人間が出てきた。よく見ると「それ」は砂に見せかけたフェイクで、小さな要塞のようになっているのだった。


天然人間ナチュラル機械人間アンドロイドも交じってる。でもみんな志は同じさ。あの連中をぶっ潰す」

 クリフはわたしを抱えて下ろした。ケビンの遺骸は、大柄な男たちが三人がかりでどこかへ運んで行ってしまった。

「ケビンはどうなるの」

「解剖して、分別して、売る」

 わたしは言葉を失った。クリフは言い訳をするみたいに付け加えた。

「そうやって生計を立ててる。アンドロイドの身体は貴金属で出来ているからな。水や食物と交換してもらうのさ」

「ナチュラルと、アンドロイドって、なに」

 わたしは混乱しながら、頭を抱えた。クリフは砂だらけのわたしを見下ろして、「砂を落としてきてからゆっくり話そう」と言った。


 穴の中の人々の中に若い女性はいなかった。年老いた(これも後で知った)女性がひとりいるきりだった。わたしはその女性に、砂を洗い落とされ、首のやけどを手当てされた。わたしは彼女に、股の間から血が出ている話をした。そうすると彼女は目を細めて、奥の方から大量の布を持ってきて、血が出ている間はそれをへ当てるようにと言われた。

「月のものが来るような女はみんな死んでしまったから、大量に余っているんだよ」と彼女は言った。

「つきのもの?」

「子供が産めるあかしだよ」

 女性がくれた衣服は《クリプト》のそれと違って気密性に優れていた。すかすかだった両脇が塞がれていると、少し変な感じがする。でも、これなら砂が入ってこなくていいだろうな、とわたしは思った。新しい衣服は、わたしを喜ばせた。


 きれいになったわたしがクリフのもとに案内されると、クリフは一緒にいた男たちに「人払いを」と依頼した。彼らは素直にクリフの言うことをきいた。クリフはこの「穴」のリーダー的存在のようなのだ。


「アンドロイドとナチュラルについて説明する前に、《電気羊》のことを話さなきゃならない。《電気羊》っていうのは、アンドロイドを極秘に制作している連中さ。俺たちが《クリプト》と呼ばされていたあの組織だよ」

 クリフはろうそくの明かりの中で囁いた。わたしは、黙って彼の話を聞いていた。

「この世界は、アンドロイドの需要が高まっていてね。社会を構成する八割がアンドロイドと言われてる。ナチュラル……天然の人間、……って言い方はちゃんちゃら可笑しいが、そののほうが少ないくらいさ。その数少ない、二割弱の金持ちのナチュラル様が、ナチュラルに限りなく近いアンドロイドを欲している」

「ナチュラルに限りなく近いアンドロイド」

 わたしは繰り返した。「つまりどういうこと?」

「人間のような機械人間が欲しいということさ。家族としてね」

 クリフは吐き捨てた。「家族は金で買う時代だ」

「わたしや、あなたはなぜ、《クリプト》から追放されてしまったのだと思う?」

 わたしはクリフに尋ねてみた。わたしの頭の中には確固たる答えがあったのだけれど、クリフにも聞いてみたかったのだ。

「わたしが、偽物だからだとおもう?」

「いいや」クリフは即座に否定した。「あいつらにとって、不要になったから捨てられたにすぎない。俺も、きみも、そして……俺の弟ケビンも」

 わたしは口をつぐんだ。どこかで解体されているかもしれないケビンの遺骸のことを思った。

「ケビンはなぜ……」

「俺のせいだと思う」

 クリフは言った。「俺が、あいつに『なぜwhy?』を教えたから」


 ――なぜクリフはいなくなったの。

 ――なぜクリフはいないの。

 ――クリフ。


「そうだったの」

「《電気羊》は、作ったアンドロイドにナチュラルらしさを学習させるために、ナチュラルの子供をどこかから連れてきて一緒に育てるんだそうだ。……俺も君も、その被害者というわけだ」

 クリフは自分のやけどの跡を指さした。わたしも、自分の首の包帯に触れた。

「わたしは、ナチュラルなんだ……」

「そう、俺もナチュラルだ」


 そこで疑問が一つ湧いてきた。アイはどうなんだろう? 私の双子の片割れだったアイは、アンドロイドなのか? それともナチュラルなのか?

「じゃあ、わたしの双子のアイは、アンドロイドなの?」

 わたしの瞼の裏には、ブラザー・カインとアイの「あの行為」が焼き付いて離れてくれない。

「あと、ブラザーたちは……?」

「そこまではわからない」

 クリフは首を横に振った。「あいつらがどっちかまでは俺にもわからないよ」


 わたしはそれから、「穴」……《山羊たち》の暮らしのルールを教わった。食事はみんなで一緒に食べること。水は限られた量しかないので、割り当てに従って使うこと……。夜は性別に分かれて眠ること。


「俺たちは山羊、砂漠に生きる山羊さ」

 

 クリフは常にそう言った。わたしは彼の腕の中でそれを聞いていた。クリフはどういうわけか夜ごとわたしたち女性の部屋を訪れたし、老いた女性は何かを得心したようにアンドロイドの女性を引き連れていなくなった。そういうわけだから――夜はわたしたちの時間だった。わたしたちは語りあかしたり、まったく別のことをしたりした。


「マイはアジア系なのかな」

 わたしの後ろ髪を梳くクリフの手は大きい。わたしはたまに、ブラザー・カインとアイのことを思い出した。クリフとの夜の中に、「それ」を見出すことは少なくなかった。だけど、あのときみたいな衝撃はなく、ただひたすらに、砂が風に流されるように、自然なこととして、わたしたちの間にそれはあった。

「アジアってなに?」

「昔この辺り……から東にかけて、住んでいた民族のこと」

「ものしりね」

 わたしはクリフのやけどの痕にふれる。クリフはクリフで、くっついたままのお腹のあたりを撫でて、小さく笑う。

「マイはナチュラルの神秘を信じる?」

「なあに、神秘って」

「昔、女性は子供を胎内でつくれたそうだよ。今じゃ、試験管に細胞をして、育つのを待つだけだけど。大昔はそうじゃなくて……こうやって男女がくっついてさ」

「……どうして今それを?」

 クリフは汗まみれの顔で、わたしの頬にキスをした。

「どうしてだろうね。おばあに訊いてみてよ」

「はぐらかさないで、クリフ」

「つまりさ、試してるんだ、俺は。ナチュラルってやつを……」


 


 わたしがこの《山羊》の穴に来てから三年たったころ、わたしはクリフの子を出産した。女の子だった。クリフは試練を乗り越えたわたしを抱きしめて泣いた。

「愛してるよダーリン」

 わたしはようやく、クリフが何を言いたいか、あるいは言いたかったかが分かった気がした。わたしは自分の中から出てきた女の子を見て、クリフの頭を撫でた。

「あなたに似てるね、この子」


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る