契約



 ふと首を捻って自分の見ている景色を今一度認識してみる。薄明るい空に色とりどりの花畑、小さな妖精達が周りを飛び交い、低い立木には見た事もない果実が実っている。──そう、まさに見たことも聞いたこともない世界だ。そうして俺の眼前には羽根を背に持つ可愛らしい童女がその小さな手を目一杯開いて俺に手を取れと言っている。


 だが彼女は今なんと言った? 精霊の王……だと? そして彼女の願いを叶えろ? はは、一体何の冗談だ。そうか、俺はやはり死んだのだな。故にここが死後に来ると言う場所なのか。


「──あぁ、分かった分かった。ここは死んだ人間が来るってところか。それで、君が俺をどこかに連れて痛ってぇぇぇ! 何しやがるんだテメェ!」


 俺が死を受け入れ、彼女に案内を頼もうと声を掛けながら立ち上がると、有ろう事かこのガキはその小さな手を拳に変え、腰だめに構えて一気に正拳を俺の腹めがけて叩き込んだ。威力自体はそこまでじゃないが、何分拳が小さい為に地味に痛い。


「貴様の耳は垢でも詰まっておるのか?! 一体今の話をどう聞けば、ここがヴァルハラに聞こえるんじゃ!」


 そう言いながら、彼女は頬をプクリと膨らませ、両手を腰に当ててぷんすかポーズを見せつけてくる。


「──違うのか。と言うか、さっきから蹴られたり殴られたりとさっきから地味に痛いな……。あれ? 死んでないのか俺」


「当然じゃ、貴様が触れた水晶はこの精霊界と元いた世界を繋ぐ門の役割を果たしておる。お前はそこに触れ、魔力を感知した水晶が貴様を正式な継承者と判断したからここへ通しただけの事。命を奪うようなことは一切しておらんわ、この大馬鹿者」


 ぷんすかしながらも、俺の疑問にしっかりと答えてくれる精霊王を名乗る童女。名前は……ミリア! そうミリアだ。しかし何故俺は選ばれたと言うんだ? 正統な印がどうのこうのと言っていたような気がするが、いかん。先程の動揺が大きすぎたのか、まともに話を聞いていなかった。


「──あぁ、いやそのぉ。あれだ、一体何で俺がその継承者に選ばれて、ミリアと契約をしないといけないんだ?」


 俺の言葉が余程予想外だったのか、彼女は可愛い小さな口をぽかんとしたまま、暫し瞬きすら忘れて俺を見て動かなくなる。すぐに口をきゅっと結んで俯き、次には肩を震わせ始める。──しまった、まさかここで泣くとは思っていなか──!!


「この痴れ者がァァァァァ! 儂の言葉を聞いていなかったのかぁぁぁぁぁ!」


 突然顔を上げたと思うと、自分の勘違いに気がついた。彼女は傷心したのではなく、激昂して肩を震わせていたのだ。次の瞬間、彼女の背の羽根が輝きながら羽ばたくと同時、可愛かったはずの顔は怒髪天を衝き、目は血走って小さな口の綺麗に並んだ歯を剥き出してそのままの状態で俺の顔面めがけて飛翔した。彼我の距離は数メートル。いきなりのトップスピードで飛び掛かって来る彼女に、俺は避けられるわけもなく、彼女のおでことキッスした。そんな程度で留まる訳もなく、そのままめり込むように鼻を直撃。一瞬で眼の前がスパークし、俺の意識はまた途切れようとするのと同時に、俺の中の何かがごっそりと抜ける感覚が襲ってきて、鼻の潰れた痛みとは別に、悪寒のほうが強くなり、またもや意識が霧散した。



◇  ◇  ◇  



 ──フム。お主が儂の後継者か。せがれとは似ておらんのう。


 何故か目の前には爺さんが居た。一瞬誰だと思ったが、その発言で見当がついた。ベルナンド・フォン・エリスフォード。国家錬金術師となって消息不明になった俺の祖父だ。それに気付いて文句の一つも言おうとするが、体は全く動かない。


 ──あぁ、ここはではない。よってお前に自由はないのじゃよ。……しかし、まさか庶子であるお主に遺伝させるとはのぉ、エレクトラ様も酔狂な事をなさるわい。


 は? 自由がない? 現実でもない? え、今度こそ俺本当に死んじまったのか?! あのちびっこ精霊王、祟ってやる!


 ──ん? 死んではおらんぞ。ここは言うなれば精神の世界。時の狭間と言える場所じゃ。お主とミリア様の契約が成ったようなのでな、見に来たんじゃが、まさか頭突きで契約するとはの、お主はそう言うへきでも持っておるのか?


 んな訳あるかぁ! 大体契約が成ったってどういう事だ? 俺はそんな事をした覚えはないぞ。それに精神の世界とか時の狭間って何処だよ。エレクトラ様って主神様じゃねぇか。俺はアンタが何を言ってるのかさっぱりなんだが? そもそも爺さん! アンタ生きてたんなら何で戻ってこねぇんだよ。


 ──なんじゃ、質問の多いやつじゃのぉ。そんなに急かさんでもきちんと答えてやるわい。まずはこの場所についてじゃが……ふむ、ここは先程言った通り精神だけが居る世界、じゃからそもそも時間というものは存在しておらん。そして儂は既に肉体を持ってはいないので、お主らのいる世界へ戻ることは叶わんのじゃ。


 ……ちょ、ちょっと待て。それってつまりここは……やっぱ俺死んじゃってるじゃねぇか!


 ──じゃから違う! お主と話す為にエレクトラ様にお願いしてお主の精神世界、あぁ、あれじゃ! 夢! 夢の中に今居るんじゃ。じゃから体感時間と現実時間は違っている。故に時の狭間という訳じゃ。


 夢……だと? え? じゃあ、爺さんはもうほんとに死んじまっているって事か?


 俺の問いに爺さんはゆっくり頷くと、何故か薄く笑ってから、滔々とうとうと自身の最期を語って聞かせてくれた。爺さんは家督を息子に譲った後、婆さんを連れてまだ見ぬ素材を求めて未開の地域へ旅立った。自慢の愛車に様々なものを詰め、二人で旅行を楽しむように出掛けていった先は当然、順風満帆とはいかなかったが、ずっと家で魔導具作り三昧の爺さんとやっと出掛けた婆さんにとってはそれは楽しい旅だったそうだ。


 ──儂はな、婆さんとは幼馴染みだったんじゃ。あれは快活な娘じゃった。小さな子供の頃など、朝から晩まで外を走り回って遊ぶような、男勝りな性格の娘だった。それ故、儂のように幼い頃から家に籠もって、オモチャを壊しては直すような事を繰り返す、つまらん奴と思っていただろう。にも関わらず、親の決めた約束というだけで、律儀にも儂の妻になってくれた。──だから、この旅に出て婆さんはいつも笑ってくれておったよ。


 その後も爺さんは何故かずっと昔話を俺に聞かせる。いや、それを今俺に話して何がしたいのか? 分からず、ぼんやりしていると、いつの間にやら睡魔が襲いかかってきた。


 ──そうして儂らは遂に見つけたんじゃ。世界のなり……を、……せる………を。……で──。────。



◇  ◇  ◇



「──は! 爺さんなげぇよ! ……って、ここは?」


 ふと意識が覚醒し、いい加減に聞き飽きたと思い文句を言ってみたが、既にそこは見た事もない場所に変わっていた。やけにふかふかとして肌触りが良いシーツが敷かれており、目線を上げるとそこには天井絵が描かれた天蓋が備わっている。そのまま目線を戻して周りを見やると、自分が巨大なベッドに寝かされている事に気が付いた。ベッドの四方は薄いレースのようなカーテンが引かれ、外からは薄明かりが差し込んでいる。陽の光とは違うと思い、そのカーテンを引いてそこが大きな寝室だと初めて気づいた。壁には大きな窓が設けられ、そこから差し込む薄明かりは天上にかかる満月の明かり。それ以外に光源はなく、部屋は静まり返っていたが、ふと窓から見えた東屋を見て思い出す。


「あぁ、ここは家妖精の屋敷の中か」


 未だ判然としない思考の中で、それだけ呟くと、引いたカーテンを今一度閉め、そのまま俺はベッドに倒れ、すぐさま意識を手放した。



◇  ◇  ◇  



 ──ツン。ツンツン……。何かが頬に触れている感覚がする。が、まだ覚醒に至っていない俺の頭はその部位をボリボリと掻き、寝返りをうつ。すると、何か遠くで声がぼんやりしてくる。


「……さま。──様、そろ………。──い、そろそろ起きて欲しいのですぅ」


 何だか舌っ足らずで甘ったるい感じの声が徐々に覚醒した耳に聞こえ始めた。どうやら誰かが起こしに来たようだ。……ん? 俺は宿にそんなサービス頼んでないし、だいたい宿に子供が居た記憶もない。だがさっきの間延びした声はどう考えても──! そこまで思ってシーツを引っ剥がして跳ね起きる。


「そうだ! ここは家妖精の……」


 飛び起きた眼前に、俺の膝辺りにぺたんと座った童女が一人。俺が急に体を起こしたことに驚いたのか、それとも元からこうなのか、キョトンとした表情でこちらを少し見つめた後、にかっと笑い、頭を下げる。


「おはようごじゃいますぅ」


 彼女が頭を下げると、後ろに纏めたきれいな銀髪がはらりと彼女の肩に落ち、頭頂部に付けたプリムが少しずれてしまう。顔をあげるとそれに気付いたのか、短い腕を頑張って持ち上げて、よいしょよいしょと言いながら、プリムの位置を直そうとしていた。その顔は幼いにも関わらず、目はクリクリとして大きく、瞳は金に輝いている。小さな鼻は筋が通っており、頬はぷにぷにとまるでマシュマロのよう。口は小さいのに桜色をして、とてつもない美少女だった。未だ戻らぬプリムを俺がそっと手を添えて戻してやると、「ふわ」と小さく言った後、こちらを見て満面の笑みで礼を言う。


「ありがとうですぅ、ごしゅじゅんさま!」

「あ、あぁどういたしまして」


 俺の返事に満足したのか、彼女はもぞもぞしながら、ずり落ちるようにベッドから降りると、少しだけだぶついたメイド服の裾を持ち上げカーテシーを披露する。


「あしゃげの準備ができました。ミリアしゃまとともに、食堂にお越しくだしゃい。お着替えはそちらに準備していましゅ」


 彼女はそう言うと再び会釈をして、ドアに向かい、背伸びをしてノブを回した。


「あんな子供が居たのか……」

「──歳はお前様より遥かに上だがな」


 ──コイツ……。本当は起き上がった瞬間から分かってはいた。シーツを引っ剥がした瞬間、自身に寄り添うように、その肢体が目に飛び込んだから。だから敢えてその事には触れず、ただ目の前の童女に集中したのに……。


「……なぁ、何であんたがここに居るんだ? しかも俺と同衾なんて、一体どうゆうつもりなんだ?」


「あんただなどと……つれない事を言う主人じゃのう。昨夜の接触おうせはあんなにも情熱的で、衝撃的じゃったと言うのにのぉ」


 小さな体で無理くり色気を出そうと、しなを作ってはいるのだが、ただくねくねと腰を動かしているだけで、色気もクソも感じない。大体昨日の接触とは何のことだ?


「一体何を言っている? だいたい何をもそもそしているんだ? トイレならさっさと──モガ!」

「お前様はホントにデリカシーも何もない男じゃ! 科じゃ! しな!」

「んな事言われんでも分かるわ! だがお前みたいなツルンのぺたんでストーンな、ちびっこにされた所でなんにも感じねぇ!」


 ベッドの上でぎゃいぎゃい二人で騒いでいると、視界の端に思わず、生唾を飲み込みそうになる肢体が映り込んだ。


「そう! どうせなら、こんな感じの──、え? 誰だ?」


 そう言って振り返った瞬間に、ちびっ子からの二度目の頭突きを喰らい、そのまま俺はまたベッドに昏倒してしまった。



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