邂逅




 彼女の言葉に為す術もないままに、ただぼんやりと俺の足は石畳の上を歩いて行く。心の中でどんなに叫ぼうと口はピクリとも動かず、目線は常に焦点が合わない。呼吸や体に異常があるわけではない、いや逆に言えば先程から何故か気分が落ち着き心の中は晴れやかだ。そんな中で何故イヤダイヤダと叫ぶのか? その事自体に疑問が湧いた頃、俺は開かれた大きな扉を潜った。


 その部屋を目にした瞬間、鼓動が跳ねる。ここはどこの王城のホールだと思うほどに広い。ぼうっと見上げた天井は遥かに高く、とてつもない大きさのシャンデリアがぶら下がっていた。百は優に超える魔導具が揺らめくように優しい光を放ち、この広大なホールの端までをまるで春の日差しのような柔らかい明るさで出迎えてくれる。ふと目線を下ろすと正面向かって左側には螺旋を描く大階段が据えられており、手摺には見た事も無い精緻な細工が施されていた。床は磨き上げられた大理石で埋め尽くされ、そこに歩けば沈むような絨毯が縦横に敷かれている。シャンデリアのちょうど真下あたりに大きく描かれているのは紋章の様で……。



 ──紋章!



 その絵図を見た瞬間頭上に雷が落ちた感覚がした。


「──な、なんでこの紋章がここに……」


 その紋章の柄は中心に百合が描かれ、右上と左下に聖盾、左上と右下には槌が有り、百合の左右には大鷲が羽根を畳んで百合を見つめている。その周りを蔦や月桂樹が絡み合いながら囲み、百合の下には爺さんの家名エリスフォードと縫込みが在る。



 『国家錬金術師』ベルナンド・フォン・エリスフォード。今から約百数十年前にこの国で唯一無二の称号を手にした男。そして有ろう事か俺の祖父。



 遺失ロスト・魔導具マジックアイテム数多あまた産み出し、遂には魔導機関という、魔素を使った動力装置を発明した稀代の天才錬金術師。しかし爺さんはそんな事に全く頓着せず、いつも好きな魔導具作りに没頭していた変態だ。婆さんにいつも叱られながらも魔導具だけは作ったおかげで、貴族の称号を受け、でかい屋敷と俸禄を貰った。しかしそのせいで魔導具作りに拍車がかかってしまい、息子である俺の親父に家督をあっさり渡して自分は婆さんとともに素材集めの旅に出て消息不明になっちまいやがった。


 親父は商才は在ったが、錬金術は普通だった。その為爺さんの残した図面でなんとか魔導具は作れていたが、国からのプレッシャーはとんでもない物になっていく。新作はまだかとせっつかれ、寝る間も惜しんで挑戦したが凡才は天才に至れる事はなかった。いつしか、商売にも影が出始めた頃に娼婦を買い漁り、結果として庶子の俺が生まれた。だが親父が貴族であろうとも、所詮俺は庶子。しかも上には男兄弟が既に何人も居た。そのせいでお袋は端金を受け取って、小さい俺を連れてこの辺境の町外れの村に越してきた。


 そんな事があってか、俺が産まれてもらった恩恵ギフト錬金術アルケミー。だがそんな俺の身の上で、好きにはなれる訳がなかった。お袋はそれでも良いよと言ってくれたが、生活の面で苦労する。なんとか宿屋の食堂で働いていたが、辺境の街に客がそもそも居る訳がない。結局お袋はそのまま心労が祟って、俺が十二の時にぽっくり逝った。一人になった俺は食い扶持を稼ぐために、魔術師になろうと必死に修行したが、相性が悪いのか使えるのは精々が下級の魔術だけ。魔力の保有量は人一倍多いのにうまく扱えなかったのだ。仕方なく、恩恵である錬金術を使って魔導具の修理やポーションなどを作ってみたら、何故かどれも簡単に造ることが出来た。その為冒険者のギルドで、そういった修理やポーションを作る職人見習いとして入ったのが今の冒険者になる切っ掛けだった。



 そんないわく付きの紋章が何故こんな所に在るのか、爺さんや俺の人生に対する色んな感情が入り混じった瞬間、メイドの魅了が解けた。


「──あら、まさかレジストされるとは。何かございましたか?」

「……あぁ、ございますとも。──あの紋章が何故ここに在る?」

「あちらは当家の家紋。当然ですが?」


「……当家?! じゃ、じゃあここはエリスフォード家の屋敷ってことか」


「はい。貴方様もそうですよね。様」


 あぁ、やっちまった。つい気が緩んでしまった。流石に俺は家名など名乗っていないのに……。そんな事を言われたら思考停止するに決まっているだろう。メイドが突然俺のフルネームを真っ直ぐに正視しながら言ってきたおかげで、まんまと二度目の魅了チャームにかかってしまう。


「今はまず、当家の家令にお会いくださいませ。そのモノが全てお話なさるでしょう」


 そう言ったメイドが向きを変えると、またしずしずと絨毯の上を歩き始める。薄靄うすもやのかかったような感覚のまま、俺は彼女の背を眺めるように踏み出していく。


 ホールの突き当り手前で絨毯の上に足を載せたまま右へと曲がり、その先に続く廊下に入っていく。人が優に五人は横並びで歩けそうな廊下を進んでいく途中には様々な調度品が並び、壁には風景画のようなタペストリーまで掛けられている。所々に垂れ幕が下がっていてその全てにあのエリスフォードの紋章が入っていた。そんな廊下を二人で歩き続けていると不意にどこからか視線を感じるが、自分の意志で視線は動かせない為、もどかしい感覚が募っていく。


 一体この廊下はいつまで続くんだと考え始めた頃、前を行くメイドの向こうにとても大きな両開きの扉が視界に入って来る。彼女は何も言わずその扉の前まで進むと足を止めてこちらへ向き直って俺の魅了を突然解いた。


「……っはぁ。この先に家令が?」


 俺の問には答える気がない様子で、扉に向き直って三度ノックをした後、ゆっくりとその扉を開いて俺を招いた。


「……中へどうぞ」


 メイドの有無を言わさぬ気配に気圧され、半ば諦めてその部屋に入ると一瞬目を瞬かせてしまった。


 部屋自体は広く、豪奢では有るが過美ではない。品よく上質な家具や敷物で纏められていた。だが部屋の中央には何故か台座が置かれ、その上には一抱えはありそうな大きな水晶玉が鎮座していた。周りを見回すが人の気配はなく、その水晶玉だけがキラキラと輝き魔導具の明かりを乱反射させている。


 どうしていいか分からずにメイドを見やると彼女は当然のように水晶玉を見つめ、それに触れろと言わんばかりに手を向けている。



「あ、あれに触れれば良いのか?」


 小さく首肯した彼女を見てから、ゆっくりと水晶玉に向かって歩く。見れば見るほど幻想的な輝きを見せるその水晶玉は、まるで早く来いと言わんばかりに。恐る恐る近づき、今一度振り返ってメイドを見つめると、物凄い目で凝視されている。はっきり言って血走った目が怖い。すぐに首を戻して深呼吸してから水晶玉に向き直る。



 ……何だよアイツ、すっげぇ怖い顔して睨んでるじゃねぇか。クソっ……。結局逃げ道はもう無いんだ。触れば良いんだろ触ればよ! もう半ばやけくそな気持ちになっていた。深く考えずにその玉に触れた瞬間、眼の前の景色が一瞬にしてブラック・アウトして気を失った。


「……行ってらっしゃいませ。ご主人さま」



****+****+****+****



「───。 ──……。 ……い、おい、いつまでそこに寝転がっておる」



 意識の外側から可愛らしい声で罵声が聞こえてくる。一体何だと考えてみるが先程までのことがあまりに現実離れしていたために、俺は一体いつから夢を見ているんだと脳が勝手に思考し始める。



 ──考えて欲しい。



 現実世界での俺はもう今年で二十九になるおっさんだ。そんなおっさんが長く勤めていた冒険者パーティをクビにされてしまった。魔術師としては初級、錬金術は出来たとしても素材を集める腕がない。何もかもが中途半端で宙ぶらりん。挙げ句、ちっぽけなプライドと欠片程度の正義感で所属していたパーティへの嫌がらせのような行為をして、追われる身となってしまった。そうして逃げ込んだ深い森の中で見つけてしまった家妖精の家。あれよあれよと流されて、気づけばこんな場所で寝転んでいる。



 ……ははは。そう考えると追われるのも当然──!



 とっくに意識は覚醒していた。だが薄目を開けた瞬間に精神が拒絶してもう一度目を閉じたのだ。……考える時間が欲しかった。いや、考えたくなかった。もう理解の範疇なんてとっくに過ぎて、現実が受け止められないのにも拘わらず、先程の声の主は有ろう事か俺の側頭部をつま先で小突いてきた。


「お前様が起きていることはもう分かっておるのじゃ。いい加減その濁って死んだ魚のようなまなこをしっかり開いて現実をしかと受け止めい」


 最後の砦であった寝たフリも呆気なく看破されてしまった。


「……分かった分かったから。……その握りこぶしはドコを狙っている? お前さんのような小さな拳は地味にキツイんだぞ。男にとっては」


 観念した俺は先程小突かれたこめかみあたりを摩りながら、身を捩るようにして上体を起こし、散切りにした髪の合間からどこを見るとなく視線をぐるりと回してみた。



 ──は? 俺はもしかして死んじまったのか?



 眼前に立ち塞がった童女は視界から敢えて外し、景色を見回した瞬間に顎が外れた感じがする。……そこはさっき迄の部屋ではない。勿論真っ暗な不帰の森でもない。広がっているのはどこまでも続くような一面の花畑。立木は低く、見たことも無いような果実をたわわに実らせている。花の色は正にとりどり。大きさも千差万別で、形もほぼ知らない花ばかりだ。空は何故か薄明るい、というより花たちが発光しているようにも見える。そして極めつけがそこに存在している生き物たちだった。


 手のひらに乗る程の大きさだが姿は人間。背にいろいろな形の羽をつけたそれらがそこかしこに楽しそうに飛び交っている。よくよく見れば四足獣の子供みたいな者も混ざっている。そうかと思えば唯の光球までもが一緒にふわふわ浮いている。皆一様に楽しげにふわふわ飛んだり浮かんだり……。


「……ははは。なんだ、俺は死んじまったのか。あぁ、あの水晶玉に触れた時にこ──いてぇ!」


 とうとう、と言うか当然と言う様に無視し続けていた彼女がその鉄拳を持って俺の横っ面を思い切り殴りつける。……まぁ、音にしてみれば『ポコン』程度だったが。それに俺が大袈裟に反応しただけだ。


「何を呆けたことを抜かしておるんじゃお前様。ここは精霊界じゃ、まぁ確かに生きた人間で直接ここに来れたのは、お前様で二人目じゃがな」


 そう言うと眼の前の童女は自分の背に有る三対の虹色に輝く綺麗な羽根をふわりと広げ、両の腕を組んでふんぞるような格好をしてから名乗りを上げる。


「よくぞ参られた。古の契約者の血を引きし唯一無二の、我の正統なる契約の御印みしるし持つ者よ。さぁ、は我の願い叶えて見せよ! 我こそはこの世界の産まれし日から精霊の王! ミリア! いざ契約を!」



 ──そう言いながら、彼女は俺にその小さな手を差し出してきた。










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