古の契約者

トム

家妖精の家




 ──…はぁ…はぁ…はぁ…クソッ!


 ただ闇雲に木々の合間を縫うように走って行く。既に呼吸は荒くなり、鼓動は早鐘を打つように耳障りだ。少しでも気を抜けば、足は縺れて転ぶだろう。


 胸辺りまで伸びた下草を乱暴に払いながら、振り向く事も出来ずにただ走っていた。



 ──仲間だったんじゃねぇのかよ!?



 昼でも暗いこの森に夜のとばりり、既に眼前は炭を撒いたように漆黒の闇の様相を呈している。そんな闇の中をもはや走ると言うより、足を引き摺る様に進んで行く。



 ………ただ追手から逃げるために。



 ──不帰かえらずの森。



 ここはそう呼ばれていた。この森には高ランクの魔獣やモンスターが跋扈ばっこし分け入ったが最後、如何な高位ランクのパーティでも無傷で帰る事は出来ないとされていた。そんな未開の森にはもう一つ噂があった。



 ──それは森の最奥に有るとされる、一軒の大きな屋敷。



 その屋敷には誰も住んではいない。だがその屋敷の周りは常に綺麗に清掃されていて雑草は勿論の事、石畳の上には土埃の一欠片も無い。屋敷の敷地内には綺麗な庭園が続き、玄関までのアプローチは磨かれたような石が敷き詰められていると言う。屋敷の扉に鍵は無く、許可を得たものだけが入る事を許されるらしい。



 ──家妖精ブラウニーの住まう家。



 だが許可を得られなかった者はその場で樹木に変えられ、その寿命が尽きるまで精気を吸い続けられる。そうして家妖精は自身の魔力と屋敷の維持に使っているのだ。


 この辺境の街では誰でも知ってる噂話だ。……子供を叱るにはもってこいだしな。



 ──何で追手から逃げている最中なのに、こんな事を考えているのか。……はは、その屋敷が俺の目の前にあるからだ。


「……マジかよ、唯のホラ話しじゃぁなかったのかよ」


 そう呟き、足を少し動かしたとき、気付くとソイツはそこに立って居た。



 ──久方ぶりの来客ですね……。ようこそわが家へ。



 漆黒の森の中、どこをどう進んで来たかも既に分からなかった。


 唯、気が付いたら開けた場所に出ていたんだ。まるで導かれているように。




 ──そう、月明かりが照らすこの場所に。




 もう体力の限界だった。……だからこれは俺が見ている夢なんだろう。



 ──月明かりを浴びて輝く金の長い髪。


 大きな目は少しだけ気怠そうで、その潤んだ瞳は透き通るようなアイスブルー。綺麗に通った鼻筋と小さな唇。見た所メイド服の様だが少しと言うかかなり違って見える。大きな胸を強調するようなブラウスと上着。スカートの丈は短く動く度にふわりと揺れる、広がったデザイン。膝上までのレースの靴下をガーターベルトで留めている。


 一言で言えば扇情的だ。思わず前かがみになりそうになる。


「どうされましたお客様?」


 ──グクッ! あざとい! 過ぎるがあざとい! 思わず思考が変になる。あの格好で、小首をかしげるなんて。分かっててやっているとしか思えな──! そうだ! コイツは、こいつがブラウニー! マズイ! このままじゃ俺もこの森の一部になっちまう! そう考えた瞬間、今までの気持ちは嘘のように消え、背中がぞわりと粟立った。


「いや、すまない。ちょいと迷子になっちまってな。ここに屋敷があるなんて知らなかったんだ。……すぐに消えるよ。邪魔したな」



 そう言って俺は踵を返す──事が出来なかった。

 


 俺が話して振り向く一瞬の間に、彼女は俺の目の前に廻り込んだかと思うと、その潤んだ大きな瞳を息が掛かるほどの距離まで近づけて、有無を言わさずこう言った。



「それは大変でしたね。狭い我が家では御座いますが、もてなすくらいは致しましょう。さぁ、さぁ遠慮なさらず」



 ──クッ、コレは魅了チャームか?!


 その瞳に魅入られて全身から力が抜ける、すると彼女の言うがままに俺の意思とは関係なく屋敷に向かい足が動き始める。やばいやばいやばい! このままだと屋敷に無理やり……ん? 屋敷に行く? と思考が動き出した時だった。



 ──ガサガサ! おい! ここは!? ……マジかよ!? 家妖精の屋敷じゃねぇか!



 クソ! アイツら! ここまで追って来やがったのか!


「………あら害獣がいじゅう


 ──え? この女、今なんて言った?


「あ! おい、居たぞ! カインだ!」


 そう言って皆を呼ぶのはパーティの斥候役【鷹の目】テッドだ。


「お? 何だよテメェ……。こんなとこまで追わせやがって。ったく、疲れちまったじゃねぇか」

「けひゃひゃひゃ! まぁお蔭でこんなお宝、見つかったんだからいんじゃね?」


 次いで文句を垂れながら来たのは【剛腕】のゼスト、盾役の男だ、そして下品な笑い声は【暗器使い】のピート。軽業師の軽薄野郎。



 ──ったく、お前は最後の最後まで俺のパーティに迷惑な奴だ。




 ──ギルバート! グッ…このクソ野郎がぁ!!





◇ * ◇ * ◇ * ◇ * ◇





 それはいきなりの宣言だった。いつもの様にギルドの酒場で飲んでいる時、いきなりこいつが言い出した追放宣言。


「なぁ皆聞いてくれ。俺達【鉄塊】は攻撃特化でやって来たイケイケだ。そのパーティに唯の砲台にしかならねえ魔術師マジック・キャスターが要るか?」

「な、おい何だよそれは。確かに俺は魔術師だけど、錬金術アルケミーだってできる! ポーションや魔導具マジック・アイテムだって整備してるじゃねぇか」

「あのなぁ。そんな事で大事な盾役ゼストをいつもお前に付けておかなきゃなんねぇ、俺達の事も考えろってんだ!」

「……クッ、それは」

「だろうが! それに心配しなくても次のあては居るんだよ。ルーキーのシャルって女魔術師とキールって言う野郎の二人組コンビがよ」

「はぁ? 二人も追加するってのか?」

「あぁ? キールってのは剣士らしいからな、俺と前衛を張る。不帰の森の浅層に潜れば奴も一人前になるさ」

「ギャハハハハハ! ギルバート! それじゃバレバレじゃん!」

「は? 何言ってんだよシャルってのは良い身体つきしてんだぜ!」



 ──コイツ、女欲しさに、男を潰すつもりか!




◇ * ◇ * ◇ * ◇ * ◇



「──だから狙いは君だ。彼と君を不帰の森に連れて行く算段を聞いた。そこで彼を前衛にして囮にするらしい。いいか、絶対にあのパーティには近づくな。すぐに別の街に行け」



 ──二人に纏まった金を渡して馬車を見送った。そして噂を流してから俺も消える予定だったのに。ピートに俺が噂を流していることを突き止められてしまった。



◇ * ◇ * ◇ * ◇ * ◇



 ──最後に現れた偉丈夫の名はギルバート。身の丈は二メートルを超える。大剣を扱う剣士で、その大きな筋肉は固くなく、しなやかな柔軟性を持っている。その為に柔軟性と俊敏性の能力も高い。戦闘センスもよくて頭も切れるのでパーティで唯一のミスリルランク保持者。俺が元々所属していたパーティ鉄塊のリーダー。


 奴は俺にそう言いながらも、ブラウニーに視線を固定したまま全員を集める。


「テメェのせいでルーキーどもには逃げられるし、変な噂まで流しやがって。お蔭で俺達まで移動しなきゃなんねぇ。……だからお前には、そうやって囮をやってもらうのが一番似合ってるぜ」


 ギルバートは俺にそう言い、仲間たちと武器を抜く。


「……いいか! 見た目に騙されるなよ! アレは化け物だ! いくぞ!」


 ──おぉぉぉぉおお!


「……害獣は駆除ですね」

 

 その言葉が聞こえた瞬間、彼女の姿はどこにも見当たらなかった。


「どこ行った?!」


 叫んだのはテッド。奴は鷹の目と言うスキルを使い、瞬時に物を見分けて追う事が出来る。その視認距離も長く百メートルくらいなら、瞬時に判断できる程だ。だがその目を使っても彼女のスピードには追い付かなかった。



 ──グキャ!

「グビェ!」ドサッ──。


 暗器を構えたピートの首がねじ曲がり、彼は変な声を出してその場に頽れる。瞳にはもう光が無かった。


「おい! テッド! どこだ? これじゃ動けねぇぞ!」


 盾役のゼストがギルバートと背中合わせで喚き散らす!


「ま、待て! あの女、なんてスピードだ! 見えねぇ! 速すぎる!」


 そう言ったテッドが慌てて、バタバタと動き回って周囲を見回す。


 ──ヒュッ、ザッ!


 一瞬の事ではあったが、確かに地を蹴る音が聞こえた。そこに目を向ける。


 ──ヒュイッ、トン!


 見えた! が、何だありゃ?! 樹を足場に飛び回ってやがる!


 「……」


 俺の視線に気づいたのか、彼女のスピードがまた一段上がる。


「……音だ! 音で追え!」


 ギルバートも気づいたようで皆が動きを止め、ゼストが盾を地面に突き立てる。


 ──イージス!


 ゼストのスキルは盾を起点に周囲に結界を張るスキル。

 この結界を張っている間彼自身は動けないが、盾の周囲に不可視の結界が生成されて彼を守る。因みに中からの攻撃は出来ると言う反則スキル。そう、この結界のお陰で俺はいつも彼の後方から魔術を使って援護していた。今はゼストの後ろにはギルバートが付き、周りを警戒する。


 ──ドゴン!! バキャメキャ!


「「ぐはぁ!」」


「ック……いてぇ。おい!? ゼス……ト」


 結界ごと盾に強烈な衝撃が起こったと思ったら、二人纏めて吹き飛んだ。その衝撃で盾はバラバラに砕け散り、転がった先でギルバートが見たのは、腹に大きな穴が開いて絶命しているゼストだった。



「クソ! やっぱりバケモンじゃねぇかぁ! おいテッド逃げるぞ!」


 そう言って、体を起こして振り返ったギルバートの足元に何かが転がってきた。


「チッ、何が……!」


 苛つく彼の足元に転がって来たモノはテッドの頭部だった。それは大きく目を見開いて、苦悶の表情のまま、開いた口からだらりと舌が垂れていた。


「うわぁぁああ!!」


 あまりに酷いその顔を見たギルバートは、一瞬で戦意を失くし、持った大きな剣を投げ捨てて走り出す。


「助けてくれぇぇええ! いやだ! 死にたくね、げぼぉぉぉぉ」



 ──害獣は駆除です。



 ギルバートの胸を貫通した腕を引き抜き、彼女は一言そう呟いた。


 

 ──何だよこれは? 


 それは実際には五分と経っていない時間の出来事だ。その間に四人の男が死んだ。戦闘なんてものじゃない。ただ蹂躙されただけだ。


 これが……これが俺の居た冒険者パーティの末路なのか…。人に見つかる事もなく、打ち捨てられたコイツらはやがて魔獣の餌になる。



「お待たせいたしました。さぁ行きましょう」


 気付くといつの間にかすぐ傍に彼女が立って居る。


 あぁ、俺の人生もここまでかぁ──。


 彼女の先導で、屋敷の敷地に入って行く。大きな鉄扉を潜り、ふと周りを見ると月夜に照らされた庭園が広がっていた。綺麗に切りそろえられた低木は何かの形を成す様に幾何学的に並び、各所に花が咲いている。離れた場所には東屋が見え、昼にはあそこでお茶でも楽しみたいなと考える。玄関へと続くアプローチには綺麗な石畳が並び、緩やかな弧を描く様に続いていた。玄関の大扉の前に着くと彼女は足を止め、こちらに振り返って一礼をしてこう言った。



 ──ようこそおいで下さいました。いにしえよりの契約を有する御方──




 ──そして大きな両開きの扉は開かれた。


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