第2話

数日おきに近所の雑貨店で水と主食と生のフルーツ、あと相棒のための綿を買い、週に一度は少し足を伸ばしてカフェに行く。

自分の外出パターンはそんな調子だが、住宅街に住む他の者たちはもう少し活発に行動しているようだった。

朝夕問わず角丸耳の社交的な声音が往来に響き、深夜には時々三角耳同士の激しい怒声がぶつかり合う。

住宅街東端の平屋の住人は、特徴のある耳を持たない珍しい種族のようだが、毎朝決まった時間に恐ろしく大きな声で叫ぶので最初に聞いたときは度肝を抜かれた。しかし今はすっかり時報がわりに重宝している。

自分と同じ長耳も見かけたことがあるが、ヒラヒラとしたレースやフリルたっぷりの服で着飾っていたので、使う言語が同じでもきっと何一つ話が合わないだろうとそっと目を逸らしすれ違うにとどめた。


そんなふうに極力関わりを持たない生活を続けていて、顔見知りは雑貨屋の店主とカフェのマスターだけだったところに、新たに縁ができたダダとコゲ。

彼らの言っていた通り、再会は予想以上に早かった。

いつも通りのタイミングでカフェに向かうと、カウンターにはさも当たり前のように二人の後ろ姿があったのだ。



「やぁやぁウータン、先日はありがとう。君の目撃した三角耳の二人はあの後無事に見つけられたよ。ただまあその……とても気が立っていてね、この通りさ」

カフェの扉を開けた瞬間振り向いてそう言ったコゲの顔には、見事な引っ掻き傷が刻まれていて、彼女たちとの接触が容易くはなかったことが察せられた。

「痛そうだな」

「そりゃあまあ。でも、それに見合う成果はあった」

カタンと隣の椅子を引き、コゲが手振りでそこに座るよう促してくる。

他者に慣れていない自分は、その誘導に少し緊張しながら従った。


「……彼女たちは年長の方があずき、もう一人はきなこという名前だそうだ。ただ、あずきの方はもうひとつ名前があってね。あのオムカエは彼女を、そのもうひとつの名前で呼んだ。だから手を取らなかったと彼女たちは言っていたよ」

「オムカエが来た時には名前を呼ばれるものなのか?……困ったな、先日言ったように自分は名前の記憶が曖昧なんだ。呼ばれても気付けないかもしれない」

自分のオムカエを逃してしまったら、ここに永久に住まうことになるのだろうか。

良い場所とも悪い場所ともまだ言えない、なんともぼんやりとしたこの場所に。


「あずきの名前のこともだけど、きなこも興味深いことを言っていた。私達は二人同時に呼ばれるはずなんだと。きなこのことをまるで無視してあずきだけを違う名で呼んだあのオムカエは、自分達のためのオムカエではないとはっきりわかったそうだ。きなこがそう息巻いていたとき、あずきは複雑そうな顔で横で俯いていたけどね」

やはりなかなかの修羅場である。


背中のフードの中で相棒がもぞりと控えめに身じろいだ。

ここに来た時からずっと一緒にいる彼は、自分のオムカエが来たとき無事に一緒に行けるのだろうか。

もし彼だけ置いていかねばならない事態になったら、あずきがそうしたようにオムカエの手を拒絶してしまうかもしれない。


「私たちだってそうじゃないか」

コゲの隣に座っていたダダが、少しの沈黙の後呟いた。

「ウータン君はその相棒君と最初から一緒にいたのだとしたら、私たちとは少し事情が違うのかもしれないけど。私は最初は一人で、この街の中のひとつの家で目覚めたんだ。よく見知った気がする家。ただとても寂しい気がしたのを覚えてる。……ひとりで生活をしていたらしばらくして、外出から帰ったらコゲがいた。よく見知った気がする家に彼がいるのはとても、なんというかそう、とても自然だった。そして、私たちにオムカエが来るときは同時であるという強い確信が芽生えたんだ。きなこさんもきっと同じ確信を持っているんだと思うよ」

一言一言を的確かどうか考えてから口に出すような慎重な語り口に、ダダの中でもこの話題がまだ整理しきれていないことがうかがえた。

「僕があの家で目覚めたときは、ダダの時とは少し違って、なんだか懐かしい気持ちだったけどね。でもオムカエに関する確信は一緒。僕らはきっとここに来る前も、去る時も隣にいるのが自然なんだ」


彼らの話を聞いていると、これも根っこは手放せない服や相棒と同じもののように思えてきた。

コゲが当たり前のように言った『ここに来る前』という感覚が、その根の正体なのではないだろうか。


「ここに来る前をもっときちんと思い出せたらな……」

独り言のようにそう呟くと、二人が目を丸くしてこちらに顔を向けた。

「そうか!結局全部そこに繋がってるんだ」

しかし、自分の来る前の記憶を思い出そうと意識してもほとんど何も思い出せない。どころか思い出そうとする思考にストッパーがかかってるように感じる。


「……どうもうまくいかないな。思い出そうとしてない時には時々何かを思い出すのに」

人差し指でこめかみをクルクルと捏ねる。

「僕も同じ。夕暮れのブロック塀の温度とか、家の網戸から見えるゴミ捨て場にゴミを置きにくる誰かの手の皺とか、なんてことないタイミングで頭に浮かぶ記憶らしきものはあるんだけど」

コゲはそう言いながら、自身の皺のない手を握ったり開いたりしていた。

その手の甲をダダが軽く突っつく。

「長く店を構えてるマスターなら、ここより前の記憶のことを何か知ってたりしないかな」



思えばコゲが三角耳の言葉で話しているのを見るのはこれが初めてだ。

種族本来の言語であるためか、いつもより言葉を詰め込まず落ち着いた話ぶりに見える。

そのコゲの言葉にマスターが答えているのを聞くともなしに聞いていたら、イントネーションやリズムの中に同じ響きが繰り返される部分があると気付く。

何度か同じ音を拾っているうち、それが『記憶』を意味する三角耳の言葉なのだろうとアタリをつけた。

こうやって拾える言葉が増えれば、他種族の言語も簡単なものなら聞き取るぐらいはできるようになるかもしれない。自分はそれに似た経験を既に一度経たことがある、そんな気がした。……これも記憶の断片なのか。



「話してるうちにちょっと趣旨がずれちまったんだけど、なかなか興味深いことが聞けた。マスターが言うには、この街は元々は小さくて簡素な集落だったらしい。マスターはこの店で目覚め、それを当然のこととして看板を出して店を開けたそうだ。長くここにいて記憶らしきものを思い出すこともだんだんなくなってしまったが、集落に住む者が増え、街が広がるようになると、記憶に無いと感じる新しいものや風景が店の外でどんどん増えていったんだと」

「記憶に無い……」

「そう。見知った形ではない屋根、見知った形ではない自販機、見知った色では無い電飾。そういうものには強い違和感があるらしい」



思い出せない記憶と、記憶に無いと感じる違和感。

どこかで繋がりそうなその二本の線はしかし、今は結び目が途方もなく遠い。

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