2 ビッチと失敗

 我がクズミ食堂の二階には、宴会場がある。いわゆるお座敷だ。12畳位はあるそこそこ広い吹き抜けのお座敷で、そこに背の低い長テーブルが二つ。


 いや、こないだまで二つあったのだが今そのうち一つは真ん中でへし折れた状態で、半ば物置きと貸している宴会場の隅っこの方に押しやられていた。


「……なんだアレ。誰か転んで割ったのか?」

「いや、ええっと……」


 僕も現場は目撃してないんですけど、どうやらウチの母が正拳突きでへし折ったらしいです。


 遠い目をした僕を横に、刑部さんは無事な方のテーブル――背の低いそれの横で胡坐を搔き、部屋の中を軽く見まわす。


 それから、その視線を僕に止め、言った。


「なに突っ立ってんだよクズミ。座らねえの?」


 その問いかけを前に、けれど僕は長話する気分になれず突っ立ったままに視線を逸らし、言う。


「話って何?」

「言われないとわかんねえか?」


 わからない、訳ではない。ただ、したくない。

 全部全部失敗してもう、終わった話だ。


 ただ視線を逸らし続けた僕を、刑部さんは頬杖を付いて退屈そうに眺め、やがて言った。


「部室にさ、誰も来ねえじゃん最近。珍しくアタシがサボらず学校行ってんのに」

「………………」

「カナが来なくなるのは、まあわかる。マイも何となくわかる。で?なんでお前まで来ねえんだ、部長」

「…………行かなきゃいけないの?」

「来てくんなきゃつまんねえだろ、アタシが。……お前に一人でジェンガをする空しさがわかるか!?」


 大変よくわかります、僕もやってましたので。


「……積み木になるよね、最終的に」

「あ、やっぱり?芸術的に積む遊びになるよな?アタシ直立で10本積んだぜ?」


 なんで地味に凄いことしてるんだ姉御は。どうして刑部さんはどうでも良いところに凄い技術を発揮してるの?手先起用だから?


 じゃなくて、今のはノった僕が悪いのかもしれないけど……。


「ジェンガの話しに来たの?」

「あ~、……まあ、そうだな」


 どこか曖昧に、刑部さんは頷いていた。

 …………?


「そうだなって……」

「一人で遊んでるのつまんねえから来いよって話をしに来たんだ。カナとマイは結局来る気なさそうだったけど、じゃあお前でも良いやってな」

「二人と話したの?何か……」

「アタシはなんも言わねえぞ」


 ぴしゃりと刑部さんは言い切っていた。

 それから、言う。


「……つうかそもそもアタシあんま関係ないしな」


 その言葉を聞いた途端……だから、会いたくなかったのに。八つ当たりのような苛立ちが、僕の胸中に走った。


「関係ない?」

「だってそうだろ?アタシはごちゃついてる奴らのダチってだけだし?」

「刑部さんが誘えって言ったから、こんな……」

「アタシがなんもしなくてもどっちにしろだったんじゃねえの?お前がはっきりしなくて、カナがイラついて、マイはお堅い。遅いか早いかの違いだろ」


 他人事のように刑部さんは言っている。そんなビッチを僕は苛立ちのままに睨みつける。


「こないだと、言ってる事違くない?今のままで良いって言ってたでしょ」

「そうは言ってねえよ。身の丈に合ってるんじゃねえのって言っただけ。別にどうなるかまでは責任持てねえし、……そもそもアタシが何もかも全部知ってる訳でもないしな」

「そんな、無責任な事」

「他人の恋路まで一々責任取れねえって。……アンタはアタシをなんだと思ってんだよ。母親か?あァ?」

「……………、」

「言い返せよ、クズミ。男だろ?ちょっとはプライドとかねえの?」


 プライド?……プライドなんて、持ってたってしょうがないだろう。僕の人生ではそのプライドには多分傷しかつかないんだから。


「なんでもかんでも逃げてばっかか?都合悪くなったら黙ってりゃ済むか?」

「………………」

「……なら、見切りつけてアイツらも正解だな。玉無しに入れ込むとめんどくさいだろ?」

「………………ッ、」

「お?イラついたか?あんじゃんプライド。で?文句は?ほら、」


 頬杖を付いたまま、どこか小馬鹿にするように、刑部さんは言ってくる。

 それを僕は睨みつけ、……けれど結局視線を逸らした。


「そんなに挑発して、どうしたいの?僕に何をさせたいの?」

「別に、アタシはただ文句言ってるだけだ。アタシの遊び場壊してくれたドMで赤ちゃんプレイ好きなお姫様気取りのサークルクラッシャーに」

「……お姫様?」

「違うか、玉無し?僕選べないよ~、僕を助けに来てよ~。僕の望むように動いてよ~。僕は何もしないけど。…………死ね、クズ」

「…………ッ、」


 吐き捨てる言葉にふざけた調子はなかった。頬杖を付いたまま、刑部さんは僕を睨み上げている。


 それを僕は睨みつけ……接客慣れで押し殺していた感情が表に出るように、言い返す。


「死ねなんて、……刑部さんに言われる謂れはないよ」

「いや、ある。アンタのせいで大切なアタシの遊び場が壊れちまったんだ。アタシのダチが傷ついて、なんかぎくしゃくして、……で元凶のアンタはトンズラ。ふざけんなよ、クズ」

「……ふざけてるのは、そっちでしょう。刑部さんが誘えって言ったから」

「アドバイスはした。それに従う事にしたのはアンタだろ?なんでもかんでも人のせいにしてんじゃねえよ」


 そう言い放つビッチを僕は睨みつけ、一つ大きく息を吐く。

 何でもかんでも人のせい。それは、そうだろう。でも、……だけど。


「……勝手に近づいて来たくせに、何を言ってるの?」

「ハァ?」

「だって、そうでしょう?僕は……僕が頼んでこんな状況になった訳じゃない。そもそも刑部さんが勝手に、僕の部室で遊び始めたから」


 そのおかげで廃部を免れたし、良い思いをした。いや、罰ゲーム抜きでも、普通にゲームしてるだけでも楽しかった。


「朝間さんと、……知り合いになれたのは嬉しかったよ。縁なんてないと思ってたから。関わることなんて、ないって。良い思いもしたしね。でも、……僕が頼んだことじゃない」


 ビッチが勝手に動き回って、そうなったってだけだ。金子さんに振り回されて、朝間さんと知り合いぐらいにはなれて、でも結局だ。


「勝手に近づいてきて、勝手に僕で遊び始めて。……何考えてるんだかずっとわからないよ。なんで断るんだよ、なんで……なんで、断ったくせにそっちがキレるんだ。何なんだよ……」


 苛立っている。苛立って僕から出る言葉は、全部全部、八つ当たりみたいなものだ。言ってて自分で、情けないとしか思えない。


 湧き出たはずの苛立ちが萎んでいく。うまく、怒れない。怒ったことがないから。感情を吐露したことがないから。


 いつもいつも、誰に対しても接客だ、結局。相手の顔色を伺って話した事しかないから、自分の都合でどう動いて良いかわからない。


 苛立っていた、はずなのに。僕は逃げるようにそっぽを向いていた。


 拳を握り締める。苛立ちはあるけれど、その棘はいつも、自分にしか向いてこない。


 そんな僕を、刑部さんはやはり頬杖を付いたまま眺め、言う。


「なんだ、終わりか?もっと言ってこねえの?イラついてねえのか?しねえの、殴りかかったりさ」

「……そんなことしても、意味ないよ」

「意味なくねえだろ?憂さが晴れる。それで良いだろ?……ハァ、調子狂うな」


 そう呟いて、刑部さんは頭を搔いていた。

 もっと感情的に僕が動くと思っていたのだろうか。それこそ、金子さんが僕に興味を持った理由だって、それだった。


 珍獣。水掛けられても殴りかかるどころか言い返しもしないような人間だったから、珍しがった。


 僕が殴り返すような人間だったら?今もっと違ったんだろうか?

 ……意味のない思考だ。今更なんの意味もない。


 ただ視線を逸らし続ける僕を前に、刑部さんはもう一度ため息を吐き、言った。


「ハァ……わかった。お前はこういう奴じゃない訳な。あ~……アタシの事無責任って言ったな。その通りだ。無責任な事を言った。だから今日わざわざ話に来てんだろ?」

「………………」

「アタシもこんなぐちゃぐちゃになるとは思わなかったんだよ。だから償うって訳じゃねえけど、つまんねえからな。遊び場なくてアタシもつまんねえし、……誰も得してないだろ?カナもマイも、アンタも。だから、もうちょっと楽しくやろうぜって話。結局遊び場なくなるにせよ、もうちょっとスッキリさせようぜってアンタに言いに来たんだ。アンタがちょっと男見せたら、もうちょっとスッキリすんだろって話。だから、そうだな。……アタシの遊び場を壊した責任を取れ」


 さっきとは打って変わって、挑発ではなく理性的に、丸め込むように話している。

 それに、僕は疑うような視線を向けた。


 そんな僕を前に、刑部さんはまた頭を搔き、それから腕を組むと、呟く。


「あ~、これでもない?じゃあ……ユーちゃん自分で思ってるよりカッコ良いよ!自信もって!大丈夫、ちゃんと話せばフラれたりしないよ!」

「何を、言い出してるの……?」

「マジ?これ?一番扱い易いタイプだったか、深読みし過ぎたな

 悪びれる様子なく、……男を転がし慣れているんだろうビッチはそんな事を言い出した。


 それを前に、さっき一瞬芽生えた苛立ちを抱え続けるのも馬鹿らしくなって、僕はため息を吐き、漸くテーブルに付いた。


 胡坐を搔いて座り込み、観察するような視線を投げてくる刑部さんを眺め、言う。


「……何がしたいの?」

「今のままだとカナもマイも変な引きずり方しそうだからスパッと終わらせたい。アンタに発破かけるのが一番丸いだろ?アタシ、ノセるの上手いはずなんだけどな……アタシ狙いじゃねえからか」


 そんなことを堂々と言い放つ刑部さんを前に、僕は言った。


「発破かけるって……言われても。今更どうしろって言うの?」

「それを人に聞くなよ。言われると言い訳にすんだろ、アンタ」

「……今更、何しても変わらないでしょ」

「いや、変わる。変わるだろ?だってアンタ結局なんも決めてないだろ?周りが勝手に動いた結果全部ダメになったって、……アンタさっき八つ当たりしようとしてたじゃん?きっかり選んで、その後どうなるかは知らねえよ。けど、アンタの八つ当たりは終わる」

「………………」

「カナにしろマイにしろ、アンタがどっちってきっちり選べばそれでもうちょっとスッキリするだろ。せめて引きずらない失恋にしろって言ってんの」

「……引きずらない、失恋?」

「きっかりフラれて、きっちり終わって、それを笑い話にできる次の相手探せって話。失敗するならちゃんと失敗しろって事」

「ちゃんと、失敗……」

「してねえだろ?だってアンタ、自分は悪くないってさっき言ってたじゃん?……どうせ転ぶなら前のめりに行けよ。挑戦して失敗しろよ。つうかもう、転んでるだろお前。じゃあちょっとあがきゃ良いじゃん。もしかしたらまだワンチャンあるかもしんないだろ?なかったらまあ、別に今とあんま変わんねえし。諦め付くってだけで」


 大分軽い調子で乱雑に言っているが……びっくりするほど建設的な話をしている。

 確かに……僕はもう転んでる。少しあがこうと、今更……そう、今更だ。


 少し失敗が増えても、別に今と何も変わらない。

 ちょっと、前向きになれた気がした。いや、前向きになろうと思えた、かもしれない。


 僕は居住まいを正し、問いを投げた。


「僕は、どうしたら良いの?」

「だ~から。ハァ……どっちか選べって話。その後どうするかまでは口出ししてやんねえよ」

「うん」


 素直に頷いた僕を前に、刑部さんは片眉を吊り上げ、ボソッと小声で呟いた。


「…………これだったか、」


 ずいぶん、男をノせる手札が多いらしい。流石ビッチと言うか、やはり姉御と言うか……ある意味同い年とは思えない。


 こう言う刑部さんの振舞いも、失敗した結果だったりするんだろうか。

 そんなことを思った僕を前に、刑部さんは軽く肩を竦め、それからスマホを取り出すと、言う。


「ただし、手助けはしても良い。アタシが一声かければ呼び出したい方呼び出せるぞ?良かったなクズミ、ダチにイイ女がいて」

「うん。……嫌味にならないの凄いよね」


 なんか凄いカッコ良いよ姉御。僕が女だったら惚れそう……ってなんか変だけど、こういう人格だから朝間さんや金子さんも連れ回されているのだろう。


 なんだか納得してしまった僕を前に、刑部さんは言う。


「で?どっち呼び出す?」


 その言葉に僕は迷う。いや、迷っている訳じゃない。まだ弱気が残っていて、躊躇うだ。

 そんな僕を刑部さんは眺め、それから肩を竦めた。


「別に、急かす気ねぇけど。……決めたらちゃんと挑戦しろよ?また逃げますはなし。うまく行ったらそれで良いし、もし失敗したら……」


 そこでニヤッと刑部さんは笑みを浮かべ、こう言った。


「慰めてやるよ、アタシが。……一回だけな」


 そしてビッチはウインクしてくる。

 うん。言ってる内容完全にビッチ以外の何物でもないんだけど……やっぱなんかやたらカッコ良いな、姉御。


 そんなことを考え、……それから僕は背筋を伸ばし、心を決めた。


 どっちと迷うでもなく。

 ……ちゃんと、言い訳の余地のない失敗をしようと。

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