6章 リトライ

1 モノクロと金髪碧眼

 歪んで、歪んで、歪んで。


 歪み切った末に訪れるのは?破滅である。崩壊だ。歪んだ日常の一角が崩れると同時に全てが連鎖してガタガタと崩壊していき、結果僕に残ったのは……色彩を失った味気ない日々である。


「今年あんまり雨降らなかったよね~」


 教室でクラスメイト達がそんな風に話していた。それをよそに、昼休み。教室の隅で僕は一人、お弁当の包みを開ける。


 もう春雨メインのダイエット弁当ではない。それを頑張って用意して、付き合いで僕まで食べる必要はなくなったから、適当に余っていた食材で作った雑なお弁当。


 それを、一人つつく。


 クラスで誰か、昼食を共にするような友達はいない。別に浮いていると言う程ではない。いじめられている訳でもない。クラスメイトと何も話さないという訳でもない。


 ただ、仲の良い友達がいると言う訳でもない。そんな味気なく色彩の薄い日々に戻ったのだ。元通りのパッとしない日々に。


 一人でお弁当をつつく。


「もう7月って早くね?……夏休みどこ行く?」


 そんな事を言い合っているクラスメイト達の声を、聞くでもなく聞きながら。


 *


 ゲームが終わったその日から数日。僕はあの後誰とも会っていない。


 金子さんはバイトを辞めてしまったから、それでもう会う機会がなくなる。


 昼休みのあの、会議と言う体の時間が無くなれば、朝間さんと会う事もない。


 そして、放課後。

 僕は俯き加減に一人、教室を後にした。向かうのは部室……ではなく、我が家だ。


 あれ以来、僕は部室に行っていない。行こうと思った事がない訳ではないけれど、結局行く気になれなかった。行ったところで誰もいないだろうし、誰もいない部室に一人で行ってどうしようと言うのかと思ってしまう。前は一人であの部室で遊んでいたのに。


 それこそ、あの三人が遊びに来てくれるようになる前までは、だ。


 先輩達が卒業して一人ぼっちになった学校の中で、あの部室で一人で過ごしていた。誰か間違って入部希望でもしに来てくれないかと、ほんのわずかに期待して。


 もう、それをする気にもならない。あの部室に行きたくない。間違って顔を合わせてしまいたくない。そもそも誰も来ないだろうけれど。


 いや、刑部さんは来そうか。姉御だけは我道邁進してそうな気がするが、だからと言って会いたい訳ではない。


 刑部さんと顔を合わせたら、八つ当たりしてしまいそうだ。


 どうして余計な事言ったんだ。何となく遊びたい方誘ってみろって、そう言われた結果がこれだ。


 何となく誘ったら、嫌われて全部破綻した。

 いや、あのキライは結局、照れ隠しだったのだろうか。金子さんは何にあんなに苛立っていたのだろうか。


 僕が中途半端だったから?朝間さんの事が好きって言ってたのに、金子さんを遊びに誘ったから?気だけ持たせてと苛立ったのだろうか。


 嫌われていなかったのだろうか。……そもそも、嫌ってたらあんなに笑わないし、からかおうともしないか。


 振り返れば、そんなことを思う。思うけれど……それこそ。

 言われなきゃわからない。


 ふと視線を感じた。下駄箱の辺りだ。そこに歩んでいく僕に、誰かが視線を向けてきている。


 それに顔を上げた先にいたのは……僕の初恋の人だ。


 帰るところなのだろうか。通りかかった僕に朝間さんは視線だけ投げ、けれど結局何も言わず、校舎の外へと出て行ってしまう。


 それを前に、僕はただ俯いた。


 今更追いかけてもしょうがない。初恋の人だ。好き、だった人である。中学校の頃に遠くから見ていて憧れていた相手。


 ただそれだけ。終わった話だ。あるいは、最初から終わっていた話だったのかもしれない。小悪魔と契約している間に、フラれるフラれない以前に、僕の中で初恋は終わっていたのだろう。


 ごちゃごちゃ、女々しく考える。考えるだけだ。行動しない。したところで、……後の祭りだ。


 僕は校舎を後にした。


 *


 部活がなくなるとやる事がない。朝間さんがそう言っていた意味が、実感と共に僕にも理解できた。


 味気ない。楽しみがない。ただ日常が続いていくだけ。

 だが、夜遊びする程手持ち無沙汰にはならず、僕にはやる事があった。


「いらっしゃいませ!……おひとりさまですか?」


 幼少期から仕込まれてきた愛想笑いは完璧である。

 一人人員が減って、……やはりそこも色彩のない定食屋。


 父は今日も厨房の中で調理に精を出し、母は働く僕に何か言いたげな視線を投げてはいたが、結局咎めるでもなく裏でドラマを見始める。


 ただそれだけの日常である。家の手伝いをして、バイト代と言う名目でお小遣いを得る。


 けど、そうして貰ったお金を何に使えば良いのだろうか。手伝いの頻度が増えていたのは、飲み物やハーゲンダッツ代を手に入れる為である。他にお金を使う宛ては僕にはない。


 前なら、……それで新しいテーブルゲームを買ったりもしていた。先輩達と明らかに地雷臭のするくだらないゲームを見つけて、それを買う資金に当てたりしていた。


 けれどそういうゲームを買っても、一緒に遊ぶ相手がいない。


 だから、何を目標にしているかわからないまま、何を目当てにしているのかもう自分でわからないままに、ただ時間だけが過ぎていく。


「……あのお嬢ちゃんは?最近見ないけど。喧嘩とかした?」

「ええっと……辞めちゃいました」


 常連の神に愛想笑いして、注文を取って裏に伝えて。


 ただそれだけの日々。

 ただそれだけの、事件なんて何もない普通の味気ない日々に、僕は戻ってきた。


 パッとしない僕はパッとしない日々を送る。それが普通だ。このままずっとパッとしない毎日を過ごしていくんだろう。


 元々そうだった。その日常に戻ってきただけ。このままただ、日々が続くだけ。

 僕は気弱で、パッとせず、他人に流されがちで……諦め慣れている。


 何事もうまく行かなくなるような人格の体現者だ。

 だから、これは当然の結末かもしれない。


 そんなことをぼんやり考え続けて、ただ惰性で接客を続けて……そしてまた、店の戸が開く。


「いらっしゃ……い、ませ」


 反射で声と視線を向けた先で、その入ってきた客。

 今日も金髪で、今日もシャツの胸元がはだけて今日も黒い下着が見えている、ビッチ。


 刑部さんは僕を眺めると、腕を組み片眉を吊り上げ、言い切った。


「なんだ、クズミその態度は。アタシは客だぞ!」


 ……やべえヤンキーが僕の日常に殴り込みに来たらしい。


 *


「い、いらっしゃいませ……」

「おう!」

「おひとりさまですか」

「おかげさまでな、サークラ!」


 ……その返し強すぎるよ。

 他人のフリでこの場を切り抜けようとした僕は一瞬で白旗を上げた。


 そしてどうせ騒ぐんだろうと可能な限り隅の方の空きテーブルに刑部さんを誘うと、水を取って刑部さんのテーブルへと戻る。


 そうして戻った僕を横に、刑部さんはメニュー表を眺めて、言う。


「結構色々あんな……。良し、店員さん!とりあえず一番高い奴!お前の奢りで!」

「どうしていちいち奢らせようとするんだ……お嬢様なんじゃないの?」


 思わずぼやいた僕を横に、刑部さんは相変わらず無駄に様になる調子でウインクし、言った。


「あと、……ユキちゃんをご指名で!」

「ウチそう言う店じゃないんで……」

「なんだと……アタシは客だぞ!店長を出せ店長を!」

「なんでわざわざめんどくさい客ムーブするんだ……」


 諸々諦めたような気分で僕は肩を落とした。そして向こうのテーブルの常連の神がなんかハラハラするようにこっちを見ていた。


 あ、大丈夫です。これこないだの奴とは違うんで。

 とジェスチャーで伝えて、それから僕はため息一つ、小声で言った。


「刑部さん、何しに来たの?」

「メシ食いに来る以外何があるんだよ。……で?おすすめは?お、麻婆豆腐あんじゃん。じゃあ麻婆豆腐で。あととりあえず生!」

「未成年にお酒は出しません」

「なんだと、サービス悪い店だな!良し、店長出せ店長!」

「だからなんでめんどくさい客みたいなこと……」


 と、呆れた僕の前で、突如、姉御の動きが止まった。なんかピリッとしたと言うか、背筋が伸びたと言うか、怯えたと言うか。


 そんな刑部さんの視線は、僕の背後の一点に止まっている。

 どうやら、ちょっとヤンチャに騒ごうとしたせいで、食堂最強の生物が早くも降臨してしまったらしい。


 カウンターの向こうに姿を現し、こっちに視線を向けている我が母。良い年して金髪な伝説のヤンキーを刑部さんは暫し眺め、それから僕へと言う。


「誰だよアレ。何あの金髪。なんかオーラヤベぇんだけど」

「母です」

「え、マジ?……ああ、なるほどな。だからアタシに母性を求めたのか」


 母性を求めた覚えはないです姉御。赤ちゃんプレイのくだり記憶から消してもらえませんか?違うからね?


 とか思っている内に、食堂最強の生物はこちらに接近してきたようだ。

 僕の横に立った母は、若干威圧的に刑部さんを眺め、それから言った。


「お客さん。……ご注文は?」


 それを前に、刑部さんは珍しく居住まいを正し背筋を伸ばすと、堂々とこう言い放った。


「麻婆豆腐とユーキ君で」


 その言葉に、母は僕へと視線を向けてくる。この娘誰、と言わんばかりに。


「アタシ、友達なんスよ。ユーキくんと、カナの。だからちょっと話しあって……。出直した方が良いっスか?」


 あの姉御が敬語である。金子さんもこんなだったけど、……ウチの母にはちょっと遊んでる感じの子を平伏させるオーラでもあるんだろうか。


 そんなことを思った僕を横に、母さんは少し思案し僕と刑部さんを眺めた末、こう言った。


「上、使いな。……宴会場」


 そして、母さんは厨房へと戻って行った。

 それを僕は見送り……やがて、プレッシャーから解放されたのか。


 刑部さんは「ハァ、」と一つ息を吐くと、何やら財布を取り出し僕へと尋ねてくる。


「クズミ。……麻婆豆腐って幾ら?」


 どうやら姉御は我が母を見て、僕に奢らせるのをやめてくれたらしい。

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