5 最悪の告白

 金子さんが出て行ってから、一端、刑部さんが部室に戻ってきた。金子さんがどういう状況なのかは言わず、『とりあえず任せとけ』だけ言って、金子さんの下着を回収して去っていく。


 それで朝間さんも自分の恰好を思い出したのか。

 とりあえず背を向けた僕を前に、脱いでいたモノを身に着けに行く。


 もう、……終わりなのだろう。そう言う過激な、誰にも褒められないだろう諸々の遊びは。


 僕は、遊ばれている気分だった。ずっと、弄ばれてる気分だったのだ。


 だが、いつの間にやら僕も、そうしようと思っていた訳ではないけれど、他人を弄んでいたのだろうか。


 俯くように考え込む僕の背後で、椅子が鳴る。朝間さんがまたテーブルに付いたらしい。


 そちらへと振り返った僕を、朝間さんは少し咎める雰囲気で眺めていた。

 それを前に、僕は逃げるように俯く。


 暫く、部室に沈黙が下りた。僕は何も言わず、朝間さんも何も言わず……やがて、口を開いたのは朝間さんだ。


「私の事、……その。好きだったの?」

「……うん、」


 僕は頷いた。

 告白に近い状況だろう。だと言うのにそう言う緊張はなく、高揚もなく、やはり咎められているような気分で。


「なんで?」


 朝間さんの問いが重なる。なんで?……連なる言葉は、なくても明白だろう。

 僕は答えに迷いまた俯き、それから、どこか諦めたような気分で、言った。


「関東大会で」

「来てたね、応援」


 呟く朝間さんを前に、僕は思わず視線を上げる。

 そうしてぶつかった朝間さんの視線は、冷静で……そしてどこか困っているようにも見えた。


「知ってたの?」

「見えたから。同じ学校の子。応援されてたから、頑張らなきゃって思った」


 ぽつりぽつりと、思い起こすように朝間さんは呟いていた。

 それを前に、僕は言う。


「ゴールした時、手、振ってくれた?」

「うん。……嬉しかったし。私陸上部で浮いてたから、マジメにヤリすぎて。関東行ったのも私だけだったし、部員も来てなかったから、応援来てくれて、頑張らなきゃって思って、……それで決勝に行けたから」

「そ、そっか……」


 僕は呟いた。ちょっと、嬉しかったのだ。喜んで良い状況じゃない気がするけれど、思い出の話が出来て嬉しかった。認識して貰えていて。


 だから、僕は言葉を継いだ。


「その。……僕、将棋部で。部室から、陸上部の練習見えて。しんどい事どうして一生懸命やってるんだろうって、思ってて。あの……話した事なかったから、僕、朝間さんの事クールな人だと思ってたから。応援に行って、ゴールして、飛び跳ねて喜んでて、それで……」


 そこで僕は言葉を切り、俯き加減に躊躇いながら、それでも言葉を継いだ。


「可愛いって思ったんだ。その時、だから……」


 だから。それに続く言葉を、僕は口にできなかった。いやそもそも、だからの次に何を言おうとしたのかも、僕には自分でもわからなかったし、続く言葉を纏める必要もなかった。


「久住くん」


 僕の初恋の人は、僕の名前を呼んだ。それに吸い寄せられるように視線を向けた僕を前に、朝間さんはどこか寂しそうに、言った。


「その子、私じゃないよ?」

「え?そんなはず……」

「その子、もういないよ?怪我していなくなった。知ってるでしょ?」

「…………………」


 知っている。怪我をしたことも。それに落ち込んだことも。怪我が治った後、もう一度頑張ろうとしていたことも。そして、


「頑張って、頑張って、頑張って、……夢中で走ってた子はもういないよ。怪我して、治ったけど……タイム戻らなくて諦めたから、違うよもう。久住くんが可愛いって思ってくれたのは、私じゃない」

「そんな事……」


 言いかけた僕の言葉を遮るように、寂し気な目のままに、朝間さんは言う。


「部活なくなるとさ。何して良いかわかんなくて。暇でしょ?家にいても小言言われるだけだったしさ、夜とかその辺フラフラしてさ。夜中駅前とかにいるとね、男の人が声かけてくるの。ごはん奢って貰えるんだよ?一緒にカラオケ行ってお小遣い貰ったりさ。お金の使い方わかんないんだけど」

「………………っ、」

「久住くんが可愛いって思った子、そう言う事しないでしょ?」

「…………でも、」

「でも、何?」

「……………」


 問い返されて黙り込んだ僕を、朝間さんは静かに眺めて、言葉を継いだ。


「別にエンコーまでは、行かなかったよ?連れ込まれそうになった事あったんだけどミカが止めてくれて。その後ミカにくっついてフラフラしてるの。特にやりたい事見つかんないし。また、何かを頑張れる訳でもないし。またなんかやっても結局ダメになる気がするでしょ?だから、何にもしたくない」


 淡々と続く言葉に、僕はただ俯き続ける。

 俯く僕を眺めたまま、朝間さんは続けた。


「恋人とか、欲しくない訳じゃないんだよ?でも、……男の人力強いからさ。ちょっとだけね、怖くて。だから、最初握手とかだったでしょ、罰ゲーム。それも私嫌だった。でも、久住くんもなんか怖がってそうだったし。口裏合わせてくれてたし。なんか、久住くんの事は怖くなかったんだ」


 淡々と続く言葉に、僕は視線を上げた。

 そんな僕を静かな瞳で眺めながら、朝間さんは言う。


「だからね。最近ちょっと思ってたの。久住くんの事好きになっても良いのかなって。デートとかしてみたら、楽しいのかなって」


 そこで言葉を切って、それから朝間さんは僕を見据えたまま、言葉を継いだ。


「だから、……付き合ってみても良いよ?久住くん、私と付き合いたい?」


 その言葉に、僕は頷けなかった。いや、頷いて良いかどうか悩んだが正しいだろう。


 そしてそこで悩んでしまった時点で……もう、この話はお仕舞いだった。


「やっぱり。……私じゃないじゃん」


 呟きと共に、朝間さんは立ち上がった。


「あ、……」


 何を言って良いかわからない。何を言いたいのかも、自分でわからない。

 ただ曖昧に声を上げ、僅かに手を伸ばした僕を、朝間さんは静かに眺めて、言う。


「あの……ありがとね、久住くん。お弁当作ってくれて」

「え……」


 僕はただ呟くだけだ。どうして今その話が出たのか、わからない。わかりたくない。


 ただ見上げる僕から、朝間さんは視線を逸らした。


「残酷って言ってた意味、今わかった。でも……言ってくれなきゃ、わかんないよ」


 そして朝間さんは最後にそれだけを告げて、僕に背を向け、歩み去って行ってしまう。


 それを前に、僕の腰は少し浮いた。けれど結局追いかけることなく、僕はその場に俯く。


 追いかけなくて良いのか?追いかけるのか?さっきの金子さんの事は追いかけなかったくせに。


 僕は、……誰を追いかけたいんだろう。いや、もう、追いかけたところで、なのだろうか。


「………………、」


 僕はただ、頭を抱えた。悲しくない。……そこまで感情が付いてこない。


 ただ、終わった事だけは、わかった。

 そう、僕の初恋は、多分今……終わったのだ。


 ……限りなく最悪に近い形で。

 

 

 気づくと日が暮れて、いつの間にやら夜になっていた。

 夜の最中僕は一人、俯き歩く。


 考え得る限り最悪の失恋だ。酷いフラれ方だ。ありがとうって言いながらフるなんて。いや、フッたのは僕の方なのか。


 こんなはずじゃなかった……心のどこかで、そんなことを思う。


 後悔だ。誰かが、そう……刑部さんがこの間言っていた、一般論の通り。はっきりしないと結局後悔する。


 どうすれば良かったのだろうか?


 ……もっと早く声をかければ良かったのだろう。機会は幾らでもあったはずだ。中学の頃から、僕は見ていた。練習を。怪我を。怪我が治ってまた頑張ろうとする姿を。


 ……諦めてしまったのだろう、その瞬間を、部室から見ていた。


 一人残って練習していた朝間さんが走るのをやめてしまった瞬間を。走り切らずに、とぼとぼ校庭を後にしていく姿を。


 それを見て僕は部室を飛び出た。下駄箱まで行った。俯き歩み去っていく朝間さんを追いかけようとしたし、何か声を掛けたいと思って、その背中が見える所まで行った。


 けど、僕には意気地がなかった。結局、声を掛けられなかった。


 その時。いや、その後も幾らでも。行動しようと思えばできたはずだ。

 でも、しなかった。その結果が今だ。


 告白すら、他人に言われて初めて始まる始末で、そして酷いフラれ方をする。


 金子さんが余計な事を言わなければ……なんて、文句を言える立場じゃない。

 金子さんの事も困らせてしまった。泣かせてしまった。僕が、逃げ腰だったから?僕が嘘つきだったから?いや、嘘を吐いたつもりはない。朝間さんが好き、だったのだ。


 いつからか、最初に口にしたその言葉が、嘘になってしまっただけだ。


 一人夜道を、帰路を歩む。帰るのが嫌だった。帰ったら、金子さんがいるかもしれない。


 あの様子で今日バイトに来るとは思えないけど、帰ったら顔を合わせる気がした。

 その時、何を言って良いかわからない。


 朝間さんにフラれたと言うか。それを言って、どうなるんだ?金子さんは笑うか?笑って欲しい気がする。からかう調子でクスクス笑って欲しい。からかう調子で、励まして欲しい。


 女々しい話である。あまりにも、女々しい。


 結局全部罰なのだろうか。良くない事だと思いながら、下心に負けて罰ゲームをエスカレートさせた罰。その気なく、小悪魔と契約した罰。心のどこかで状況を楽しんでしまった罰。


 そして、そう言うあれこれ。僕の女々しい考えが、状況が、全部全部終わったと、逃げる足取りで帰り着いた我が家で、僕は知った。


 母さんは言っていた。


『カナちゃん、バイトもう辞めるって。アンタ、なんか聞いてる?』


 その言葉に、女々しい僕はショックを受けた。


 この期に及んで、僕は……金子さんはいなくならないでくれるだろうと、期待していたらしい。


 そして、ショックを受けたと同時に、僕は漸く逃げ続けていた自分の本心に、巡り合った気がする。


 僕は今日、失恋したのだ。

 …………1日のうちに、2回も。

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