5章 僕とビッチとゲームの終わり
1 変わる立場と照れ隠し
『ユキちゃん。キライ』
小悪魔はそう言っていた。マスクのせいで表情はわからないが、キライらしい。嫌われた、らしい。
なぜ?どうして?良い雰囲気……ではなかったかもしれない。けど断られるとも思ってなかったし、まして嫌われる理由に心当たりなんて……。
「……みくん?久住くん?」
「え?」
呟きと共に視線を上げた先。お弁当箱を膝に置いた朝間さんは、どこか呆れたようにこう言った。
「だから、……どうだった?ミカとのデート。楽しかった?」
金子さんにフラれて一夜明けた翌日の昼休み。僕の手作りダイエット弁当を今日も膝にのせている僕の初恋の人は、昨日僕が行ったビッチとのデートの内容が気になっているらしかった。
……嫌われる理由に心当たりなんてないな!
いや、まあ、うん。はい。そうですね。むしろ好かれる理由の方がないような行動取ってますね僕は。今の状況が既に嫌われる理由の筆頭候補に挙がる気がしないでもないけどでも、……金子さんだってこの状況はわかってるじゃないか。
ていうかむしろ金子さんが誘発した結果がこの状況のはずなのにキライって理不尽過ぎませんか小悪魔。キライ?
「嫌われ、てた……?」
「え?……嫌われてた?ミカに?」
朝間さんは不思議そうにしながら春雨を口に運んでいた。
……心の声が漏れてしまったらしい。
「いや、ええっと……。ごめん。何の話だっけ?」
と順調にクズの道を邁進していく僕を、朝間さんは少し呆れたように眺めて、それから言った。
「だから、……デートってどんななのかなって。楽しかった?」
「あ、うん。……楽しかったです」
「どうして敬語なの?……まあ、そっか。ミカ楽しませるの上手いだろうし。それで、どんなだったの?プール?泳いだ?ウォータースライダーとかあった?」
朝間さんは興味深々とばかりに問いかけてくる。それから、ちょっと言い辛そう小声で、こう問いを重ねた。
「……ヤラしい事とか、した?」
してません。……と言い張ろうにも僕の黄金の右手はぬくもりを知ってしまっている。
視線を外した僕を眺め、朝間さんはどこか気恥ずかしそうに、小声で問いかけてくる。
「……最後までしたの?」
「いや、あの。……胸触っただけです」
だけなのかそれ。やっぱりなんか僕の倫理観狂ってるな、いよいよ。
とか思った僕の前で、何やら興味深々なのか、朝間さんは問いを重ねてくる。
「触った……。プールで?」
「いや、プール。結局行かなくて……ボウリングしました。なんかプールの気分じゃなかったらしくて、刑部さんが」
「ボウリング……罰ゲームで、触った?」
「はい」
厳密に言えば違うが僕はそういう事にしておこうと思った。何となくだが、姉御なら適当言ってても合わせといてくれるんじゃないかって言う変な信頼感が僕の中で生まれていた。
そんな僕を前に、朝間さんはふと、胸を隠すように腕を持ち上げ、呟く。
「じゃあ、……もしかしていよいよエスカレートするかな?」
「いや、どうだろう」
もはや下着を見せるだけじゃ刺激が足りない!……と、刑部さんが言い出すかと聞かれると、そんな事ない気もする。
そもそも刑部さん的には、あの罰ゲームは僕が誰に興味を持っているのか確かめるためにやっていたみたいだし、昨日話の流れの中でだけど、朝間さんが嫌がっていると姉御には伝えた。
刑部さんは頼んだらヤらせてくれる女と名高い。頼んだら僕の呼び名を改めてもくれたし、朝間さんが嫌がっていると伝えたらエスカレートさせようとはしない気がする。
そう考え込んだ僕を、朝間さんは暫し眺め、……それからため息と共に呟いた。
「まあ、良いかな。別に、エスカレートしても」
…………え?
「あの、……エスカレートしても良いって、どういう」
「だって見るのも触るのも結局久住くんだし」
「…………え?」
僕なら、良いの?見るのも触るのも?やっぱり朝間さんも、僕と同じようにあの空間で倫理観がバグっているのだろうか。
そんな思考と共に思わず視線を胸に向けた僕を前に、朝間さんはどこか拗ねたような表情で自身の胸を軽く抱くと、こう言い切った。
「見たフリとか、触ったフリとか。……してくれるよね?」
「あ、はい……」
また口裏合わせてくれるよね、と言う期待と言うかプレッシャーが初恋の人から放たれていた。
それを前に気圧される、程ではないがまあ普通に頷いた僕を、朝間さんは暫し何も言わず観察し、それから一口、お弁当の春雨を口に運ぶと、呟いた。
「別に、フリじゃなくても良いかな」
「……え?」
「でも、やっぱりイヤかも……」
「…………ええっと?」
どうしたんだろうか、朝間さんは。なんか言ってることがブレブレと言うか、妙にぼんやりしていると言うか、割に思考は巡っているらしく、何やらじっと僕を観察し続けている。
…………?
「あの、朝間さん?どうかした?」
とりあえず問いかけてみた僕を朝間さんはやはり眺めて、それから言った。
「プール。行かなかったんだよね?」
「うん。そうだけど……」
「じゃあ、優待券って余ってる?」
余ってます。少なくともまだ使ってはいない。が、……何となく、僕はそう言いたくなかった。
『ユキちゃん。キライ』
夜道で小悪魔が口走った言葉が脳裏をよぎる。そう、もう断られているのだ。
プールに行こうと金子さんに言って、返事がキライ。だから、優待券を使う宛てはない。
余っている。けれど……。
そんな諸々を女々しく考え、どう答えようか迷った僕を前に、朝間さんは言う。
「もし、余ってるなら……」
いや、言いかける、だ。結局、朝間さんの言葉は途中で止まっていた。
言葉だけでなく朝間さんの動きまで完全に止まり、また暫し、僕を観察し始める。
と、思えば次の瞬間、朝間さんはふと視線を泳がせ、それからため息を一つ吐いた。
そしてまた僕へと視線を戻すと、どことなく呆れたような表情を口元に、朝間さんは言葉を継ぐ。
「……カナの事誘ってみたら?ほら、この会議の目的通り、エスカレート回避のためにさ」
何か言葉を飲み込んだのだろうか。そんな気がしながらも、僕は「うん」と曖昧に頷き、それから、そうだ。
言い訳を見つけたような気分で、こう言った。
「実は、もう誘ったんだ。あの、……罰ゲームなしにするために、さ」
自分がどんどん酷い嘘つきになっているような気分である。
我ながら完全に八方美人だ。僕の気質と言うか、接客し続けた結果と言うか……いつもいつも、目の前の誰かに言い訳をしている気がする。
そんな僕を前に、朝間さんは「ふ~ん」とだけ呟き、また春雨を口に運びかけ……と思えば次の瞬間、だ。
朝間さんは結局春雨を口に入れる事なく、突如として前のめりに身を乗り出した。
「え!?誘ったの?カナを?クズミくんが!?」
「あ、うん。一応……」
「へ~……やるじゃん久住君!」
「あ、うん……」
なんか褒められた。……朝間さんもなんか結局、スタンスと言うか考えていることが良くわからない。罰ゲーム回避のために僕が貢献したから、褒めてくれたのだろうか。
だとしたら結局、褒められるような結果にはならない。
「でも、あの……結局断られちゃって」
「え?嘘だ……ホントに断られたの?なんで?行かないって言われた?ていうか、どんな感じで誘ったの?いつ?どういう風に?なんて言ったの?」
なんか朝間さんがめちゃめちゃ前のめりである。興味津々と言うか……恋バナに食いつきだしているのだろうか。じゃあ、さっき言いかけた言葉はなんだったんだ?
良くわからないながらもとりあえず聞かれたことに答えようと、僕は昨日の夜を思い出し……。
『ユキちゃん。キライ』
………………。
「なんて言ったかとか、あんまり覚えてないんだ。緊張してたから。誘ってはみたんだけど、そしたら、キライって言われちゃって」
「照れ隠しで?」
間髪入れず、朝間さんはそう言ってきた。
……照れ隠し?
「いや、そんな事……」
「照れ隠しじゃないの?めちゃめちゃ安全な小動物だと思ってた久住くんが突然攻めてきたから逃げ腰になったんじゃない?びっくりして」
びっくりした?金子さんが?そう、なのだろうか?
……ていうか朝間さん今小動物って言ってたけどもしかして僕の事そんな風に思ってたの?
と、考える僕を前に、朝間さんは続ける。
「多分そうだよ。だってカナ行きたがってたじゃんプール。こないだウキウキだったし、あの、“クズミ君危機一髪”の時。運ゲーに逃げてたし」
「でも……え?だって、金子さんってその、ええっと、」
“ヤリ捨てのカナコ”とはちょっともうなんか、言いたくないな。
「百戦錬磨だろうし、ちょっとデート誘われただけで照れたりする?」
「初めて本気になってるとか?」
「ええっと、どういう……」
「だから、……カナ、モテるじゃん。なんか、バイト先で言い寄られるらしいよ。それでめんどくさいからとりあえず付き合っておくとか、」
……その話あんまり聞きたくないな。いやまあ、事実なんだろうけど。
それに、だ。
「言い寄られてるなら、それこそデートに誘う位で照れるの?」
「だから今回はどうでも良くないんじゃない?本気だから、逃げちゃったとか?」
「……どうして本気だと逃げるの?」
「なんで?」
「なんでって……」
なんでってなんだ?なんで僕は今問いに問いを返されたんだ?なんでって、なんで?
なんか、わからない。何かがわかったような気がした直後にもっと良くわからなくなっていく。
結局、金子さんは照れ隠しで逃げたのか?照れ隠しでキライって言われたの?
う~ん。言われてみると、その可能性もあるような気がする。いや、あると僕が思いたいだけなのだろうか。
結局、だ。結論はわからない。わからないと言う結論に首を傾げた僕を前に、朝間さんは突如元気よく言った。
「良し!……久住くん。私決めました!」
「うん……何を?」
「私は言い訳になろうと思います!」
「……言い訳?」
「そもそもこないだはミカに全部持ってかれちゃったけど……決着ついてないし。今日は逃がさない!」
何やら決意に溢れた様子で朝間さんは宣言すると、勢いよくダイエット弁当を口に運び出した。
そしてペロッとそれを平らげると、「ごちそうさまでした!」の声と共に、朝間さんは空になったお弁当箱を差し出してくる。
「お粗末様でした……」
とりあえずそう言って弁当箱を受け取り、それから様子を眺めてみた先。
朝間さんは腕を組んで何やら考え込んだ末……決意に溢れた視線を僕へと向ける。
「久住くん。教えて」
「……何をでしょうか?」
色々教えて欲しいのは僕の方なんだけど……と思いつつ問い返した僕を前に、朝間さんは決意十分の様子で、力強く、こう言い放った。
「私でもカナに勝てるゲームを!」
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