5 『今更そんなこと言い出さないでよ』

 最終的には4ゲーム位、刑部さんとボウリングに興じた。


 手首のスナップとか投擲の瞬間にくい、とか色々やり方を教えてみた結果刑部さんは早々にカーブの練習に飽き、だがボウリング自体には熱中して、4ゲーム。


 単純にゲームが好きなのだろう。そして勝つのも好きらしい。イヤ、勝つためという言い訳の元僕を色々誘惑して遊ぶのが好きなのかもしれないがとにかく、まあ結論から言うと、だ。


(ホント気安くエロいな……。流石ビッチ)


 結果的に僕の倫理観はまた更に狂ったような気がした。


 が、気安くてエロいビッチは彼女なりに色々気を遣っていたらしい。別れ際には、『日和るなよ?』とウインクと共にくぎを刺してもきた。


 なんともまあ、ガキ大将である。もうあのビッチをハーゲンダッツだなんて僕は呼べない……これからは姉御と呼ぼうか。


 そんなことを考えながら、僕は帰路、姉御から託された優待券を眺めていた。


「何となく、誘いたい方……」


 朝間さんか、金子さんか。どっちとプールに行きたいか。


(ソレ僕、選ぶ立場なのかな……?)


 我ながら思い上がってるような気がすると言うか、刑部さんとデートした直後に別の子をプールに誘うって行動が完全に間男である。


 ちなみに刑部さんを誘ったらどうなりますかって一応聞いてみたら『抱く』って言われた。


 姉御はもう一周回ってカッコ良いな。そしてぐだぐだ悩んでる僕はカッコ悪いな。


 いや、……悩んでいる訳ではない。悩んでいるふりをしているだけなのかもしれない。


 優待券をポケットに仕舞い込み、僕は日暮れ前に我が家の戸を開いた。

 途端、


「……っしゃいま………せ、」


 今日もバイトに来ていたらしい黒マスクの店員が、癖のように声を上げ、途中で僕と気づいてなんかおかしな表情を浮かべる。


 それから、金子さんはチラッと店にあった時計を眺めて、言った。


「……早くない?」

「そう、かな?」

「うん……」


 それだけ頷き、金子さんは仕事に戻って行く。クスクス、笑みを零すこともなく。


 そんな金子さんを前に、僕は小さく、……拳を握り締めた。


 *


 いつ話を切り出そうか……と悩むまでもなく、その日も夜はやってくる。


 見慣れた夜の道。バイトを終えて今日もスマホを弄っている金子さんを横に、僕は歩んでいく。


「……………………」

「……………………」


 今日もなんだか気まずい沈黙に包まれながら。


 話を切り出すタイミングに悩む必要は、ない。だが、どう切り出すか悩まないとは言っていない!と胸を張ることでもないし、何なら普通にプール行こうよと誘えれば良いんだろうが、それがあっさりできるくらいなら事態はここまで複雑になってはいない!


 と、いう訳で話を切り出そうと考えつつも実行に移せず若干挙動不審な僕に、金子さんはチラッと視線を向け、言った。


「ユキちゃん。ミカにさ。なんか言われた?」


 女の勘が怖すぎませんかね?と思った僕を眺め、金子さんは言う。


「てか、……何したの?」

「何したって、言われましても……」

「……ヤった?」

「いや、ヤってないです」


 いきなり放り込まれたストレートに僕はとりあえずバントくらいは出来ただろう。

 だって、ヤってないし。いやまあ、触わりはしたけど……。


 とか思った僕を暫く眺め、それから金子さんはスマホに視線を向けると、言う。


「ミカさ。……スタイル良いよね?」

「うん」

「…………………」


 油断して頷いた僕に金子さんはなんの相槌も投げてこなかった。


 な、なんだこれは。なんか、変なプレッシャーが金子さんから放たれている気がする。なんか沈黙が妙に怖い。スマホしか見てないし……。


 アレ?今の頷いちゃいけない話だったの?

 いや、プレッシャーに負けるな僕。色々考えすぎるな。姉御だって言ってただろう、何となくで良いから誘えって。遊び慣れた人間の意見ではあるけど、間違ってはいないと思うし。


 という訳で、僕は口を開いた。


「あの」

「プールさ」

「あ、はい……」


 なんだろう。なんか、割り込んでくるタイミングに喋るなと言う意思が含まれている気がする。いや、それこそ考えすぎな気がするけど……。


 肩を落とした僕を横に、金子さんは笑みを零す気配もなくスマホを見続け、言う。


「どんなだった?」

「どんなって……?」

「だから。何あった?どんな感じ?普通のプール?」

「え?ええっと……行ってないから、わかりません」


 僕がそう言った途端、金子さんはこちらに視線を投げてくる。


「あの……刑部さん。今日プール行く気分じゃないって言って。ボウリングしてた」

「……ふ~ん、」


 それだけである。それだけ相槌を打ち、金子さんはスマホの画面に視線を逃がしていく。

 それを横に、……この話の流れなら切り出せる気がすると僕は拳を握り、言った。


「それで、あの……僕、刑部さんにボウリングで勝って。景品貰って」

「見た?触った?……ミカ、スタイル良いもんね」


 ……見ては、いませんね。ええ。他はちょっとノーコメントにしておきましょう。

 じゃなくて、


「そういう事じゃなくて……その。チケット貰ったんだ。貰ったって言うか、回ってきたって言うか、使わなかったから今日、結局」


 そう言って、僕はポケットから優待券を取り出す。そもそもが金子さんの持ち物だったから、それを貰ったと言うのもなんかおかしな話な気がするが、けれど事実である。


 そして、取り出した優待券を手に僕は覚悟を決めた。


「それで、あの……使わないのももったいないし。良かったらなんだけど、今度。……一緒に行かない?」


 余計な言葉が大分足されてはいるがどうか見逃してください。これが僕の限界です。優待券を握る手に力が入り過ぎてちょっとくしゃってなってるけど、どうしようもない。


 そんな僕を横に、金子さんはスマホを眺めながら、「ふ~ん」とだけ気のない調子で呟き、そのまま数歩進み……それから漸く、僕の言葉を認識したのだろうか。


 金子さんはぴたっと足を止める。それからゆっくり、伺うような視線を僕へと向けてきて、それから言った。


「…………ハァ?」


 ちょっとあのハァ?とか言うのやめてもらえませんでしょうか、あの、悪気はないんでしょうけど僕の心が折れそうになるので。


 そうして固まったままの僕を、金子さんは暫く眺めて、それから言った。


「ウチ?マイ、誘うんじゃないの?」

「いや、ええっと……」


 金子さんの表情が読めない。黒マスクのせいでどんな感情でソレ言ってるのかわからない。ウザがっているのだろうか?ウザがられているような気がする。


 いや、けど……折れるな僕。


「……金子さんと行きたいです」


 僕は敬語だった。そして早くも胃が限界だった。そんな僕を眺めて……金子さんは一瞬、目を細めた。


 笑った?からかってくれるのか?いや、からかってくれるっておかしいけど今の心境的にその方が楽って言うか……。


(……僕は、からかって欲しいの?)


 小悪魔に倫理観を歪められ過ぎた結果僕はおかしな何かに目覚めてしまっていたのかもしれない。


 そんなことを思った僕を眺めて、金子さんは言う。


「なんで?」

「な、なんでって言われても、あの……」


 金子さんは何も言わなかった。ヤバい、逃げられない。なんでって、ええっと……あの。


「……何となくです」


 そっぽに視線を逃がし僕は姉御の言葉に頼った。姉御、何となくでもよかったって話ですよね?それで良いんだって姉御言ってましたよね?


 と頼った僕の心の中で姉御は『アタシの場合はな?』ってウインクしながら橋を落としてきた気がした。


 そして金子さんは、


「……………」


 何も言わない。だがこっちを見続けてはいる。なぜだろう。自分から踏み込んだはずなのに罠に囚われて逃げ場を奪われているような気分である。


 そんな気分のまま、僕はもう一度気合を入れなおし、言葉を継いだ。


「何となく誘いたい方を誘えって、……刑部さんが言ってたから」


 金子さんの眉が寄った。失言だったらしい。


「それであの。難しく考えないで、何となく一緒に遊びたいの誰だろうって考えたら、あの。金子さんと行きたいかなって、思って」


 金子さんの眉が元に戻った。挽回できたらしい。


「バイトとか、今みたいな帰り道とか。二人で話す事結構あるけど、遊びに行った事はないし。そもそもこの優待券、金子さんが貰ったモノだし」


 金子さんの表情は変わらない。いやもう、顔色伺ってもしょうがないか。


「それで、あの……金子さん最近笑ってないし」


 そう僕が言った途端、金子さんの眉が大きく寄った。同時に、金子さんは「え?」と、珍しく戸惑ったような呟きを漏らす。

 そんな金子さんの顔色を伺いながら、僕は言った。


「あの、……黒ひげ危機一髪の時とか、ウキウキだったのに。その後ずっとなんか、つまんなそうだったし。プール行きたいのかなって思って」


 金子さんは停止していた。そんな金子さんを前に、僕は頬を搔きながら、言う。


「帰り道とかずっと笑ってたのに、最近笑ってないから。僕もつまんなくて……だから、」


 と、言いかけた僕を前に突如、金子さんは動いた。


 一歩、後ずさったのである。それをどうしたのかと眺めた僕に金子さんは背を向けると、そのままスタスタ、歩み出してしまう。


 …………?


「え?ちょっと待って……。どうしたの?」

「別に」

「いや別にって、ちょっと待って!」


 言いながら追いかけた僕に振り返る素振りなく、金子さんはスマホを取り出し、言う。


「今日ここで良いよ、ユキちゃん。もう近いし。お疲れ」

「え!?なんで?あの、でも……」


 いきなりどうしたんだ?訳が分からないと追いかける僕へ、金子さんはチラっと視線を向け、言った。


「……ユキちゃん。キライ」

「ええ!?な、なんで……?」


 戸惑うほかにない僕を金子さんは感情の読めない目で眺め、それから言う。


「じゃあ、お疲れっス」


 そしてそのままスタスタ、金子さんは歩み去って行ってしまう。

 それを、僕は呆気にとられたままに見送った。


 何が何だかわからない。僕は何か、凄まじい地雷を踏み抜いてしまったのだろうか。今回ばかりは本当になぜ、今、このタイミングで嫌われたのかわからない。


 とにかく、僕にわかることは一つ。


「……フラ、れた……?」


 くしゃくしゃの優待券は、僕の手に残ったままだった……。

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