3 クレームと平謝り

「――何してくれてんだよ!?」


 その怒声に視線を向けた先。そこにいたのは、テーブル席についた大学生くらいの派手な髪色をした若者数人と、それを前に硬直している金子さんである。


 店の立地にもよるんだろうが、僕の経験則として多少髪色が明るくても若い人はあまり大クレームを起こさない。僕もその類かもしれないけれど、基本的には波風は立てるだけ損だと思うモノだろう。


 が、例外に当たったと言うか……普段の客層と違うタイプの人種が来店していたんだろうか。もしくは……よほどの事を金子さんがやってしまったか。


「どうしてくれんだよ、これ……おい」


 若者グループのリーダーなのだろうか。とりわけ派手な髪色をしたにーちゃんが、金子さんを睨みつけていた。……服にコップの水ぶっかけられた状態で。


 そっか。……やっちゃったんだね、金子さん。それはもう、怒られてもしょうがないな。


 早速悟りの心境に至りつつも、フォローに行きたいのだが折り悪く僕はその事件が起こる時に他のお客さんの追加注文を取りに来てしまっていた。それが終わるまでは行くに行けない……。


 と、金子さんに視線を向けた僕に、その神は告げた。


「にーちゃん、行ったげなよ。あの子新人でしょ多分」


 接客業をやっているとたまに神に出会うのである。ちなみにさっき金子さんが太もも見てきたって言ってた神である。名前は知らない。だがそのお客様がマジで神であることを僕は経験上知っている……。


「ありがとうございます!……本日のお代は、」

「払うよ。行きなよ」


 あまりにも神過ぎるお客様に頭を深々下げつつ、僕は金子さんの元へと向かった。


 そしてその場に踏み込み、ちょっと割って入るように金子さんの横に辿り着くと同時に僕は、深々頭を下げた。


「申し訳ございません、お客様。こちらの不手際で……」


 が、その瞬間である。金子さんがボソッと言った。


「……違うし」

「へ?」


 違うしって何が?とちらっと視線を向けた先。金子さんは水ぶっかけられたお客さんに、店員が絶対見せちゃいけないだろうめちゃめちゃ冷たい視線を向けて、言った。


「……足かけたのそっちじゃん」


 …………?足、かけた?嫌がらせって事ですか?

 この割と平和な街の食堂がいきなりそんなヤンキーのたまり場みたいになったの?

 

 僕は視線をお客さんの方に視線を向けてみる。テーブルの上には水の入ったコップが幾つかと、空のコップが一つ。配ってる途中に足かけられたとか?話しかけられたけど金子さんが塩対応したとかなのかな。


 とか考えた僕の視線の先で、水ぶっかけられた大学生くらいの男は凄む。


「あァ!?……言いがかりかよ、金子」


 そしてその男の周囲で、連れがニヤニヤ面白がるように笑っていた。

 ……そっか、そう言う感じか。金子さんの知り合いって言うか、もめてる相手が嫌がらせに来たとかなのかな?ヤンキーのたまり場みたいになる訳だな……。


 とにかく。

「あの、金子さん。ここ、僕が変わるから、一回裏に……」

「言いがかりじゃないし。そっちがさ、」

「ちょ、金子さん?一回抑えて……」


 お願いだから火に油を注ぎに行かないで?と、どうにか大人しくしてて貰おうと呟いた僕に、金子さんは苛立たし気な視線を向けてきて……そしてそこで、神が動いた。


「お嬢ちゃ~ん!注文!」


 さっきの常連のおっさんである。その呼び声に、金子さんは不機嫌そうな表情のまま、けれど迷う様に視線をさ迷わせる。そんな金子さんに僕は小声で言った。


「注文お願い、金子さん。あの、今仕事中だよ……抑えて」


 新人にまで平謝りするような心境で言った僕を前に、金子さんは何も言わず……神の注文を取りに行く。


 ふぅ。これでもう大丈夫だろう。神の元に行かせれば後は神がイイ感じに金子さんを裏まで導いてくれるはずだ。


 と思った矢先にヤンキーは動く。


「待てよ、金子!おい!……話は終わってねえぞ」


 怒声と共にヤンキーは金子さんを睨みつけ、金子さんはそれに冷たい視線を返しかけるが……そこに、僕は割り込んだ。


「すいません!……申し訳ございませんお客様!こちらの不手際でお召し物を汚してしまいまして、クリーニング代の方はこちらで弁償させて頂きますので」


 まあ水だからクリーニングもくそもないと思うんだけどね。とは思うが他に言いようがないのである。


 そうして僕が割り込んだことで、ヤンキーの矛先は無事僕の方へと向いたらしい。


「なんなんだよ、お前は……」


 なんなんだって言われても……ただこの場を納めたいだけのこの定食屋の息子ですけど。


 と思った僕を睨み、ヤンキーは言った。


「おい、金子!これお前の新しい男か。おいビッチ!」


 その挑発に、金子さんはめちゃめちゃ冷たい視線をヤンキー達に向けていたが、それだけ。やはり神がいい感じに何か言ってくれたんだろう。そのまま厨房、店の裏手へと消えて行った。


 それをヤンキー達は眺め……そしてその姿が消えた直後、ヤンキーとそのツレの視線が一斉に僕へと注がれる。


 威圧感半端ないですね。街角とかでこれに睨まれたら身ぐるみ全部差し出すような気がしないでもないけど接客中のクレーム対応は諦めです。


「申し訳ございません、お客様。彼女まだ新人でして……」


 平然と平謝りを続けた僕を前に、ヤンキーは言う。


「なんなんだよお前は。何?カッコつけてんの?」


 そしてその言葉に、ヤンキーの連れはニヤニヤ笑っていた。

 いや、カッコつけるも何も今の僕にカッコ良い要素0だと思うんだけど。


「そう言う意図はなく、ただ、その、……こちらの不手際でお召し物を汚してしまいましたので、謝罪させていただければと」

「だから金子出せよ。やらかしたのアイツだろ?アイツに謝罪させろよ」

「いえ、その……申し訳ございません」


 僕は平謝りし続けた。他にどうしようもないのである。接客は諦めである。出せって言われて金子さんを呼び戻す訳にもいかないし、と言うか呼び戻したらより一層収つかなくなるだろうし。


「申し訳ねえじゃねえだろ。それしか言えねえのか?バカなのか、お前……おい、金子!今度は腰抜け転がして遊ぶのか!おい!」


 しかし、一番めんどくさいクレームだ。おそらくクレームをつける事自体が目的なのだろう。そうなると、話の落とし所がなくなってしまう。建設的な話が出来ないクレームに終わりはないのである。


「申し訳ありません。本日のお代も頂きませんし、クリーニング代の方も……」


 どうにか落としどころを作ろうと平謝りを続けた僕を前に、ヤンキーは苛立たし気な表情のまま店の裏手を睨みつけていた。


 と思えば、連れの一人が何やらニヤニヤした表情のままどなっているヤンキーに耳打ちし、その言葉にヤンキーもまた一瞬にやつき、そして次の瞬間だ。


「だ~か~ら~。……金子出せって言ってんの。お前じゃ話になんねえんだよ、バカ」


 そんな言葉と共に、ヤンキーは僕の頭にびしゃびしゃと水を掛けてきた。にやにや、面白がるように嗤いながら。


 ……ここまで悪質な客はなかなかいない。ただただ嫌がらせがしたいだけなのだろう。金子さんに恨みがあって、それを晴らすためにバイト妨害とか、そう言う幼稚なことを考えているのだろうか?


 世の中には残念ながらこういう人間も実際にいるのだ。そして、そう言う輩は自分を神サマだと思い込んでいるモノである。


 そう、接客にまず必要なのは、慣れ。そして次に必要なのが諦めである。ここまで悪質な神サマ気取りに会う事はあまりないけれど、まったくないという訳でもなかった。


 だから僕は、……諦め慣れている。


「申し訳、ありません……」


 僕はただ頭を下げ続けた。流石に苛立ちはするが、だからと言って何か反撃をする気もない。

 ただ頭を下げ続けた僕を小馬鹿にしたように、ヤンキー達はにやにや笑っていた。


 だが、その瞬間、だ。

 にやにや笑っていたヤンキー達の表情が突如、固まった。


 ……どうやら、この食堂で神をも超越する最強の生物がご降臨為されたらしい。


 世の中にはどうしようもないクレーマーと言うモノがいる。そしてその落としどころのないクレームに対応するための賢いやり方は、まず対応する人間を変える事。そしてそれに失敗してよりヒートアップされたら、更に上の人間を出す。するとだんだん、クレーマーは冷静になって、話の落としどころが出来るようになる。


 最も、今ヤンキーが黙った理由は、そう言うクレーム対応的な意味じゃないかもしれないけど。


 平謝りを続けていた僕の肩を、降臨した食堂最強の生物はポンと叩き、言った。


「……拭いてきな?」


 それに頷き裏手へと引っ込んでいった僕に変わって、ヤンキーに立ち向かって行くのは、元ヤンの食堂のおばちゃん。


 良い年して未だ金髪で、……かつてこの街で知らない者がいなかったと言われる伝説の不良。


 ドラマ見てる途中で呼び出され来てみたら息子が水ぶっかけられてた食堂最強の生物、久住龍子は、その威圧感だけでヤンキーを黙らせつつ、こう言った。


「お客さん?……ちょっと裏で話そうか。ねぇ?」


 ちなみに多分連行されるのは事務所ではなく2階の宴会場である。


 とにかくまあ、母さんに任せればあとは大丈夫だろう。かつて武闘派の不良だった上に定食屋に嫁いでから警察を顎で使う事を覚えた猛者だ。深く語る気も聞く気もないが軽犯罪に詳しいし警察に知り合いが多い。


 とにかく、そんな食堂最強の生物に対応を引き継ぎ、僕は店の裏、厨房の影へと引っ込んでいくと、「フゥ……」と大きく息を吐いた。


 ちなみに、そんな食堂最強の生物からなぜ僕のようなうだつの上がらない息子が生まれたかと言えば……理由は単純。


 厨房の番人である父はただ僕にハンズアップしていた。かなり筋肉質な体格をしているが……父も気弱である。正直、メンタルではなく肉体の方を受け継ぎたかった気がする。


 そんなことを考えた僕の元へと、金子さんはタオルを手に歩み寄ってきた。


「ああ、……ありがとう」


 と言いながら受け取った僕に、金子さんは「ウス」とだけ答え、そしてそのまま、観察するように僕を眺めてくる。

 そんな金子さんに、僕は言った。


「あ、金子さん。平気?あの、初日から凄いクレーム喰らってたけど……」

「ウス」


 いや、ウスってなんなんだ……。平気って事?平気っぽいよな。そもそも怒鳴られてもビビってる気配なかったし。ていうか、


「あの……ちなみに、あの人達知り合い?」


 その僕の問いに、金子さんは腕を組みちょっと考え込み、やがて呟く。


「……多分、元カレ」

「元カレ!?」


 が、多分になるの?どんだけ遊びまくったらその境地に至るんだ……とヤンキーよりむしろビッチにビビった僕の前で、金子さんは言った。


「……の連れ。に、いた気がする……」


 ……ああ、元カレのお友達がアレなんですね。なんというか、やっぱり僕とは縁遠い世界の住人らしい。


 そんな事を思った僕を金子さんはまた眺め、それから言った。


「……ウス」


 ……いや、ウスって。何に頷いたんだ今……。

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