一寸法師の末裔について
須久奈成大が先生と呼ぶ男に出会ったのは、一年ほど前のことである。
世に知られた大富豪である父の長男として、誘拐、脅迫、掠取はすぐ身近にあった。当然相応に警備も固められていたが、そういったものを疎ましがるのが年頃の子供というものである。
誰にも知らせずに、塾に行くと偽って家から離れた繁華街まで遊びに行くなどは珍しくなかった。
あまり顔も知られていない場所だからと油断していた成大だったが、今のご時世人相があれば身元を割り出すなど簡単にできる。
「須久奈の長男だろう、お前」
そう声をかけられた時、とうとうバレたか、と成大は背に汗をかきながら振り返った。いつかその日は来るだろうと思っていた。危ないと自覚しているからこそ、危ない遊びは楽しいのだ。
成大を路地裏へと連れ込み、俺も手荒な真似はしたくないのだ、とどの面を下げてか知らないが男は言った。勝ち誇った顔は、きっと成大が後ろ手に構えた催涙スプレーには気づいていなかっただろう。
だろう、というのは、それを使う機会が訪れなかったからだ。
「おい」
薄暗い路地裏に、逆光で顔はよく見えなかった。すわ新手か、と警戒して身を固める成大を一瞥して、彼は男に「やめておけ」と声をかけた。
どうやら、新しく現れた方の青年は脅してきた男よりも上の立場であるらしい。たじろぎながらその場を去って行く男を見て、成大はそう判断した。
青年は男を止めてくれたようだが、味方かどうかはまだ判断できない。いつでも催涙スプレーを向けられるように身構えていると、彼はつかつかと近寄ってきて「ガキがこんなところに来るんじゃない」とだけ言った。
「た……助けてくれたのはありがたいけど、そんなの言われる筋合いないだろ」
「お前がただの子供ならここまでしなかった」
「僕が財閥の息子だから?」
「いいや」
男はす、と成大の後ろを指差した。初めは催涙スプレーのことがバレたのかと思ったが、どうやら本当に示していたのは背負っていたリュックサックの方だったらしい。
「困るんだよ。打出の小槌なんてものをそこらで奪われるのは」
「なんでそれを——!?」
「来い。家まで送ってやる」
成大の驚いた顔など意にも介さず、青年は路地裏の入り口まで戻った。呆然と立ち竦む成大を振り返って「それと、その物騒なものはしまっておけ」と見透かしたように付け足した。
「来ないのか。子供は早く帰れ」
「や、行くけど……。というか、僕はあなたのこと信用していいの? 名前すら知らないのに」
「その防犯意識があるなら小槌を持ち出さないでほしいんだが……」
「それ! それだよ! なんで知ってるんだよ僕が……打出の小槌を持ってるって……」
路地裏から出た後、周りの人に聞こえないように声を潜めて問い詰めたが、成大の問いに彼はついぞ答えなかった。
代わりに渡されたのは、青年のものと思われる名刺だ。
「御門……さん? 大学教授? 本当に?」
とてもそうは見えない。確かに表情で多少老けては見えるが、そんな地位につくには青年は若すぎるように思えた。
「別に信じなくてもいい」
彼の返事はいつでもそっけなかった。
しかし彼が言った通り、成大は須久奈家の門前まで無事に送り届けられた。どこか物足りないような、期待外れのような顔をする成大を諌めるように青年は言う。
「あんなところに子供一人で行くな。それと、打出の小槌を勝手に持ち出すこともするんじゃない」
「かっ……勝手に持ち出したんじゃないからな。これは、僕がどこで体が縮んでもいいようにって預けられてるんだ」
須久奈成大は、不意に体が小人のように縮んでしまうという体質だった。須久奈家には時々現れるもので、祖先から伝わる家宝の打出の小槌は本来の姿に戻る唯一の手段だ。
本当は誰にも言ってはいけない秘密のはずだったが、打出の小槌の存在を知っている相手だからかつい反論してしまった。
成大の弁解に、青年は驚いたような顔をした。ずっと眉を寄せた不機嫌そうな顔をしていたが、その時ばかりは無防備に見えた。
「そうか……なるほど」
「な、何に納得したんだよ」
「別に」
す、と青年は踵を返した。「もう帰る」
成大は慌てて呼び止めた。「え、上がっていかないの? お茶くらい出せるのに」
「いらない」
最後の最後までそっけなく、青年は姿を消した。
そんな雰囲気で別れたものだから、成大は彼にはもう二度と会えないのではないかと思っていたのだが。
再会は、存外すぐのことだった。
「須久奈成大」
「えっ、あ……あぁ! 前の! えっと……先生!」
「お前の先生じゃないんだが」
しばらく経った、ある日の成大の塾が終わった頃。唐突に二人は再会した。青年は塾の前で成大が現れるのを待っていたようだった。
「少し付き合え」
「いいけど……あ、でも護衛の人が」
「友達の家に寄って行くとでも言って追い払え」
幸か不幸か、成大の護衛はあまり真面目な人間ではなかったので、成大の友人との付き合いを優先して引き下がってくれた。
半ば横暴に連れていかれた先は、繁華街の片隅にある喫茶店だった。
「『Reach For The Sky』……? なんか、古めかしい雰囲気の喫茶店だね」
「そうか?」
ネオンの看板を過ぎ、ベルのついた木製の扉を開ける。パステル色の光が降り注ぐ、奇妙な雰囲気の喫茶店だった。壁にはテレビと、いろんな縁起物の絵が飾られている。
客は一人。成大と同じ年頃の少女だった。
「今時パネルのテレビ……?」
壁に取り付けられたテレビを見て小さく呟く。
やっぱり古めかしい。それも純喫茶風のようなマニア向けの古さではなく、微妙に時代が追いついていない感じの古さだ。
「てかこの変な色が変わるライトは何?」
「マスターの趣味なんだ。放っておいてやれ」
勝手知ったるようにソファに腰掛けると、青年は向かいの席を指して座るように促した。
「あの、そろそろ教えてくれる? なんで僕をこんなところに……」
「もうすぐ約束の時間だ」
「え」
「お前の打出の小槌は、元々は大黒天の持ち物だった。それを鬼がくすね、さらにその鬼を男が退治した。その男の末裔がお前だ」
突然そう語られて成大は大いに驚いた。なぜって、その話は須久奈家に伝わる打出の小槌の謂れとそっくりだったからだ。
「なんでそれを……じゃない! ちょっと先生、他に人がいるのに……!」
カウンター席で一人本を読む少女が、その言葉に振り向く。
「ツバキは
「勝手に同類にしないでくれる? 否定はしないけれど……」
「しないじゃなくてできないんだろう」
特に秘されていたはずの家宝がこんなに余人に知られてしまっているとは……と、驚きと困惑が綯い交ぜになったような顔をする成大だったが、青年は構うことなく続けた。
「もともと打出の小槌は一度振れば一生大きくなれたんだが、お前の家に伝わる打出の小槌は力を失ってしまったらしい。お前が頻繁に小さな姿に戻るのはそれが原因だ。
時期に力を完全に失って、ただの置物になるだろう」
教えていないはずの打出の小槌のことを知っていたためか、彼の言葉はずいぶん説得力があった。そしてその言葉が真実だとすれば、成大はじきにこの普通の身長にはなれなくなるということだ。
困惑しながらもかろうじてそれを理解した成大は、すがるように声を上げた。
「ど、どうすれば……?」
「流石に盗品を又貸しされているようなものだからな。懐深い大黒天でもどう思うか……。
だが、吾は方々に顔がきく。交渉すればお前の小槌を返す代わりに、本物の力を持った小槌を一度、お前に使わせてやることはできるだろう」
成大がその言葉を理解するには長い時間を必要とした。少女の本が終わりまで捲られる頃になってようやく、成大は途切れ途切れに言葉を紡いだ。
「それ、は……つまり、僕はもう小さくはならないけど、家宝は失くなる……と、いうことですか」
青年は頷く。それを見て、成大は唇を噛んだ。
「それは……できません」
「なぜだ」
「だって、僕がもう小さくならなくなっても、今後も須久奈家は続きます。僕みたいに、小さくなってしまう子がまた生まれた時、小槌が無かったらその子はどうすればいいんですか」
「……そもそも小槌はもうすぐ使えなくなるという話なんだが」
「あ、あぁあ〰! そっか、じゃあどっちにしても無理……? いやでも……でも家宝がなくなるのも……」
成大が頭を抱えて悩み込んだ。
うんうんと唸るのを見て、青年が後ろを見返って「どうですか。宜しかろうと思いますが」と呟いた。
青年のすぐ後ろの壁に飾られた絵の大黒天が頷いたが、俯く成大には見えなかっただろう。
ゴトリ、という重みのある音がして、成大はパッと頭を上げた。
テーブルの上には、いつの間にか打出の小槌と鼠が鎮座していた。
「えっ!? あ、え!? 鼠!?」
「不敬だぞ。大黒天の使いに対して」
「鼠が!?」
慄く成大を咎めるように「落ち着け」と青年が繰り返す。打出の小槌の上に立った鼠が、その空気に割って入るように喋り始めた。
「大黒天様の命により罷り越しました。須久奈の一族に、よく大黒天を奉りたる褒美を与える。向後もよく拝すようにとの仰せでございます」
「えっあっえっ鼠がシャベッ……」
「ついては古し方の小槌を回収するようにと命じられております」
ぱくぱくと意味なく開いては閉じてを繰り返す口からはもはや声すら出ない。青年が呆れたように「お前の持っている方の小槌を代わりに渡せと言っているんだ。持っているんだろう?」と促して、ようやく鞄の中に手を伸ばした。
「はっ、はい、ここここれです」
「鼠が苦手なのか?」
「むしろ得意だと思ってたんですけど自信無くなってきました」
成大が打出の小槌をテーブルの上に置くと、鼠は新しい方の小槌から降りてそちらに登った。
「然らば、罷む!」
その時、思いもよらぬほどの光に包まれたので、成大は不意に目を閉じてしまった。
おそるおそる目を開くと、光はたちどころに姿を消しており、残ったのは打出の小槌のみ。それも、今までの箔が剥げかけた古い小槌ではなく、鮮やかな塗りの新しい打出の小槌である。
「これ……本物ですか?」
「偽物だと思うのか?」
「思いません、けど……」
なんとなく視線を落として、腕時計が目に入り「あっ」と声を上げた。
「まずい、もう小さくなる時間……!」
そう言うが早いか、成大の体はみるみるうちに縮んでしまった。
「本当に一寸しかないな」
半ば感心したような声音で青年は言った。
成大が悔しがって「あぁ、遅かった」と呟くと、ことの成り行きを黙ったまま見守っていた少女が近づいてきて、すぐそばで膝を折った。
「人前で小さくなるなんて……一生の不覚だ……」
「あら、ちょうど良いんじゃない」
少女がテーブルの上に置かれたままだった打出の小槌を手にとって、成大の頭上で「それ」と振り上げた。
「大きくなあれ、大きくなあれ」
小さくなった成大は、今度はみるみる大きくなっていく。
さっきまでと同じ大きさになった成大に打出の小槌を渡すと、少女は「どんな気分?」と問いかけた。
「どんな気分も……大きくなるのはいつも通りだから……」
「張り合いがないのね」
「うっ。でも、流石に小さくならないかどうかは時間が経たないとわからないし……」
少女はまたカウンターの席に戻ると、いつの間にか出されていた新しいジュースに口をつけた。
「まあ、小さくならなかったらまた見せにここに来るといいさ」
「ま、また来て良いんですか」
「変なやつだな。ここは店なんだから、好きに来れば良い」
青年の言葉に、成大の頬は緩んだ。
「なんだ、気持ち悪い顔をして」
「気持ち悪っ……いや、別に何かってわけじゃないですけど」
虹色のパステルカラーが切り替わる照明を見上げて、その奇妙な雰囲気が今日限りでないことに嬉しくなった。
繁華街に繰り出すよりも、この穏やかで奇妙な空間の方がよほど興味深く思えたのだ。
「これからよろしくお願いしますね、先生」
「気持ち悪い」
「ひどい! あ、あと君の名前は?」
「私?」
ふと話しかけられて驚いたような顔をしながら、少女は名乗った。
「私はツバキ」
「僕は須久奈成大。よろしく、ツバキちゃん」
「あなたのことは知ってる。まあ、よろしくね。スクナ」
それにしても、と新しくなった打出の小槌を見てふと思う。
「これ、父さんに見せたらびっくりされそう……」
「……たしかに」
「家宝が急にこんなに綺麗になってたら……」
しばらくの沈黙の後、成大は「まあ、いいか」と笑った。
「僕が小さくならなくなったって知ったら、きっとそっちの方が喜んでくれるから」
家宝を与えるくらいに溺愛しているのだから、その息子がまともな身体になれたと知ったら確かに喜ぶだろう。
「……まあ、良かったな」
「はい!」
その後、成大もそろそろ門限の時間だと護衛の人間に連絡をとり、迎えを待ってから帰っていった。
喫茶店に残った二人は、それぞれコーヒーとジュースを飲みながら、ツバキがふと青年に水を向けた。
「ねえ、珍しいのね。打出の小槌の持ち主と言ったって、あの子はただの人なのに」
「なんだ。不満なのか」
「あんたのやってることに不満も何もないわ」
それだけ言って、青年は沈黙した。ツバキも狙いが外れたのが面白くなくて、小さいため息で会話を終わらせることにした。
月は今日も、憎いほど美しく輝いている。
昔話二次創作 @tiki838sen
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