昔話二次創作

@tiki838sen

拝啓、なよ竹のかぐや姫様

 かつて、不死の薬を渡された帝は深く深く嘆き悲しんだ。

 彼女のいない世界で、死なない体など何の意味があろうと。

 いっそこんな薬など燃やしてしまおう。できる限り、空に近い場所で。

 そう思った矢先、彼は気づいたのだ。千と万の夜を超えた先、いつかあの山よりも空に近い場所ができるのではないかと。

 いつか、いずれは、遥か遥か遠い未来の話になったとしても、億に一つの可能性であっても、彼女に会えるのなら、どんなことだってするのだと。


「……逢いに来てと、言われたような気がしたんだ」

「また始まった。先生の病み期」

「コーヒーが不味くなる」

「コーヒーは元から不味いよ」


 繁華街の外れ、ネオンの光る看板を掲げた喫茶『Refts』。その中には、テーブルに突っ伏す青年と、このご時世に珍しい紙の本で読書する年若い少女と、少女と同じ年頃の少年がいた。彼らはこの喫茶店の数少ない客兼常連である。


「ていうか先生、今日はどうしたんですか? なんかめっちゃ凹んでるし」


「ん」と少女が壁の方を指差した。そこには時代遅れの薄型液晶が掛かっていて、月面の中継映像を垂れ流している。つい先日オープンした、世界初の月面旅行会社の紹介だった。


「へえ、前々から話題にはなってたけどとうとうかあ」


 少年が天窓を見上げる。今日は満月で、発表を今日にしたのもそのためなのだろうと察しがついた。


「そうね」

「こんなに辛いなら死ねない体になんかならなかった…」


 満月の輝く澄み切った空とは正反対の、どんよりとした声がその場に響く。低い声はよく通るのだ。


「……月はあんなに綺麗なのに、一緒に見る人がこれじゃその気持ちも半減ね」


 はあ、と露骨なため息をつく。少年は不思議そうな顔をして、青年と付き合いの長い少女に聞いた。


「先生って月面中継見るたびに死にそうになってるけど、なんかあったの?」

「昔の恋人が月の住人だったんだって」


 ほう、月。宇宙飛行士か何かだろうか。純粋にそう思った少年は「先生って遠恋ダメな人?」と問いかけたが、すぐに思い直してまた聞いた。


「それ、いつの話?」

「千年以上前」


「は」と少年は気の抜けた声を上げた。


「千年以上って……月面着陸すらできない時代で……?」


 この青年は出会った時から千年の時を生きてきたと自称していたが、それに匹敵するような、いやかなり上回っているような発言だ。なんせ地球には空気がある、月ではそれすらないのだ。青年の思い出話をようやく作り話ではないのだと受け入れられるようになったような少年が、到底すぐ飲み込める話ではなかった。


「相手ほんとに人間? それか騙されてない?」


 声にならない呻き声を上げるだけだった青年が、その言葉に弾かれたように顔を上げた。


「うるさい! あの人は……ただの人間とは比べようもないくらい輝かしくて、触れることもできなくて……」

「また始まった……」


 鬱陶しい、鬱陶しいと顔を文庫本で覆う。この嘆きに一体何度付き合わされてきたことだろう。


「逢いに来てほしいと言われた気がしたんだ。だからいつか、長い時をかければいつかはおれも月にたどり着くと……」


 どんどん顔も声も沈んでいって、最後にはポツリと呟いた。


「でも月には都なんてなかった」


 それを最後に、頭を心配してしまうほどの音と共に机に突っ伏した。

 少女は呆れ顔をしながら、それでも隠しきれない情を滲ませて言う。こっそりと、隣の少年にだけ聞こえるくらいの声量で。


「あいつ、百年くらい前はほんとに荒れてたの。今もひどいけど、最近はあれでも持ち直したっていうか……あのニュース見るまではね」

「月にいる……でしたっけ? その恋人さん。そんなに未練たらたらで月面中継見るたびに落ち込むくらいなら、会いに行けばいいのに」


 少年は、画面いっぱいに映された広告を指してぼやく。


「今は気軽に月に行ける時代なんだから」


 自家製のクッキーを齧りながら軽々しく言い放つ少年を、青年はじっとりとした目で睨みつけた。


「はぁあああ……」

「ため息つくと幸せが逃げるのよ」

「ならもう吾には残っていないな」


 少女の歳に似合わぬ老成したような眼差しを受けてもなお姿勢を変えない青年に、焦れたように少年が立ち上がった。


「ああもう、そんなダル絡みするくらいなら行きましょうって! 何なら僕が連れて行きますから!」

「……は?」


 少年が突きつけてきた端末には、先ほどテレビで紹介されていたホテルのHPが写っていた。

 青年が呆気に取られている間に、少年は端末を素早く操作して予約ページを確かめた。


「まあ今はチケット取るの大変だろうけど、いつもお世話になってるしちょっとくらいなら融通きかせますよ」

「さすが財閥の御曹司……ま、いいんじゃない。あんたもいい加減けじめつけなさいよ」

「つけてどうなるっていうんだ……今更吾は死ねないのに……」


 鬱々とした声を放置して、話はどんどん進んでいく。少年が「先生どうせ毎日暇だろうし僕の予定に合わせていいですよね?」などと言いながらメールを打っている。


「スクナ、お土産よろしく」

「あれ、ツバキちゃんは行かない? 頑張れば別の部屋も取れるけど」

「いいえ。花も咲かない場所に行きたくはないの」


 スクナの手によって、あれよあれよという間に旅行の予定が定まってしまった。絶句する青年を、たまにはいい気味だと笑いながら、ツバキはパタンと本を閉じた。




「来るんじゃなかった」

「まだ着いてもいないんですけど」


 地球から旅立った人間たちは、一時ステーションにて止まり、まもなく月面に降りるための船に乗り換える。恐ろしく透明な窓から月を見下ろしながら、青年はまたも後悔の言葉を呟いた。

 宇宙飛行士、という職業に限らず民間人が宇宙に足を踏み入れられるようになったのはほんの十数年前のことだ。一千と少し前は月というものの実態すら掴めていなかったことを思えば、この頃の人類の進歩は恐ろしく目まぐるしく、青年は最近はもうずっと虚しさに苛まれ続けていた。薬を飲み只人でなくなったこの体は、望んでも朽ち果ててはくれない。


「月の住人たちが皆羽衣を着ていた理由がわかる気がする……人の身に、心に、永遠の時は長すぎる。物思いに煩わされるのはひどくつらい」

「月の住人ねぇ……今でこそ旅行になんて来られてますけど、ターミナルや月に永住することは普通の人にはほぼ不可能です。莫大な金がかかるし、長く宇宙に居れば地球に戻るのは困難ですよ」

「……月の住人は、人間ではない。彼女も人間ではなかった。……吾は、思い上がっていたんだろう。吾が過ごしてきた以上の時を生きる彼女が、たった三年文を交わしただけの存在が求められているなどと……」


 苦しそうに、肺を空っぽにするかのように、青年は息を吐き出した。


「この千余年よりあの三年に、魂を奪われたままなのに」


 初めて月に降り立った人類が突きつけてきた真実とやらは、こう目にして確かに真実だったのだと思い知らされる。この世の光を集めたような彼女が、輝かしい黄金の理想郷に棲みこそすれ、こんな灰色の岩だらけのザラザラとした世界に居ようはずがないのだ。

 やはりくるんじゃなかった。この一千年余りの積み重ねを、ただ存在するだけで烏有に帰すような場所になんか。

 悔いと口惜しさが瞳に膜を張ろうとした時、ふと一筋の光があるのに気づく。


「あれは……?」

「先生?」

「おい、月面への便はいつ来るんだ」

「あと三分くらいですよ」


 たった三分。千歳に比べればたったの三分が、青年には幾千の夜より長く思えた。


「先生、えっちょっとどこ行くんですか!?」

「外」

「なんで!?」

「光が見えたんだ」


 月面のホテルへ下ろされたあと、青年は耐えきれぬとでも言いたげにスクナの手を払った。


「いや、宇宙服! 着ないと死にますよ!?」

「吾はこれくらいでは死なん。この身は月の都の不死の薬を飲んだ身だ」

「僕が! 死ぬの!」


 引き止めも虚しく、青年は生身のまま月面へ出た。死なない。全くもっていつも通りである。

 青年は落胆したような心持ちになる。失意の足は重く、スクナはようよう追いつくことができた。

 ホテルの中ならともかく、月面に出てしまった今となっては、宇宙服も着ていない彼とは会話もままならない。だから着ておけと言ったのに。トランシーバーが無用の長物じゃないか。

 まったくもう、とヘルメットの中でため息をつくスクナのことなど構わずに、青年はどんどん進んでいく。


「光って何なんだよ……」


 頭を左右に振って、その目的の『光』とやらを探しているようだったので、スクナも仕方なく周囲を見回して探してやることにした。信じられなかったけれど、信じられないのと同じくらい先生のことを信じていたからだ。半信半疑というやつである。

 スクナのそんな思いなど全く知らず、ステーションから見えた一縷の光をただただ探し求めていた青年は、完全に足元がお留守になっていたのである。


『うわっ』


 声は音にならなかった。宇宙服を着ていればスクナもすぐ気づいただろうに、青年は馬鹿だったのだ。馬鹿でなければ、千年も生きてなんていられない。


「先生? 先生ー!?」


 驚いたのはスクナの方である。ちょっと目を離した好きに相方がいなくなったのだから当然だ。声を張り上げても届くわけがないことに気づいて、スクナは絶望的な顔をした。

 しかし、当然青年はそんなこと知らない。いや、たとえ知っていたとしても意に介さなかっただろう。構ってなどいられなかっただろう。

 深いクレーターを滑り落ちた青年の体はボロボロになっていたし、それ以上に、青年の瞳は目前の『光』を捕らえて離さなかったのだから。

 その美しさは光り輝いているかのようだった。青年の記憶と寸分違わぬ美しさ、いや実物のそれと比べれば、記憶の中の美しさすら霞んでしまうとさえ思えた。


「……そこに、いたのか」


 一歩、足を踏み出す。


「吾は会いに来たぞ。いつか言い期した通りに」


 手を伸ばした。その光は確かに実態を持っていて、それは青年の手を拒まず受け入れたという事実に他ならない。


「今度こそ、今度こそ連れていく。月の者の怒りを買うことすら、汝(きみ)と離れることに比べればなんら恐ろしくはない。例え取り返しにこられても渡さないだろう」


 青年の腕の中で、彼女は小さく頷いた。




——地球に戻ったあと、スクナはいつもの喫茶店でツバキにぼやいていた。


「あの人探すの、ほんとすごい大変だったんだから。宇宙服着てない人を探すのなんか他の人に頼めないし、見つけたらすっごいクレーターの中にいるし!」

「それでよくあんなに上機嫌になるわね」

「……それ、ほんとなんでだろう……僕が見つけた時にはもうあんな感じだったんだよね。あのウサギも」


 ソファに深く腰掛けながら、青年は膝の上の黒うさぎを愛おしげに撫でていた。


「ていうか、結局会えたんですか? 恋人さん」

「ふふふ……」

「こわい」

「……まあ、良いんじゃないの。こいつもいい加減気づいたんでしょ」

「気づいたって、何に」


 コーヒーを飲んで一息ついて、ツバキはほんのり口角を上げた。


「今はもう月に行ける時代になったんだって、ね」


 『Reach for the sky』の文字をかたどるネオンが煌々と、夜の路地に輝いていた。

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