第8話 邂逅
走る。とにかく走る。鬱陶しい
「何をしている?」
こっそりと忍び込もうと思っていたところを目ざとく見つけられ、白檀は返事に窮した。
「後宮の下女か」
「はい」
「何の用だ?」
「……宝物殿の中に入れて下さい」
直球でそう頼むと、武官たちは戸惑ったように顔を見合わせた。
「貴様のようなものを入れるわけにはいかぬ」
(ですよね!)
白檀とて自分に宝物殿に立ち入れるだけの立場や権限があるとは思っていない。それに、宝物殿は基本的に正五品以上の貴族の立ち合いがなければ入ることができないため、例え頼み込んだとしても警護の武官たちにも立ち入りを許可することはできないはずだ。しかし、高位の貴族たちは皆陛下の傍の席に陣取っており、白檀などが声を掛けることは到底不可能であったため、他に方法はない。
「わけを言え」
「ちょっと確認したいことがありまして……」
「何をだ?」
「それは……」
自分の想像の範疇を越えていないことを迂闊に口に出すわけにもいかない。口ごもる白檀を見て、武官たちは脅すように腰の剣に手をやった。
「早く立ち去れ」
「一目だけで良いんです! 中を見せてください!」
「これ以上騒ぐなら不審人物として連行するぞ!」
武官に乱暴に突き飛ばされ、白檀の体がよろめいた。背中に走るだろう痛みに備えて目をぎゅっと瞑ると、予想に反して何やら柔らかいものに抱き留められた。ふっと艶やかな桃の香が鼻腔をつく。
「大丈夫ですか?」
頭の上から聞こえたのはつい先ほど宴で聞いた低い声であった。思わずしがみついた袍の色は黒。つまり——
(正四品の貴族がどうしてこんなところに⁉)
動揺する白檀をよそに、彼はそのままの体勢で武官たちへと問いかける。
「何があったんです?」
「っ……清香君!」
突然現れた男の姿に武官たちも急いで居住まいを正す。
「その女が、どうしても宝物庫の中に入りたいと」
「そうですか。ここは私が対処しましょう。君たちはもう下がって構いませんよ」
男が優しく微笑むと、武官たちは一瞬その姿に見惚れてから、慌ただしくその場を離れていった。
「怪我は?」
環芳玉はゆっくりと白檀を離し、気づかわし気な瞳でこちらを覗き込んできた。普通の娘ならばこれだけで頬を赤くして喋れなくなってしまうだろうが、今の白檀にはそんなことに構っている余裕はない。
「あの――」
「何をしていたのかは知りませんが、彼らがいない間に早く――」
丁寧な口調ではあるが、やんわりと追い払おうとしてくる芳玉に白檀は思わず声を荒らげた。
「皇帝陛下のためを思うなら、宝物殿の中を見せて下さい!」
「陛下の?」
その瞬間、芳玉の柔らかな雰囲気が消え、一気に空気が張り詰めたのが分かった。禁伺は皇帝直属の親衛隊であり、芳玉はその長官だ。親皇帝派である彼ならば他の人よりは信頼できるだろう。
「どういう意味です?」
眉根を寄せ、厳しい口調でそう問いただす芳玉の姿は、まるで嘘を吐いていようものならこの場で叩き切るとでも言いたげな殺気を纏っているように感じられた。
「まだ確証はありませんが、陛下に対して、何者かが策を巡らせている可能性があります。それを確認するために、宝物殿の中に入れて頂きたいのです」
芳玉は難しい顔をしている。当たり前だ。どこの馬の骨とも知れぬ下女に突然このようなことを言われて、信じろという方が無茶である。その上、貴族というのは何よりも体面を重んじるもの。自身のプライドに賭けて、この宴で謀略が巡らされているなどということは認めたくないだろう。余計な口出しをして機嫌を損ねたら、後宮での出世どころではなくなってしまうかもしれない。白檀がだんだんと自分の発言を後悔し始めた時、
「……分かりました」
芳玉がそう口にして、すたすたと殿舎の方へ歩き出した。
「へ?」
あまりの呆気なさに思わず間の抜けた声を出してしまう。
「あなたが何を考えているかは知りませんが、陛下のためとなれば無視することはできません」
まさか自分の言ったことをこうもあっさり信じてもらえるとは。なにかあれば責任を取らされるのは勝手に殿を開けた芳玉だというのに、彼に迷いは一切見られなかった。
芳玉は腰から鍵束を取り出し、宝物殿の重い扉を押し開けた。
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