第7話 予覚

 舞台上に入れ替わり立ち代わり演者が現れ、宴は滞りなく進んでいく。麝香は舞の、沈香は筝の名手と言われるだけあり、彼女たちの演技が終わると一際大きい拍手が園内に響いた。


 白檀たち下級宮女たちは宴中も下げられた食事の片付けなどに駆り出されている。特に大臣たちは盃を重ねる速さが異常に速く、酒樽が凄い勢いで空になっていく。沈香だけは酒が苦手なのか一度杯を上げて以降全く盃に口を付けていないが、后妃たちの頬も酒気を帯びてほんのりと色づき、春の雰囲気に和している。


「禁伺長、環芳玉」


 環丞相に呼ばれ、芳玉が舞台の中央に立った。その瞬間、宮女たちの仕事の手が止まり、皆舞台にくぎ付けになる。式次第によると、芳玉は漢詩の朗詠を行うようだ。

幼い頃から父と共に漢詩に触れてきた白檀は詩には少々うるさい。とはいえ、詩作の才の方はからきしだったので、専ら批評専門なのだが。科挙の受験科目には詩作も含まれるため、詩が作れなければ話にならない。状元で合格したという芳玉の腕前はいかほどか、と白檀もつい手を止めて耳を傾けた。

 舞台に立った芳玉は人当たりの良い笑みを浮かべ、すっと息を吸った。


  過半の青春 何のうながす所ぞ

  和風しばしば重なりて 百花開く

  芳非ほうひ歇尽けつじんして とどむるによし無し

  ここ文雄ぶんゆうびて 賞宴しょうえんまね

  見取けんしゅす 花光かこう林表りんぴょうに出づるを

  造化ぞうかなんぞらん 丹青たんせいの筆を

  紅栄こうえい落つる処 鶯乱れ鳴き

  紫萼しがく散ずる時 蝶群れ驚く

  借問しゃもんす 濃香何ぞ独り飛ぶと

  飛び来つて座に満ちて 衣を襲ふに堪へたり

  

 詩を詠ずる声は思っていたよりも低く、甘い余韻を残しながら朗々と辺りに響く。

 春の情景を詠んだ詩である。吹きつける和やかな春風に花々が開いては散り、その芳香を留める手立てはない。やや風が強い現在の天候にも触れているあたり、即興で作った詩なのだろう。人間の手では再現できない自然の美を賛美し、花に遊ぶ鶯や蝶を詠み込む。そして花々が急ぎ舞い落ちるのは、人々の衣にまとわりついて共に春を楽しみたいからだろう、とまとめる。


(うまいな)


 白檀は柄にもなく感嘆した。表現は華やかでありながら詩全体としては堅実で、宴の席にもふさわしい。周囲の大臣たちもうっとりと聞き惚れているのが分かった。

 しかしその時、あるものが白檀の目に留まった。


(火の位置がおかしくないか?)


 皇帝の座る玉座の後ろには香国で代々受け継がれている巨大な一枚板の鏡が設置されている。建国期に偶然発見されたという天然の鏡は現在の技術でも再現不可能であり、吉凶さえも占えるという言い伝えのある、最高位の祭具である。そしてその鏡を左右から挟むようにして神事に使われるかがり火が二つ配置されているのだが、その位置が妙に玉座に近いのである。春とはいえまだ外は寒く、この寒空の下で二刻(四時間)以上吹きさらしで耐えなくてはならない陛下への配慮のようにも見えるが、それにしては火力が強すぎるような気がする。既に十分燃え盛っているというのに、役人たちが次々と木片を投げ入れているのも見える。あれでは火の近くにいる陛下は暑いはずだ。


 ふと宴が始まる前に偶然耳に入った武官たちの会話を思い出す。鏡が収められていた宝物殿が寒かったと言っていた。それに衣の裾が濡れていたとも。しかし水気のないあの場所で何故衣が濡れるんだ?


(まさか……)


 白檀の脳裏に一つ、嫌な仮説が浮かんだ。まだ確証はない。ただの思い付きだ。だが、思いついてしまった以上もう無視することもできない。もしもこれが本当だとしたら、かなり厄介なことになるはずだ。だから、確かめなくてはいけない。

 舞台にくぎ付けになる宮女たちの列を一人抜け出し、白檀は急いで駆け出した。



――――――

作中の詩は、嵯峨天皇の「神泉苑花宴、賦落花篇(神泉苑の花の宴に、『落花の篇』を賦す)」より。

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