Chapter 5


 気がついた時、アトリはパジャマ姿のまま家のリビングに立っていた。


「……あれ?」


 無意識に身体に触れる。

 なんともない。勿論、肩に傷なんてあるわけない。


「……夢オチって、やつですか?」


 それにしても、リアルな夢だったような気がしないでもない。

 気がついたらいた荒野で出会った人が実在の無法者アウトローと同じ名前でしかも【不死者】で一緒に旅をしてたら違う【不死者】に襲われたかと思ったら仲たがいしちゃってでも助けてもらえたけど重傷を負って負わせてしまって助けにいくために銃を装備して撃って。


「……まあ、夢なんてどうせこんなもんですよ」


 アトリの人生経験上、夢なんてこんなもんである。

 内容だって、あやふやにしか思い出せない。

 でも、多分、いい夢だったんだろう。そうだと思いたい。

 ふと見れば、ソファの上に【あの人】がいた。

 クッションを枕に、仰向けで寝ていた。

 近づいて、傍らに座って、その寝顔を間近で見る。

 そんなに若くないはずなのだけれど、でも――なんて言えばいいか分からないのだけど、見る人にどこか不思議な印象を与える顔立ちをしている。


 まだあどけない少年のようにも。

 思春期を脱して垢抜けた青年のようにも。

 大人の老練さを知り始めた成年のようにも。


 そのどれにも見えてしまえるのだから、見た目から年齢をきちんと把握するのは、おそらく至難の極みだろう。

 しかし、そんなことは今はどうでもいい。

 なんとなく思う。夢に出てきた人も、こんな感じだった気がする。

 種類は違うけれど、無法者アウトローであることだけは共通していたし。


「なにやってんの?」


 考え込んでいたおかげで、【あの人】が目を覚ましていたことに気づけなかった。


「……別に、なんでもないです」

「なんでもないんだったらね、寝ているいい歳こいたおっさんの側で、そんなことするんじゃないよ」

「……すみません」

「で、どうしたんだい?」

「……え、ええっと……」


 居心地の悪さを感じて、キョドってしまう。

 特に用事はなかったはずだ。

 思わず、うつむきかけて――


「うつむくな」


 その声に、思わずはっとなる。

 顔を上げたアトリに、【あの人】は言う。


「折角、しゃきっとできるようになったんだから。元に戻るなんて勿体なくないか?」

「……元って、そもそもわたしはこうですよ?」

「そうは言うけれど、イイ顔してイイこと言ってしゃきっと立てていたじゃないか。アイツブッチ・キャシディの前では」

「……でも」

「でも?」

「……わたし、ブッチさんに……ひどいこと、しちゃいました……」

「…………」

「……ブッチさんから貰ったお守り、壊しちゃいました。……ブッチさんに色々よくしてもらっていたのに、ひどいこと言っちゃいました……ブッチさんを殺しかけて、危険な場所に追いやって……挙句、酷いことをしてしまって……」


【あの人】は、アトリの懺悔ともいえるそれを、ただ黙って聞いていた。


「……結局、わたし、なにもできないんです。……なにかしようとしてあげても……ただ、傷つけるだけ傷つけてしまって」

「後悔しているのかい?」

「…………」

「じゃあ、なんで逃げなかったんだ? 後悔するのが怖いなら、逃げればよかったじゃないか。逃げなくても、立ち止まり続けることを選ぶことだってできたはずだ」


 アトリは答えられなかった。説明するための明確な言葉が見つからないからだ。

 そもそも、どう言葉にしていいのか分からない。


「……わたしって、結局、なんなのでしょう……事態を悪くばっかりさせていますし」

「分かり切ったことを言うなよ。アトリはアトリだろう?」

「…………」

「悪いけど、俺は今のお前が望むような答えなんか返してやらないよ」

「……優しいんですね」

「俺は優しいよ。お前限定だけどね」

「…………」

「アトリ」


【あの人】は、いつの間にか、目の前に立っていた。


「立ち止まっていて、どうする? 待っていてくれているはずだぞ」

「……今更、そんな……戻れませんよ」


 駄目だ、戻っちゃ駄目だ。

 戻ったら、きっとまたブッチを傷つけてしまうに違いないから。


「なあ、アトリ」

「…………」

「ブッチ・キャシディは虚構に近い物語誰かが望む通りのものを、外ならぬお前に望んでいるのか?」

「……!!」

「どうするか決めるのはお前だ」


 そう言う【あの人】は、アトリが憶えていない顔をしていた。

 笑っているようであっても、どこか寂しそうに見えた。

 それは、巣立ちを迎え、遥か遠い場所へと征ってしまった娘を見る、父親の眼差しだった。


「お前はさ……選べるんだぜ?」













 ブッチは独り座り、眠れぬ夜を過ごした。

 長い――が、短いものだ。全てを喪った時から過ごした年月に比べれば、

 傷は、既に癒えている。でも、中身はほぼからっぽだった。

 胸襟にぽっかりと穴が開いて、中身が流れ出てしまったみたいになっている。

 かけがえのない【存在】を理不尽に強奪さうばわれ、望まぬ生を押し付けられ、仲間はほぼみんな死んだのに生き残らされた。それでも、歯を食いしばって抗い続けていた。


「因果応報ってのぁ……こういうことなのかね」


 勿論、答えてくれる相手はいない。

 大事な問いに答えてほしい時に限って、誰もいないのだ。たとえ、幻覚であったとしても。

 幻覚じゃなくて、悪夢でもよかった。

 一分、一秒、一瞬でもいいから、誰かに会いたかった。

 そう考えて、自嘲する。とんでもない自分勝手もいいところだからだ。

 臨終の間際の老人のように、深く、深く、嘆息する。

 それに代わるよう、真っ黒く凍えた絶望が流れ込んでくる。

 それはブッチの意識を黒く染め抜く――


「酷い顔」


 ――ことはなかった。

 ふわり、と降ってきた声が、それを吹き飛ばしたからだ。

 一瞬、誰だか分からなかった。

 声と姿が、重なって見えたからだ。


「ああ……」


 ブッチは軽く笑い、そのうちの一人に向けて答えた。


「悪ィ……俺、少し寝るわ。ちと、頑張りすぎたみてぇだ」


 そしてブッチは、意識を眠りに委ねる。












 目を覚ます。太陽は、とっくに高い位置にあった。

 冷え切っていたはずの身体は、温かかった。毛布に包まれているからだけではない。

 近くに、焚き火がある。かけたポットを、アトリが見ている。

 不意に、熱いコーヒーが飲みたくなってきた。


「気分は、どう、ですか?」

「だりぃ……」

「コーヒー淹れますよ。他に欲しいものはありますか?」


 返事は、ぐぅ~! という、ブッチの腹の虫たちのコーラスだった。


「その調子だったら、ご飯、食べられますね」






 焚き火を囲んで、ブッチとアトリは食事を摂っていた。

 献立は、定番のブラックコーヒー、米と野菜の煮込み、目玉焼き、ホットビスケットにはブルーベリージャムを添えてと、凝ったものだ。

 それらは、猛烈においしかった。煮込みは出汁に使ったジャーキーの旨味と塩気がほどよく出ているし、目玉焼きは白身がかりかりに仕上がっているし、バターの風味がきいたホットビスケットに酸味がきいたブルーベリージャムはマッチしていた。


「これ、全部お前が作ったの?」

「流石に全部は作れませんよ。エメさんたちからの差し入れもあります。それにわたし、一応女の子ですよ? ブッチさんがいない間、色々教えてもらって勉強したんですから」


 それらを、時折ブラックコーヒーを飲みつつ腹に収める。


「で、だ」


 一息ついたところで、ブッチはアトリに言う。


「はい」

「お前、これからどうするつもりだ?」

「どう、しましょうね……」

「正直、どうすればいいのか分からないです」

「だろうな」


 ブッチの生存は確かなものとされ、その上、【不死者】に成り果てたことがばれた。

 死んだはずの、かつて伝説と謳われた無法者アウトローブッチ・キャシディが、形はどうあれ生き延びていた――おそらく、新大陸フロンティア史上最大のスキャンダルになる。

 それだけじゃない。

 ブッチの許には、相棒がいる。

 本来であればありえないはずの【ワイルドバンチ強盗団】の主幹メンバーの一人――アトリ=ザ・サンダンス・キッドが。

 アトリは、最早、ただの少女ではない。自らの意思で、アトリは名乗ったのだ。

 だから、アトリはもう、無法者アウトローザ・サンダンス・キッドでしかありえないのだ。

 平穏は、過去のものと考えていい。

 間もなく手配書が出回り、二人には莫大な賞金が賭けられるだろう。

 そして、【ピンカートン探偵社】だけでなく、保安官に自警団、賞金稼ぎや騎兵隊が追いかけてくるに違いない。

 新聞記者や小説家たちは、この件をこぞって書き立てるだろう。ただ、センセーショナルな物語を売り出すためだけに。

 史実も記録も――虚構じじつだろうが関係なく。

 その方が、ずっと面白い。そもそも、事実なんて誰も求めていないのだから。


「とにかく、俺たちの前には問題が山盛りだ」

「ですよねー」

「で、お前、この状況で新大陸フロンティアでまともに生きていけるって、思っちゃいねぇよな?」

「思ってませんよ」


 元の世界に帰ることは、今のアトリの目的ではなくなっていた。

 目的より目標を優先させなきゃいけないからだ。

 まずはこの【異世界】で、なんとかマトモに生き延びなきゃいけない。

 追っ手に見つかることなく、追いかけられることなく。


「思っていないなら、どうする?」

「そりゃあ、逃げて逃げて逃げて逃げて逃げ切るしかないでしょう」

「ソイツが無理になりゃあ、どうする?」

「…………」

「言っておくが、新大陸フロンティアにはチャーリー・シリンゴと同等もしくはそれ以上の魑魅魍魎キワモノどもがゴロゴロいるぞ」

「…………」

「だから、俺から一つ提案がある」

「はい」

「俺に付き従え」


 一瞬、なにを言われたのか、分からなかった。


「えーと……ブッチさん、今、なんておっしゃいましたか?」

「俺に付き従えと言った」

「…………」

「理由はどうあれ成り果てちまった以上、お前は無法者アウトローとして生きなきゃならねぇ。だから、俺の下で、色々逐一ご伝授してやろうってんだ。俺が知る、新大陸フロンティアでの本当の生き方を」

「…………」

無法者アウトローとしての生き方……そして、戦い方を」

「ブッチさんらしい誘い文句ですね」


 それは、お姫様を救う白馬の騎士の愛の言葉ではなく、お姫様を堕とす魔王の誘惑。


「そりゃあそうさ、俺を誰だと思っていやがる?」

「ですよねー!」


 つられて、アトリも笑った。

 でも、その笑顔には若干翳りがあった。

 今日だけであっても、一緒にいたいと思っている。

 たとえ明日が喪くっても、一緒に征きたいと思っている。

 なにより、一緒に生きたいと思っている。

 だけれども、お互いの前には、【不死者】と【不死者殺し】という残酷な現実の壁が立ち塞がっているのだ。


「この俺を相手に余所見するたぁ、いい度胸してんな?」

「してませんよ」

「嘘つけ。どうせ辛気臭ぇ――俺たちを隔てるくっだらねぇ理とやらのことでも考えてたんだろうが」


 言葉にしなくても、抱えていた不安は伝わっていた。

 けれども、青鋼色スチールブルーの目は、相変わらず笑みをたたえている。ただし、先ほどまでとは違う種類のものを。

「ンな都合の悪いしがらみみてぇなモンなんぞ、こういう時くらい都合よく忘れちまえよ。いいか? 何度でも言ってやるが、お前はもう、無法者アウトローなんだよ」

「はい」

「ンで、無法者アウトローってのってのはな、大抵の場合許されるんだよ」

「それは、どういう?」

「同じ無法者アウトローからは……特に、同志ナカマからは」


 ブッチはそれ以上、なにも言わなかった。

 アトリはそれ以上、なにも望まなかった。

 お互い、それだけで、もう、充分だったのだから。

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