Chapter 4


 全てを振りきり、カマロンの町を飛び出し、ただただ我武者羅に突っ走って、突っ走って、突っ走って――

 スタンピードの喧騒も人の営みの明かりも、最早遥か遠い後ろだった。

 砂塵を含んでざらついた風のにおいと、からからに乾いた空気の味。

 そこは、荒野。

 人の法が通じない領域、無法が支配する場所。

 アトリは帰ってきたのだ。自分が選んだ世界に。

 空は、美しく変貌し始めている。夜が、撤退を初めていた。


「……きれい」


 藍色のカンバスに薄紫色の光を当てたような、優しい色合いをしている。もう間もなく、暁が到来する頃合いだろう。

 世界が美しく生まれ変わろうとする瞬間が、どこまでも果てしなく広がっている。


「そォかよ」


 されど、ブッチは吐き捨てる。その声には、苛立ちと、怒りがあった。

 気づけば、声と同様の感情の表情でこちらを見ている。


「アトリ!」 


 当たり前だ。

 アトリは、それだけのことをしでかしたのだから。


「お前、あの時……死のうとしやがったな……!」






「…………」

「あの時、お前は、自分が死ぬことで……自分の【存在】が喪われることで強奪しうばい返せると思ったんだろう? ザ・サンダンス・キッドを」

「…………」

「図星かよ」


 黙り込んだままのアトリに、ブッチは吐き捨てる。


「なんで分かったのか、言ってやろうか?」

「…………」

「その銃だ。お前が持つ、その銃の名は……【エステル】」


 ブッチは、アトリが所有する銃を指差す。


「ザ・サンダンス・キッドの得物だ」

「…………」

「それと、お前、シリンゴを嵌めただろ?」

「…………」

「やっぱりな!」


 アトリの沈黙は、肯定の表明だった。

 故に、ブッチは全てを確信する。







 冷静になって考えてみれば、だ。

 シリンゴと対峙した際、アトリがとったのは勇気ある行動でも無謀な挑戦でもない。合理的な凶行だ。

 他ならぬ自分の命、正確にいえば自分の【存在】と引き換えに、ザ・サンダンス・キッドの【存在】を取り戻そうとしたのだから。

 実際、そうだ。あの時のあの状況を考えれば、実現可能なのだから。

 思い出してみてほしい。

 あの時、対峙していたのはチャーリー・シリンゴ、【ピンカートン探偵社】において、ブッチの拿捕に固執する男だ。あんな状態になってもまだ追いかけてくる、お墨付きといっても過言ではない執念の持ち主だ。

 そんな男が、予備知識を何も持たない状態で、あの手この手で挑んでくるだろうか?

 これまでの言動から察するに、シリンゴはブッチがボリビアの地で死んだことを信じていなかった。

 信じていなかったってことは、それが真実であるという確信がなかったってことだ。


 ――「お前の他に、一体誰があの場にいたんです?」


 あれは単なるハッタリだった。されど、そうでしかなかったはずの言葉は、ブッチに対しては誘導尋問カマかけと化した。

 皮肉なことだと思わざるをえない。敵対する関係である以上、二人はお互いを決して心から分かり合うことはないのだから。

 その結果、ブッチは答えの片鱗を見せ、シリンゴはそこから答えを得た。

 すれ違いが、これまでまかり通っていたシリンゴが抱く虚構じじつを壊したのだ。

 それを知ったシリンゴが事実を明らかにすべく行動を起こすのは、目に見えている。全てを究明し、全てを正しく構築し直して。

 だけども、もし――そうする上で、ことの全てを知る存在が介入してきたらどうなるだろう?


「アイツは探偵だからな、根っからの。宿敵てきを褒める気はさらさらねぇが、チャーリー・シリンゴってのは、敏腕探偵と自他共に認める野郎だ。そんな奴が、事実を突き止めようとしないはずなんてねぇ。お前は、そこに付け入った」

「…………」

「お前は、シリンゴに道を示してやった。その言動でもって、ミスリードしてやった。それまでの虚構じじつを、今一度わざわざ再構築させて、また別の虚構じじつに塗り替えさせて、新たなる虚構じじつへと創造しつくり直させた」

「…………」

「新たなる虚構じじつ……いや、違うな。事実でも虚構じじつでもねぇ、全く新しい存在かと思えばそうでもねぇ、かといってどっち付かず……事実じゃなくて虚構じじつ寄り、事実じゃねぇから虚構じじつ寄り……どっちかっつーと虚構じじつではあるが、一概にそう言えねぇけど、虚構じじつに近い、限りなく……でも、虚構じじつとは言えねぇ……言えねぇな、ならばそうさなぁ……ならば、伝説……いや、物語か?

 そうさなァ、これは物語だな。虚構じじつに近い物語、とでも言うべきか?」

「…………」

「ソイツが完成すりゃあ、完成させることができりゃあ、ザ・サンダンス・キッドの【存在】が確かなものであると証明される。ソイツが完成すれば……ザ・サンダンス・キッドの【存在】の抹消が抹消される。そうなりゃ、ザ・サンダンス・キッドは、帰還すもどってくる」

「…………」

「けどよ、ソイツぁ、俺の知るザ・サンダンス・キッドじゃねぇかもしれねぇぜ。それまでこの世界における虚構じじつでしかありえなかったはずの【存在】に、【異世界】における事実を与えられた、虚構に近い物語における人物ザ・サンダンス・キッドでしかありえねぇんだから」


 でも、アトリは成し遂げようとした。

 結局、失敗に終わったのだけれども。

 どのような形であれ、ザ・サンダンス・キッドが帰還すもどってくることはなかったのだから。


「でもよ、その代わり……お前は、自分がどうなるか、想像しなかったのか?」

「…………」

「俺が【不死者】に成り果てたのと、逆のことが起こるかもしれねぇって考えなかったのか? 

 ザ・サンダンス・キッドが帰還すもどってくるのに、過去・現在・未来におけるお前の【存在】が代価になるかもしれねぇって」

「…………」

「そうであるならよ、お前……ザ・サンダンス・キッドと入れ替わる形で、虚構じじつに成り果てちまうんじゃねぇか? もしそうなったらよ……ソイツぁ、お前が死んじまうのと同じことなんじゃねぇか? お前の【存在】そのものが、うしなわれるって、考えつかなかったのか?」

 

 アトリは、答えない。

 沈黙することで、ブッチが掴んでしまった全ての確信、その全てを肯定している。

 ブッチの中で、何かが、切れた。

 ブッチは、アトリの喉首を掴んだ。

 とはいうものの、本気でやっているわけではない。理性を総動員し、激昂をねじ伏せた上での行いだ。

 やろうと思えば、アトリの首など簡単に握り潰せる。


「お前、どういうつもりだよ……ッ!」

「…………」

「なに考えてんだよ……ッ!」

「…………」

「なんか言えよ……ッ!」

「…………」

「俺が納得できるように、理論立ててきちんと説明して……くれってんだよ……ッ!」

「…………」

「アトリ……!」

「…………」

「お前さ……俺が、ンなことされて……喜ぶとでも、本気で思ってんのか?」

「…………」

「答えてくれよ……ッ!」


 アトリは、答えない。

 ただ、その顔が苦しげに歪む。露ほども力がこもっていない手で、掴まれているだけなのに。

 むしろ、そういう顔をしたいのはこっちだよ、とブッチは胸中で毒づく。こんな蛮行をしでかさせているのは、外ならぬアトリのせいだ。


「ンなことされて、残された俺が少しも後悔しねぇとでも思ってンのか!?」

「……後悔、くらい、しますよ……」


 アトリはようやく言葉を吐き出す。その声には、涙を――泣きたいのを無理矢理押さえつけて塞ぎ止めている危うさがあった。


「……むしろ、しなきゃ……おかしい、です……」

「お前ッ!」

「……状況があのまま進むだけだったら、ブッチさん……今度こそ本当に、捕まって終わっていましたよ」

「どういう、こった?」

「……もし仮に、シリンゴがわたしを撃っていたら、どうするつもりでした?」

「……ッ!!」


 皮肉なことに、それがブッチの怒りを鎮める。

 アトリはただの人間だ。撃たれれば、死ぬ。死ななかったとしても、深手を負う。

 どっちにしても、血が流れる。【不死者殺し】――【不死者】を、現状におけるブッチを滅ぼす唯一の手段が。

 そうなったら、形はどうあれ辿るのはどうしようもない破滅だ。

【不死者】であるブッチは、どうあったって【不死者殺し】であるアトリを助けることができない。

 その上で、軛にかけられる。

 わずかな希望すら、全て絶たれて。


「それが、理由か……だから、ザ・サンダンス・キッドか」


 だから、アトリは打って出たのだ。

 自分の【存在】と引き換えに、ザ・サンダンス・キッドを帰還させるもどす

【不死者殺し】はいなくなる。そうなれば、どうしようもない破滅へのルートは絶たれる。

 そうなったら、もう、心配なしだ。

 唯一無二の相棒であると認め合う同士ブッチ・キャシディとザ・サンダンス・キッドが揃うのだ。あの程度の窮地を脱せないはずない。

 だけれども、これはあんまりといえばあんまりだ。

 合理的もいいところ――故に、凶行。

 アトリが外ならぬ自分自身を犠牲にしなければできないことなのだから。

 全ては、ブッチを救うため。

 ただ、それだけのため。

 それでも、ブッチは突きつけられた全てが、事実ではなく虚構じじつであると思いたかった。信じたかった。

 外ならぬアトリ、事を起こした張本人が「そんなわけないじゃないですか」と言えば、言ってくれれば――全ては、事実ではなく虚構じじつになるのだから。

 だけれども、それは結局叶わなかった。


「ッ!? やッべぇ!」


 気付くのが、遅すぎた。

 限界を迎えてしまっていたアトリは、既に意識を手放してしまっていた。

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