Chapter 8
キエン・エス身体を震わせていた。己が身が震えることへの震えだった。
それは、【不死者】のみが知る恐怖。【不死者】に本物の滅びをもたらす【不死者殺し】を前にした。
望まざるそれを振り払わんと、キエン・エスは叫び声を放とうとした。
その直前、衝撃が顔面から脳天――そして、意識を突き抜けていく。
反撃に遭い、ぶん殴り飛ばされたのだと理解した。しかし、こんなのなんてことない。死ぬことに比べれば。
ふらつきながらも、立ち上がる。
歪む意識が映す視界の中、ブッチ・キャシディは銃を奇妙なポーズで構えていた。
キエン・エスは嘲笑う。
馬鹿が、その銃はもう撃てねぇよ。六発全部撃ち尽くしているんだ。弾切れの銃で、なにが出来る? そんな虚仮脅しが無意味だってことぐらい、こっちは分かってい――
「くたばり……さらせ!」
銃声!
意識は歪んでいた。だが、身体はしっかりと捉えていた。右眼に命中し、脳を食い破り、後頭部を突破していく銃弾の感覚を。
バ、バカな!? そんな、ありえない!
そう――実際、ありえないことなのだ。銃で、七発目の銃弾を放つことなど。
銃に装填できる弾の数は六つ。だから、六発しか撃てない。
なのに、一体、どうやって?
「クソガキが、おっさん舐めんじゃねぇぞ!」
キエン・エスの動きが止まる。
そうさせたのは、【不死者殺し】への恐怖だ。
だから、ブッチは行動を起こせていた。動けたからだ。
【不死者殺し】を怖れるが故、立ち止まってしまうキエン・エスと、ブッチは違う!
【不死者殺し】である前に、アトリはただの少女なのだ。
生真面目で、恐がりで、お人好しの。
いや、話はそれ以前だ。【ワイルドバンチ強盗団】の
もし、出会わなければ、出会えなければ――あと何年かすれば、キエン・エスと同じような存在に成り果てていたかもしれない。
そんな存在を、ブッチにとっての恩人を、キエン・エスはバケモノ扱いするのだ。
「ふざけんじゃねぇよ……ッ!」
左手を、握りしめる。
吹っ飛ばされた指は、【再生】していた。ただ、感覚がちょっとおかしい。指が形作られているけれど、神経が根こそぎ抜け落ちているみたいな感じで。
銃を握れるか、引き金を引けるか、分からない。
そんなの、分からなくて構うものか。握りしめられればいい、拳に出来ればいい、拳を振り上げられるだけでいい。振り上げて、相手にガツン! と一発入れられれば、それでいい。
「……!!」
キエン・エスが吹っ飛ぶ。
当たり前だ。顔面中央、鼻を、拳でストレートに打ち抜かれたのだから。
感触で、鼻の骨を砕いてやれたのが分かった。前歯も砕けていた。
しかしその反動、手加減一切抜きにやらかしたおかげで指が軒並みオシャカになる。
そんなの構うものか。どうせ【再生】するのだから。
炎に照らされる視界の端に映ったものを見つける。歩み寄り、右手の指に引っかけて拾い上げる。先程奪われた得物だ。
見る限り、オシャカになっていないようだ――これならいける。
握り開きが出来た。指はしっかりと動く、握力も戻っている。これなら、銃を持てる――そして、撃てる。
しかし、ここで問題が一つ。上手く構えられない。
見てくれは元通りだ。だけど、握り砕かれた衝撃で感覚がぶっ壊れている。
構えようにも、ぐらぐらして照準が定まらない。
これじゃあ、意味がない。引き金を引けたって、銃弾が標的に当たらなければ。
だったら――ブッチは、右手首に、歯を立てる。その側面をがっぷりと噛んで咥え――頭を傾ける。
そうやって、銃を構える、固定する。角度と位置を調整し、標的への照準を定める。
引き金に、指をかけた。あとは、引くだけ。
この銃は、ダブルアクション式だ。撃鉄を起こさなくても打てるタイプ。
視界の先、標的が立ち上がる。
目が合う。案の定、こっちを嘲笑っていやがった。
多分、こう思っているんだろう。馬鹿が、その銃はもう撃てねぇよ。六発全部撃ち尽くしているんだ。弾切れの銃で、なにが出来る? ――と。
ブッチは嘲笑い返す。
「くたばり……さらせ!」
銃声!
放たれた銃弾、本来であればありえない七発目のそれは、キエン・エスの右目に命中。
後頭部から血の華が咲く。
バ、バカな!? そんな、ありえない! と。凍りついた表情で倒れたキエン・エスに、ブッチはこれまで溜まりに溜まった恨みと鬱憤の罵声を浴びせた。
「クソガキが、おっさん舐めんじゃねぇぞ!」
実際、ありえないことだ。七発目の銃弾を撃つなんて。
そもそも銃っていうのは、六発しか銃弾を込められない。故に、六発しか撃てない。
リボルバー――またの名を、回転式拳銃という銃は。
だけど、実はそれは、
常識の外側のスペックを持つ銃を、ブッチは得物として所持し――そして、撃った。
その銃の名を、ナガンM1895という。
売り込みに来たあの胡散臭い武器商人は、確かこう言っていた。
「コイツは
コイツの一番の特徴は、七発撃てるところだ。そのために、ナガン弾っていう特殊な銃弾を使う。他にも、普通じゃ考えられない面白いカラクリがあるぜ。購入代金を上乗せしてくれたら、詳しく説明してやってもいい」
代金、上乗せするんじゃなかったと、ブッチは後悔している。
詳しい説明に出て来たブラミット・デバイスとやら、発砲時の射撃音を押さえる効果がある機器らしいが、正直必要性あるか? って思う。あんなの、どう考えたって使うのは暗殺者か変質的かつ変態思考を持つ殺人鬼ぐらいじゃないか。
ブッチが知る由もないことだが、このナガンM1895という銃、実はブッチにとっての【異世界】にも実在していたりする。ロシアという国がまだ帝政だった時代、製造されて主に使用されていた銃だ。
またの名を、ナジンM1895という。二つの名を持つのは、ロシアがベルギーというフランス語を母語とする国から製造権を譲り受けて国産化した背景があるためだ。
ちなみに、ミリタリーマニアの間では割と有名な銃である。リボルバーと呼ばれる銃の中で、ブラミット・デバイス――通称、サイレンサーと呼ばれる発砲音を抑制する器具を装着できる唯一の銃だし。
それはともかく、だ。
ブッチが思うに、キエン・エスは【異世界】で言うところの【チート】である。生前の卓越した射撃技巧による早撃ちと、【不死者】としての力が合わさった、向かうところ敵無しの。
だから、思い至った――だったら、こっちも【チート】を使ってやればいい。
大体、ガチの殺し合いにルールなんて必要ない。ただ勝てればいいなら、相手を騙し討ちしてやればいいのだ。
「に、しても、よ」
ブッチは、周囲を見渡す。既に教会内部は火の海だ、退避しないとやばい。
だけれども、その前に――
傍らに寄り添ってきた、黒影――先程、騒ぎに乗じてこの場に乱入をかけてきたクラレントに、ごちる。
「なあ、アトリの奴……一体なにをしたんだってばね?」
時計の針を、少しばかり戻そう。
アトリが思うに、ビリー・ザ・キッドはガチのチートキャラである。西部劇とかで脚色されているけど、とんでもない早撃ちで実際敵なしだったっていうし。
だけど、その「とんでもない早撃ち」は、実はやろうと思えば誰にでもできるらしい。
ビリー・ザ・キッドの得物は、コルトM1877・ライトニングという銃。あの当時、かなり珍しい銃だったはず。
西部開拓時代、主に出回っていたのはシングルアクションと呼ばれるタイプの銃だ。撃つ都度、いちいち撃鉄を起こさなきゃいけない、連射しようにも非常に手間がかかる銃。
だけどダブルアクションは、その手間がスキップ出来る機能が組み込まれている。引き金に連動し、弾倉が回り、撃鉄が上がる――ただ引き金を引くだけで弾を撃てる、自動連射機能が。
だけどそんなこと、アトリにはどうでもいい。ビリー・ザ・キッドは、本物の強さを持った【英雄】だ。真正面から殺り合って勝てる相手じゃない。でも、アトリはそんな相手に絶対に勝たなくちゃいけない。
そう考えた上で、思い至った。だったら、こっちも【チート】を使えばいいのでは?
人々がビリー・ザ・キッドのやり口を知らなかったように、ビリー・ザ・キッドが知らないアトリが知るやり口をぶつけてやれば。
その手のことなら漫画やラノベやアニメを見て覚えている。
用意するのは、マッチ、布、可燃性の液体、それを入れる容器。
作り方は簡単。容器に可燃性の液体を入れ、布で栓をしてマッチで火を付ける。
それをただ、投げればいい。容器が壊れる衝撃で中身が飛散、発火し、爆発を起こす。
使い方は至って単純。出来上がったそれを、ただ投げればいいだけ。
容器の破壊の衝撃で中身が飛散するとともに発火し、爆発を起こす。
その危険極まりない代物の名を、モロトフ・カクテルという。
通称、火炎瓶。デモ隊やゲリラ御用達の兵器だ。
でも、アトリが今訴え出る手段は、その応用だ。
点火のためのマッチと可燃性の液体――てんびん油と火薬がブレンドされたウイスキーは、ケサダとエメさんに頼んで分けてもらったもの、栓に使う布は、マントみたく纏っていた襤褸布を裂いたもの。
容器はペットボトル――アトリが元いた世界から持ち込んだもの。
瓶じゃなくてペットボトルにしたのは、その方が楽に投げられるだろうと判断したためだ。
見るからに大きくてごつくて重そうにしか見えないつくりをした【異世界】の瓶を、上手く投げられるなんて到底思えなかったから。
そうやって完成した火炎ペットボトルとでも言うべき武器を、アトリはぶん投げ、叫び――引き金を引いた。
ごうごうと燃え盛る炎が満ちるそこを、アトリは無我夢中で駆ける。
迷うことはなかった。導き手のクラレントの傍らに、その
望んでいてもいなくても、再会は久しぶりだった。だけれども、お互い言葉はなかった。
しばし、二人は無言で向き合った。
お互い、言いたいことは沢山ある。
だけれども、今の二人の前には壁があった。
「アトリ……」
その壁を、ブッチは破る。
「肩、貸してくれや。ちぃとばかり、頼まァ」
着弾の衝撃でよろめくが、キエン・エスは立ち上がる。
正直、混乱していた。あり得ないはずの七発目の銃弾というばかでかい衝撃をくらったせいもある。
しかし、それよりも――
少女と目が合う。その眼差しは、ぶれることなくどこまでも真っ直ぐだ。
キエン・エスには見えていた。少女が、【あれ】を纏うのを。
長身の男――の幻影だった。
コートを纏い、ステットソンハットを目深に被った。
抗おうとも打ち勝てぬ恐怖に、心がガチ砕ける。
お前は、何者だ? 俺を滅ぼそうとするお前は、一体、誰なんだ!
「キエ……ン・エ」
アトリが、目の前に立つ。
キエン・エスとの境に、ちゃんと立ってくれている。
右腕を、アトリの右肩に腕を乗せる。その先の手にはコルトM1851――アトリから渡された銃がある。
狙いを固定するため、前のめりでもたれ掛かる姿勢になる。意図せずとも、体重がアトリの身体にかかってしまう。
だけれども、アトリは屈しなかった。重みに倒れなかった。よろめくことすら。
足をしっかりと踏ん張り、砲台の役を買って出てくれている。
肩を貸してくれ――その言葉が意味するのは、銃を構えるための砲台になれということ。
「……やれますか?」
振り返ることなく、アトリが聞いてくる。
「やるっきゃねぇだろ」
ブッチは答えた。
やるのなら――殺るのなら、確実でなければならない。
それ以前の話、必ず成し得なければいけない。
自分を信じてくれる自分以外の誰かからすべてを託されたのなら。
一撃で、終わらせる。外せば、後がない。この一撃に、全てがかかっている。
引き金に、人差し指をかける。
指先が、なにより銃口がぶれないよう、細心の注意を払う。
視線の先に立つキエン・エスが、口を開く。なにかを発しようとする。
「キエ……ン・エ」
「死に……
最後まで言わせなかった。
ブッチは撃鉄を起こし、引き金を迷わず引く。
銃声!
着弾の衝撃に、たたらを踏む。
倒れなかったのは、残滓であったとしても最早気づけない、【英雄】としての彼の矜持か。
こわごわと、キエン・エスは胸に穿たれた穴を見る。
人間であれば、即死レベルのダメージ。されど、【不死者】であれば。
【再生】は、始まらなかった。
その代わり、上がったのは――
「¡¡Aaaaaaaaaaaaaaaah!!」
アトリの目の前で、
なにかに例えるなら、それは、死と奈落の色をしていた。
「……なに、これ……?」
その炎は、
瞬間、アトリは理解する。これは【再生】の真逆の色だ。【破滅】を示す色だ。
【不死者】が滅びる際に上がるものだ。
「¡¡Aaaaaaaaaaaaaaaah!!」
本物の絶叫、断末魔そのものが、轟く。
ブッチの視線の先で、キエン・エスは絶叫していた。ただ絶叫することしか許されぬこの状況に、受け入れがたきことに、ただただ絶叫していた。
【不死者殺し】――アトリの血が塗られた銃弾は、効果てきめんだった。
滅び逝く【不死者】の身体から、
さながらそれは、圧縮された黙示録の光景。
【再生】の真逆、【破滅】を示す色、【不死者】が滅びる際に上がる異彩の炎は、死の軛に繋がれざることが約束されていたはずのキエン・エスの肉体を破壊していく。
破滅に追いたてる。生きながら本物の地獄へと引きずり落としていく。
噴き上がる炎の強さが、増す。
瞬間、キエン・エスの肉体に、亀裂が走った。
二つ、三つ、四つ、五つ――
「…………!!」
轟音!
全ての亀裂が繋がり合った時、天と地が互いを穿ち合うかのよう、炎の柱が昇る。
それはさながら、地に落ちる寸前だけ赦される、流れ星の輝きをしていた。
それが収束し終えた時、キエン・エスの姿はない。
アトリはそれを、茫然と見ていた。
ブッチは目を閉じ、静かに頭を垂れた。
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