Chapter 7
本名、ウィリアム・ヘンリー・マッカーティ・ジュニア。
敬称、ビリート・ウィリアム・ヘンリー・マッカーティ・ジュニア。
冠する異名は【少年悪漢王】。
それが彼だ。時のアメリカ西部開拓時代に実在し、その名を馳せた
はっきり言って、メジャーもいいところの人物である。
ガンマンといえばビリー・ザ・キッド、ビリー・ザ・キッドといえばガンマンってくらい。
西部劇ではよく題材にされ、数多くの往年の名優たちが演じたことで有名な人物だ。
だけれども、西部開拓時代をそもそも知らない、そもそも西部劇なんて観たこともないって人の方が、実はその名をよく知っているのではないだろうか。度々、アニメや漫画やラノベのキャラクターのモチーフとしてネタにされていたりするし。
特筆すべきは、若くして天才ガンマンの称号を手にしたことだろう。早撃ちの射撃技巧であれば、西部開拓時代最高といっても過言なかったっていうし。
されど、そんな伝説もやがて
一八八一年、二十一歳の時、逃亡先の隠れ家で暗殺されるのだ。
と、これがアトリが元いた世界における、ビリー・ザ・キッドの最期であったとされている。
【生存説】があるから、「これが絶対確かな真相だ!」とはいえないのだけれども。
「……だけれども、【
「【異世界】じゃ、どう、か知らねェ、けどよ……貴殿、は死んでなんざ、いなかっ、た。【不死者】に成り果て、生きて、いた」
ブッチが知るビリー・ザ・キッドは、実在の人物である。
かつて
その存在は、ガンマンの代名詞そのものだ。
早撃ち、射撃の名手、決闘者という言葉は、ビリー・ザ・キッドのために存在していると言っても過言ではないくらい。
いや、【英雄】そのものと言ってもいいかもしれない。本名の一部であるウィリアムは、
「ンでもって……得体の、知れ、ネェ、殺人鬼に、堕ちていた」
否。
ブッチは察する。ビリー・ザ・キッドは【不死者】に成り果て、死んだのだ。
望まぬ【不死者】としての生を押し付けられて。かけがえのない【存在】を喪わされて。
そもそも、理不尽の度を超越しすぎている。
「つーかよ……虚構(じじつ)にさせられたヤツ、貴殿を【不死者】に成り果てさせた元凶、ってのは、貴殿を殺した奴なんじゃねぇ、のか?」
否。
アトリは察する。ビリー・ザ・キッドは【不死者】に成り果て、壊れたのだ。
望まぬ【不死者】としての生を押し付けられて。かけがえのない【存在】を喪わされて。
むしろ、マトモでいろっていう方が残酷でしかありえない。
「……パット・ギャレットですよ」
アトリは断言する。それは、ある人物の名だ。
ビリー・ザ・キッドの暗殺実行犯の名だ。
この【異世界】において、ビリー・ザ・キッドが【不死者】に成り果てる要因、【存在】が
「……キエン・エスって、そもそも名前じゃないんですよ。……パット・ギャレットに向けて発せられた、最後の言葉だったんですよ」
諸説は色々ある。突然の闇討ちに対して反射的に発したとか、夜盲を患っていた時の突然の襲撃に驚いて発したものだとか。
「……それ以前に、常識的に考えれば、最初から気付けるはずだったんですよ」
よくよく考えてみれば、常識以前の問題だ。あの夜だってそうだ。ブッチを問答無用で撃ち殺していたじゃないか。ドア越しに、顔を合わせることもせず。
でも、そうでもしなきゃ、ブッチを一撃で殺すことなど出来やしなかっただろう。いくら知らなかったとはいえ、ブッチはかつて、
それはともかく、あれって、完全に不意打ちとして成立していると思う。ただ「殺す」ことだけを第一目標とした。
故に、ここで疑問が生じる。
不意打ちで相手を殺すことを目的に動くような奴が、これから殺そうとする奴を相手にわざわざ乗るなんてご丁寧な真似をするだろうか?
この疑問に、ある意味決定打的なものをかけることになる出来事もあった。
ブッチの不在時、ケサダと話した時だ。
――「……だとしたら、パット・ギャレットなんてよっぽど慕われてなかったんでしょうね」
ジェシー・ジェイムズを背後から撃って殺したっていうフォード兄弟の話題が出た際、アトリは何気なくこう言った。
だけれども、ケサダはそれに対し、なんて言った?
――「なんですかい、そりゃあ?」
パット・ギャレットっていうのは、人名だ。
なのに、ケサダは「誰ですかい」じゃなくて「なんですかい」って返した。
これって、すごくおかしいことじゃないだろうか? パット・ギャレットがどういう人物かどうか知らなくても、あの時のことを思えば流れ的にここは「パット・ギャレットって名前の人物」の話題が振られているってことにならないだろうか?
考えてみてほしい。知らなかったり、はっきり分からなかったりする人物のことを相手に尋ねる場合、普通、「誰」って言わないだろうか?
これと同じようなことが、あの夜も起こっていたとしたらどうだろう?
アトリたちが、相手が名乗りを上げていたって、単に勘違いしていただけだったのなら?
その際使われた言葉が、【バベルヘイム・オリジン】っていう言葉以外の、なにか別の言葉――アトリが元いた世界で言うところのスペイン語だったとすれば?
ブッチはボリビアの地で最期を迎えたことになっているはずである。そことアトリが知っている実在のボリビアが同じものか分からない。だけど、ボリビアって確かスペイン語が主に使われている場所じゃなかったっけ。
それ以前の話、アメリカ大陸の最初の入植者たちはスペイン人だったはずだ。
これと同じようなことが、この【異世界】にもあるとしたら、スペインっていう国がこの【異世界】に存在しているかって言われたら、可能性として、有り得るんじゃないだろうか?
ブッチの話を聞く限り、この【異世界】にはアトリが知るような国、イギリスとかロシアみたいな国は存在していないらしい。
だけれども、もしかすれば、イギリスとかロシアという「名前の」国が存在していないってだけなんじゃないだろうか。
文化とか言語はイギリスとかロシアだけど、なにか別の名前で呼ばれているだけとか。例えば、イギリスだったらブリタニアとかキャメロット、ロシアだったらルーシとかキーテジみたいな感じで。
それと同じで、アトリが知る「スペインではあるけれど、スペインという名前ではない」国が存在していたとしたら?
そう考えると、辻褄が合うのだ。だって、ビリー・ザ・キッドが育ったのと主に活動していた場所って、英語よりスペイン語が使われている地域だし。
全部、この【異世界】における事実としてありえないわけじゃない。ただ、アトリが何も知らないだけで、
今思えば、知ったかぶりもいいところだったかもしれない。大体、アトリはこの【異世界】について全て知っているわけじゃないのだ。ただ、自分が持ち得ていた西部開拓時代と西部劇の知識で勝手に枠を固めて、多分こうなんだろうなって、勝手に思い込んでいただけなのだ。
気付くのがここまで遅れたのは、それだけが理由なんかじゃない。
ただ、信じたくなかっただけなのかもしれなかった。
狂気の殺人鬼キエン・エスの正体が【英雄】ビリー・ザ・キッドだったっていう現実を。
アトリが知るビリー・ザ・キッドは、西部開拓時代と西部劇における【英雄】の一人なのだ。
それがたとえ、
軋るような絶叫が迸る。それは、爆発した憎悪そのものだ。
銃を捨てる。弾を六発撃ち終えた銃に、他者の命を吹き飛ばす力などない。
ナイフを拾い上げ、利き手に握った。
どす黒い感情は、憎悪に塗れたおぞましい悦びだ。だが、キエン・エスには心地いいものでしかない。
楽に殺してやるものか。嬲り殺し殺してやる。こいつは、
憎悪と狂気の赴くまま、ナイフを振り下ろす。
用いた奇策、その全てが、容易く打ち破られて終わった。
これが【英雄】、生きて伝説を
角度と軌道から察するに、おそらく右目を潰すか抉るつもりだ。
当たり前だ。伝説に謳われる通り、彼は左利きなのだから。
実際、ガンマンの利き手ではない方で銃を扱い、そして、今はナイフを握っている。
【英雄】ビリー・ザ・キッドが、左利きの天才ガンマンであったという伝説がある。
左利きのガンマンって、天才って称されるくらいすごいの? と大体の方は思われるだろう。
ピンとこない方のために解説しておくと、銃っていうのは、本来であればガンマンの利き手――右手で扱うことのみ想定して製造されている武器だったりする。そうであるのは、大体の人間が右利きだからだ。
だけど、撃つだけだったらそうじゃなくても出来る。引き金を引ければ、銃弾は射出されるんだから。
しかし、その考えには実は大きな問題がある。
考えてみてほしい、弾を全部撃ち尽くしてしまったら、右手で扱うことのみ想定して製造されている武器の手入れ、とりわけ、弾込め――銃弾の装填作業を、そうじゃない方の手でスムーズに行えるだろうか?
乱闘か銃撃戦の渦中であれば、文字通り一巻の終わりだ。騎士道もへったくれもクソもない命のガチのやりとりの現場じゃ、格好の的にしかなりかねないのだから。
それ故、ビリー・ザ・キッドは天才ガンマンと伝えられる存在であり、【英雄】と謳われるのだ。早撃ちに特化させた射撃技巧でもって敵を早々と倒し、その大きな問題とやらにはまってしまう前に事を終わらせてしまうのだから。
「敵いっこねぇ……!」
諦念が絶望に変わりつつあった。
だが――
「バモサマタールッ……!」
「……!?」
瞬間――銃声!
「バモサマタール・コンパネロス!!」
乱入者が上げた
正面扉――戦場との境界線で、アトリは竦み上がっていた。
銃声が、生命と倫理への冒涜の讃美歌が、辿り着いた教会内部を
今度こそ死ぬかもしれないという恐怖がある。それ以前に、自分はビリー・ザ・キッドを殺せるのだろうか?
西部劇では誇張されて描かれていることが多いけれど、ビリー・ザ・キッドの射撃技巧は、チートもいいところなのだ。左利きでありながら凄腕のガンマンだし。
余談だけど、西部劇において左手で銃を撃つのは、止む負えない事情を持つ設定のキャラクターに限られる。例えば、敵にこっぴどいリンチを受けて右手を使えなくさせられたみたいな。
アトリが知る限り、唯一の例外はクラウス・キンスキーぐらいだ。
かの往年の映画スターの彼は、そういう設定に縛られず左手で銃を撃ちまくる演技をしていた。あれは確か、ガチの左利きだったからそうしていただけらしいけど。
逃げたい、逃げ出したい。でも、行かなきゃ、行かなくちゃ。
なんとか奮い立とうとする。でも、肝心の一歩を踏み出せない。
我ながら、情けないと思う。さっきまでの勢いはどこに行ってしまったのだろう。
駆けつけるための翼をみんなからもらったのに、肝心な時、躊躇ばかりして羽ばたけない。
思わず、眼を瞑ってしまう。悔しかった。惨めだった。
――「真面目に悩むんじゃない、馬鹿」
「クラレント」
アトリは、クラレントに呼びかけた。
「わたしのわがまま、聞いてくれますか?」
クラレントから降りたアトリは、サドルバッグを開けた。目当てのものを取り出す。
振ると、中身――本来は飲料だけど、可燃性のある琥珀の液体が、ちゃぽちゃぽ音を立てる。
蓋を開け、口にぎゅうぎゅうと布を押し込む。そうするための布は、羽織っていたボロ布を破いて使った。
最後にそれに、サドルで擦って着火したマッチで火をつける。
完成した凶器を携え、アトリは教会の敷地内を移動する。正面から、側面へと。手綱を引かなくても、クラレントは付いて来てくれる。着火の危険性が高いので、ボロ布は教会正面に捨ててきた。
裏手近くの窓の前で、アトリは止まった。控えるようにして背後に待つクラレントに、言う。
「いい、ですか?」
件の凶器を、アトリは内部に向けて思いきり投擲する。火が放物線を描いて飛び込んでいくのと同時に、クラレントは駆け、跳躍し――戦場に踊り込んだ。
見届けるのと同時に、アトリは手を伸ばす。伸ばした先のそれを握りしめ、抜き――構える。
コルトM1851は、びっくりするほど重かった。ブッチは当たり前のように使っていたのに。
「……これが、ガンマンの武器、
引き金を引けば、銃弾を放てば、敵を倒せる、殺せる。
【不死者殺し】であるアトリが引き金を引けば――それがたとえ【不死者】であったとしても。
引き金に指をかける。指と手が、腕全体が震える。だけど決して、重さのせいだけじゃない。
これは、覚悟と――そして、命の重さだ。奪う側と奪われる側の。
震える指に、力を込める。覚悟は、既に決めたはず。
指に、己が全ての力を集中させる。的に、銃口を向ける。
「バモサマタールッ……!」
知らず知らずのうちに、アトリは叫んでいた。それは、無限に湧いて出ては立ち止まらせようとする恐怖を振り払うための咆哮。
そしてそれは、ビリー・ザ・キッドへの宣戦布告となる。
「バモサマタール・コンパネロス!!」
同時に、今まで感じたことのない昂ぶりが、アトリを支配した。
大きな
銃声!
その所作に連動し、ハンマーが雷管をぶっ叩く。
火薬に着火し、燃焼ガスが銃弾を押し出す。
大量の白煙が吹き出し顔面を、燃え残った火薬かすが両手を――コルトM1851が初弾を射出する際に必然的に発生する現象が、アトリを容赦なく打った。
「……ァッ、がッあ……ッ!」
それらを一身に受け、アトリは呻き声を上げる。
両肩がぶっ壊れるか、外れたんじゃないかって思った。傷にだって、ガツーン! ときた。
脚だって、生まれたての子牛か小鹿みたくガクブルになっている。
それぐらい、凄まじかったのだ。銃を撃つことっていうのは。
正直、転倒しなかったのが不思議だった。
はっきり言って、奇跡もいいところかもしれない。この手の銃を初めて撃つと、普通であれば反動と衝撃に耐えきれずに後ろに引っくり返るっていうし。
もっとも、それを許さなかったのは、教会内部で上がった炎だろう。
「……う、うわ、わ……!」
炎の赤が、教会内部で踊り狂っている。
アトリが放った銃弾は、投げ込んだ凶器に見事に命中したらしかった。だからといって、ここまで凄まじい威力を発揮するとは思っていたわけじゃないんだけど。
すぅ、と深く呼吸する。吸い込んだ空気は、熱く渇いていた。
そして――意を決する。
一体、なにがなんだか――である。
銃声、叫び声――そして、炎。
どれが一番最初だったのか、ブッチには分からない。
だけれども、一つだけ分かる。忌々しいことだが、【不死者殺し】を恐れるブッチの【不死者】としての本能が、教えてくれる。
一連の事をしでかしたのは、一人の少女だ。
「……アトリ!?」
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