Chapter 6
「まずは、撃鉄をハーフコックに。そして、
「……まず、ハーフコック――撃鉄を半分だけ起こした状態にし、銃口を上に向けて……
「その上に、弾を入れやす。それから、このローディング・レバーで弾を奥に、こう、ぐっ……とやります。その際、グリースを塗ることを忘れちゃいけませんぜ。チェーン・ファイアが起こりやすからね」
「……火薬を詰めた後に、弾を入れ……ローディング・レバー――銃身の下の棒状の部品を押し下げ、梃子の原理で弾を弾倉に押し込む。……その際、グリース――このちょっと黄ばんだ白いねばねばの脂を塗るのを絶対に忘れてはいけない。……撃った時に、チェーン・ファイア――他の穴に詰めた火薬に飛び火するのが起こらないようにするために」
「そして、雷管です。最後にこいつを、ニップルに被せやす」
「……雷管――銅で出来た小さな蓋状のものを、ニップル――弾倉の後ろにある穴に被せる」
「これで、準備は完了です」
「……これで、撃てるんですね」
ケサダが見せる手本を、アトリは食い入るように見つめていた。
用語は、それが銃のどの部分で、どんな状態をしている意味なのか、言われれば大体分かる。
たとえそれが、初めて見る実物であったとしても。
西部劇を観るだけじゃ飽き足らず、西部劇を読み込むことを謳った読本やDVDのオマケに付いてくるガイドブックの知識が、まさかこんなところで役に立ってしまうとは。
「さぁ、お嬢さん、やってみてくだせぇ」
どうやら、チュートリアルはここまでらしい。
頷くと、差し出されたコルトM1851を受け取る。ずしり、と手に重みがかかってきた。
ブッチが当たり前のように扱っていたのと同じはずのそれは、びっくりするほど重かった。
これが、ガンマンの武器、
「……銃って、こんなに重くて、こんなに大きかったんだ」
でも、考えてみれば無理もない話だ。
第一、アトリは、クリント・イーストウッドでもスティーヴ・マックイーンでも、フランコ・ネロでも、チャールズ・ブロンソンでも、ジュリアーノ・ジェンマでも、リー・ヴァン・クリーフでも、テレンス・ヒルでも、ヘンリー・フォンダでも、ジェームズ・コバーンでもないのだから。
こんなすごいものを、彼らは手にして、ファンを魅了していたのだ。
往年の西部劇スターである彼らが手にしてもなおごつく見える代物が、普通の日本人の高校生でしかないアトリの手にぴったりと合うはずなんて、ありえない。
「……今更ですけど、みんな偉大なお方だったのですね」
なんとなくごちると、アトリは作業に取り掛かった。
撃鉄を完全に起こさない程度起こし、銃口を上に向ける。
次に、銃の真ん中に位置する弾倉の穴にナスみたいな形をした金属製の火薬入れ――フラスコの口を差しこみ、火薬を適量詰める。
それから、小さな球形の弾を入れる前、ふと、作業の手を止める。
おもむろに、纏っていたボロ布とジャケットを脱いだ。
唖然とするケサダとエメさんを余所に、下に着ていたシャツをはだけると、肩を覆っていた包帯を破る。
そうして露わになった傷口に、これから込めるものをぐっと押し付けた。
きゅばっ!
それは
怯みかけていた隙に、キエン・エスは立ち上がっていた。その手には、先程止めを刺された際に生やされたナイフが、既にある。瞬時に間合いを詰められ、鋼の輝きが一閃。
バックステップを踏んで、ブッチはそれを、振るわれたナイフの一撃を回避――出来ない!
ナイフの刃が、ブッチの喉頸をざっくりと抉る。
不意打ちで食らった衝撃に、たたらを踏むも、しかし、辛うじて転倒だけは免れた。
青仄白(あおほのじろ)の炎は、噴き上がらない。どうやら、動脈に当たらなかったようだ。
だが、状況はブッチを地獄に突き落とすこととなる。
「……!?」
異変に、気付く。
今、悪態を発しかけたはずだった。なのに、言葉にならなかった。発したはずのものは、びょぅうっ、という奇妙な異音にしかならなかった。
キエン・エスが振るったナイフが抉ったのは、喉仏だった。人体構造上、声帯の機能に直結するものだ。そこを、ナイフで思い切りざっくりとやられるってことは――
キエン・エスはそのまま、ナイフを投げ捨てた。
そして、空いた利き手でブッチの右手首を引っ掴み――
「……!!」
――そのまま、握り砕く。
ブッチから、声にならない苦鳴が上がる。
肉体的に受けたものより、心神的に受けた方が勝っていた。【不死者】としていくらでも代わりがきく命ではなく、ガンマンとしての命を吹っ飛ばされたのだから。
ある程度時間が経過すれば【再生】することは可能だろう。ただ、外見はともかく、元通りきちんと動いてくれるかどうか。
そんな危惧を覚える直前、視界がいきなり反転。
続いて襲ってきたのは、浮遊感からの、衝撃。
視界が激痛の赤一色に塗りつぶされる。襲ってきた衝撃で我が身が砕けなかったのが、いっそ不思議だ。ただ投げ飛ばされただけだっていうのに、身体中が悲鳴を上げまくっている。
落下の余波を受けてもうもうと舞う埃と木屑に、ブッチは思わず咳き込んだ。
直後、銃声!
銃声! 銃声! 銃声!
放たれた銃弾は、倒れたブッチの身体を容赦なく食い破る。
視界の先に、キエン・エスが立っていた。
構えているのは、見覚えのある銃だ。
ブッチが携えていた得物だった。
ブッチが取り落とした銃を、キエン・エスは拾い上げた。
奇妙な形状の銃だ。全体的に角張っている。それに、やたらと軽い。
触れて調べてみる。ダブルアクション式だ。コルトM1877・ライトニングと同じ作動機構だ。
放たれた銃声の数は、きちんと記憶している。あと、四発撃てる。
キエン・エスは鹵獲品のそれを携え、歩む。
もうもうと舞う埃と木屑の向こうに向け、引き金を引く――引く、引く、引く。
銃声!
銃声! 銃声! 銃声!
着弾の衝撃に、呼吸が詰まる。意識が、吹き飛びかける。
反撃しなければ、やられる。
S&W モデル3スコフィールドをオシャカにした時とは、比べようがなかった。最早、銃を撃つことなど出来やしないだろう。
咄嗟に、もう一方の得物を抜くことはできない。
キエン・エスが放った銃弾は、ブッチの左手の人差し指と中指を吹っ飛ばしていた。
完全に、終わりだ。この状況だけでなく、ブッチの
それ以前の話、今の今までもってくれたのが不思議なくらいだった。
【不死者殺し】を受けて負った【再生】不可能なダメージを切り離すべく、文字通り腕を斧で斬り放してきたのだが、どうやら徒労だったようだ。
無理であったかもしれない。それでも、なんとか押し通そうとした。
きゅばっ! という
激痛のせいか赤く霞む視界に、キエン・エスが立っていた。
狂気に加え、その双眸は憎悪に濁りきっている。
僅かに開いた唇の間からは、なんの意味もなさない異様な唸りがびょうびょうと洩れている。
おそらく、もう、言葉すら必要なくなってしまったのだろう。
今だからこそ、ブッチは思わざるをえない。彼もまた、【不死者】へと成り果てたのだ。大切でかけがえのない【存在】を、失って。そしておそらく、このように狂う道しか残されていなかったに違いない。
第一、正気でいられるわけなんてない。狂わなければ、狂ってしまわなければ、果てのない絶望に打ちひしがれ続けるだけ。それこそ、永遠に。
残酷もいいところだ。理由も分らずに押し付けられたものを大人しく受取り、理由も分らずに生きていかなければいけないなんて。
孤独は、
「無……様、じゃなく、て……よ。逆に、憐れ、で……しかあ、りえね、ぇって、ば……ね。マ、ジ……でよ」
故に、そんな彼に憐みを抱く。
「けど、よ……。ア、ンタ……いや、貴殿は、一つ……だけ、運がいい、かもしれねぇ……な。なに、せ……アイツ、は……アトリは、貴殿、のことを……【異世界】に、おいてし……か、知らねぇ、ハズなん、だか、らよ」
ブッチは言う。今や立ち上がることすらままならぬおかげで、弱々しく途切れがちだったけれど、これだけは言っておかないとどうあったって後悔する。
「多、分だ……けど、よ。アトリ……の奴、は……貴殿のこ、とを、きち……んと、知ってく、れていた、ぜ? 悔しい、けど、よ……貴殿、の名、は……同じ【キッド】で、あって、も……有名、すぎる、にもほど、があるん、だよ……なァ。【異世界】に、おいて、も……おそら、くなァ。
キエン・エスは答えない。ただ、狂気と憎悪に濁りきってしまった目に、ブッチを映しているだけ。
おそらく、欠けてしまった誰かの【存在】の上に、どういうわけか上書きして。
「けど、よ……実際、そう、なんだぜ?【英雄】たる、貴殿の名って、いうのは。
ビリート=ウィリアム・ヘンリー・マッカーティ・ジュニアの、名は」
キエン・エスの視線が、僅かに、揺らぐ。もしかすればそれは、【英雄】として謳われていたかつての彼の残滓が反応したものだったのかもしれない。
「それとも……【英雄】、として謳われ、る通り、かつての名を呼ばれ、ることを望むか?
【
それが、貴殿だ。そう、だよなァ?
【英雄】ビリー・ザ・キッド」
気をつかって速度を落とそうとしたクラレントに、アトリは「……大丈夫」と返す。
でも、本当は全然大丈夫なんかじゃない。身体の感覚が、どこかおかしい。なんていうか、無性に軽い。
勿論、それが誤った認識であるってことぐらい分かっている。
肩の傷、これからやるべきこと、死地へと向かう恐怖。
アトリが背負うものらは、想像を超える重みしかもたらしてくれないはず。
なのに、それを感じることは一切ない。心身共に、自分でもびっくりするぐらい、すっきりしていた。
ずっとびくびくしながら生きていた。周りをじっと窺って、どうしたら誰もが満足してくれる正しいはずの結果が出せるのかだけを、ただひたすら思考して。
テストである程度点数を稼げば先生は満足してくれたし、慇懃に振る舞えば交流関係はとりあえず築けた。
言われるがまま察するがまま、周囲にただひたすら合わせていけばいい。自分の気持ちなんて全部後回しにして、胸中にきちんとしまっておけば、「それでいいんだ」って曖昧な笑顔で言ってもらえるし、とりあえず、仲間として認めてもらえる。
それが正しい人生であるはずだ――秩序に忠誠をただひたすら誓って生きて、人生ってこんなものなんだ、で終わっていくだけの。
それでいいはずだって思っていた。ブッチと出会う、前までは。
己が力と自由を法とする
だけど、どうしようもなく不器用なところもある。
保身に走らないところとか、嘘をつかないところとか。
だってあの時、ブッチはアトリを選んでくれなかった。だからって、ザ・サンダンス・キッドを選ぶこともなかった。
きっと、二人の間で板挟みになっていたに違いないのだ。
そうでなければ、いくらでも自己弁護(いいわけ)できただろう。言葉巧みに上手いこと丸め込んでアトリを納得させることぐらい、やろうと思えば出来たはずだ。
心からの謝罪を、形にして残さなかったはずだ。死地にだって、向かわなかったはずだ。
「……わたしって、すごく……嫌な人間だったんですね」
馬上で、一人、ごちる。だけどそれは、後悔と自己憐憫じゃない。
なにもできないと思っていたなにもできないと感じていた――なにもできないと信じたかった、浅倉アトリという少女への――ただ一人の少女でしかありえなかった【存在】への。
瞬間、身体にふっ、と重さが戻る。だがそれは、アトリを押し潰す軛になることはなかった。
するり、と――身体が、なにか纏ったような気がした。
「クラレント!」
呼応するかのように、クラレントは走る。
アトリにとって、それは、おとぎ話に登場する騎士を守る鎧であり、天使が
だけど、分かっている。それが、都合のいい幻覚ってことぐらい。
目を閉じて、意識する。形のない重さは、丁度アトリの腰のあたりで、形のある重さとなる。
意識を現実にちゃんと向ければ、そこに銃が在る。
アトリが得た、牙であり爪が。
馬蹄が夜闇を引き裂き、轟く。
アトリは、ブッチの許へ征く。
そして、【不死者】キエン・エスを――否、【英雄】ビリー・ザ・キッドを、殺しに行く。
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