Chapter 5


 胸に、銃弾を受ける。

 対し、投げたナイフが、相手の喉に突き刺さる。

 いずれも、命を吹っ飛ばす一撃。それが、お互いを貫き合う。

 されど、決着に至らず。


「クソったれ、がァ!」


 血反吐と共に、ブッチは罵声を吐き出す。同時に、きゅばっ! 青仄白あおほのじろの炎が上がる。

 焦燥と憤激が、猛り狂う。それに衝き動かされるように、ブッチは間合いを一気に詰めた。


ね」


 キエン・エスの喉に突き刺さっていたナイフを、引き抜く。


「さらせやァ!」


 生暖かい深紅の雨を浴びながら、ブッチは再びナイフを叩き込む。

 人体に搭載されている天然の鎧、肋骨の間を、刃が肉を引き裂いていく。おぞましい感覚が、直に手に伝ってくる。

 そして――キエン・エスの心臓を、切っ先が、突く!


「ガッ!」


 人間であれば間違いなく即死。されど、【不死者】であれば【再生】可能。

 キエン・エスから青仄白あおほのじろの炎が上が――


「ガァッ!?」


 ――る前に、再度、心臓にナイフを突き刺す。

【再生】の機会を与えることなく、三度目、四度目、五度目――その全てが、正確無比な一撃。

 猛攻を前に、キエン・エスに成す術はない。


「あばよ元【英雄】!」


 がつっ!


「アトリの痛みと、俺の赫怒いかりを知って逝け!」


 眼を開いていたはずだった。だが、衝撃と共に視界が暗黒に呑まれる。

 そのまま、キエン・エスの意識は、ブラックアウトした。













「殺って、やった……ぜ!」


 例外を除けば、【不死者】は死なないはずだった。

 だが、もう既に生きている状態ではない。上手いことやって、殺してやったのだから。

 倒れたキエン・エスの後頭部からは、ナイフの柄が生えていた。刃の先端は、脳の中心部にまで達しているはず。

 こうすると、脳――正確に言えば頭の中身のよく分からない名称の器官がブッ壊れるのだ。

 ずっと前にやらかした時、相手をよくよく確かめたらどういうわけか僅かに傷つけた憶えがない心臓や肺が停止していた。

 察するに、どうやら人間というのは生きていく上で決して停止してはいけない器官がブッ壊れると、こんな異常な死に方をするらしい。

 もしそれを、人間で言うところの【異常な】死に瀕する・匹敵する・直結するようなダメージを【不死者】に負わせたら、どうなる?

 結果はご覧の通りだ。

 ちなみに、ブッチが破壊したのは脳幹、人体の生命維持機能を司る中枢神経系。破壊されれば、良くて昏睡状態。最悪、脳死に陥る。

 既に、戦いは過去のものだ。現在を支配するのは、冷たい嘲りのような静寂。

 けじめは、確かにつけたはず。じゃあ、この虚無感は一体なんだ?

 けじめなど、ブッチはつけちゃいなかった。キエン・エスとの決着なんて、本当にやらなければならないことから逃げるための口実だ。


「……なんで、【異世界】なんていう知らない場所に来てしまってまで、一人っきりにならなきゃ……独りっきりでいなきゃいけないんですか、わたしは……」


 あの悲泣ひきゅうを、ブッチは永遠に忘れないだろう。

 想い慕ってくれたアトリを、ブッチは裏切って傷つけた。

 それだけじゃない。

 よくよく考えれば、自分たちはうまくいきすぎていやしなかっただろうか? 【異世界】の人間であるという特異な点を除けば、アトリはただの少女でしかありえないはずなのだ。

 今になってようやく合点がいった。ケサダとのやりとりで意識せざるをえなかった引っ掛かりの正体は、アトリだ。

 話を聞く限り、【異世界】――ただし、【ニホン】にのみ限定されるらしいが、銃の所持は【ジュウトウホウ】と呼ばれるルールで所持することが禁じられているらしい。アトリは、生まれてからずっと、そんな場所で育ったのだという。

 そんな天国だか地獄だか判別のつかない色んな意味でクレイジーな温室育ちの少女が、銃を持つのが当たり前の男に接するなんて、異常なことではないだろうか。

 理由はどうあれ問答無用で腹パンを入れて拉致同然に連れ去り、【不死者】であることを証明するために自分の頭を吹っ飛ばせる無法者アウトローを、ごく自然に受け入れ、ごく普通に接する――そんな類の人間に、ブッチは心当たりがあった。

 それは、理由や原因はどうあれ、無法者アウトローという呼称を受ける人間を身近に受け入れ、慣れきってしまった人間だ。

 堅気として生きる上で背負ってはならない十字架を背負わされる、不幸な人間だ。


「……なァ、キッド。俺は……」


 今この時だけでいい、これが最後でもいい。究極的につまらねぇエゴイストに堕落しおちきった、この最悪のろくでなしを嗤ってくれ。


「俺は一体いつから……言い知れぬ不幸に傷ついて泣いている存在の側で、平気な面をして酒が飲めるようになっていたんだ……?」













 やにわに、アトリは立ち上がった。

 しかし、しゃがみこんでしまう。唐突かつ突発的な動きは、肩の傷を容赦なく打ち据える。


「お嬢さん……?」


 エメさんは驚いて、持ってきていたパンケーキの皿を取り落としてしまう。

 だけど、歯を食いしばってアトリは立ち上がる。足元をふらつかせながら、一歩、また一歩、前へ踏み出していく。


「お嬢さん、お止めになってください!」

「……行か、行かないと、行かないと……行かな、きゃ!」

「お嬢さんっ!」


 しかし、アトリはそれを振り払う。

 エメさんが茫然とするのが見えた。おそらく初めて表に出されたであろう、アトリの意思表示に驚いたのだろう。

 また一歩、踏み出そうとするアトリに、駆けつけたマックスが「行くな!」というより「なにやってんの!」と、吠える。

 傍から見れば、それは行動として危ういものだった。一歩間違えれば、間違いなく破滅しかねない足取り、それに気付いていない人間の足取りだ。

 だから、アトリは張っ倒される。


「ア、アンタ、なにを……?」

「このバカを椅子に座らせな。アタシは鎮静剤代わりのモンを持ってくる」


 ことを鎮めたケサダは、静かに言い放った。













「……すみません、でした」

「四の五の言わず、ぐっとお飲みなせぇ」


 椅子に座らされたアトリは、カップの中身を口にする。

 熱々のホットコーヒーだ。この【異世界】ではメジャーなブラックコーヒー。


「……ま、まっずぅ!」


 だけど、正直、「ぐっと」飲めるような代物じゃない。はっきり言って、とんでもなく苦い。


「不味くて当然ですぜ。ソイツぁ、酔い冷まし用のコーヒーなんですから」

「……なんで、こんなものを、わたしに?」

「昂りを鎮めるにゃ、濃すぎるコーヒーが一番なんでさぁ。もしくは、拳を顔面に……」


 冗談に聞こえないのはどうしてだろう? テーブルを挟んだ先の真正面に座るケサダの眼が、ガチで真剣なせいだろうか?


「で、お嬢さん。一体どこへ行かれるおつもりだったんですかい? エメを振り切って」

「……決まっているじゃないですか。……ブッチさんのところに、ですよ」

「ご自身のことをもう少しお考えになってくだせぇ。お身体だけでなく、そんなどうしようもないお心持ちで」

「……分かってます」

「でしたら、ベッドに戻ってて休んでいてくだせぇよ」

「……嫌です」

「お嬢さん、そんな、聞き分けのねぇクソガキみたいなことおっしゃらねぇでください!」

「…………」

「お嬢さん、どうかお願いですから! お頼みしますから」


「わたしが聞き分けのないクソガキなら、ブッチ・キャシディはなんなんだ!!」


 豹変は、唐突だった。

 ケサダは思わず息を呑む。そこにいるのは、最早、終始おどおどしっぱなしのか弱い少女ではなかったのだから。


「あのバカ、自棄を起こしてわざわざ死に行きやがったんだぞ! だから、わたしが行くんだ!」

「……!?」


 そこにいるのは、無法者アウトローの立派な生まれかけだ。

 アトリは、凛としていた。視線を逸らすことなく、揺らすことなく、しっかりと前を見据えていた。そして、それまで自分を護るために纏っていた理屈という壁、納得しなければ通り抜けることが出来なかった道理という境界をぶっ壊そうとしていた。


「今度こそ本当にくたばり果てちまう前に、連れ戻しに行くんだ!」

「どうするね?」


 壁際で腕を組んでそれまでの成り行きを見守っていたエメさんに助けを乞う。しかし、エメさんは黙して首を横に振った。

 それだけで、ケサダには分かる。覚悟を決めきった者を、誰が止められるというのだ?


「エメ……例のモノ一式、持ってきな。カウンター裏の隠しスペースだ」


 エメさんは頷き、カウンター裏へまわった。


「そこまで言うんでしたら、覚悟をお見せくだせぇ」


 そして、戻ってきたエメさんは、アトリの前に例のモノ一式とやらを納めた箱を置き、開く。


【COLT MODEL 1851 NAVY】


 それが、ソイツの名だ。飴色に輝く木箱の中に鎮座した。

 丸みを帯びたクラシカルなフォルム。

 おぼろつきのように蒼褪あおざめた不吉な輝きを宿す銃身。

 恐怖を感じた。だけど、そんなの一瞬のことだ。

 思わずほぅっと溜息を吐いてしまう。

 当然だろう、中に鎮座するコルトM1851が持つ、獰猛な美しさを見てしまえば。













 黒く、そして、果てのない闇の中を、キエン・エスは漂っていた。

 唐突に、一つの光景が映し出される。かつての彼の最期の時が、鮮明なものとなって蘇る。

 





 俺は、寝室を出て歩いていた。

 何故その時、気付いてやれなかったのだろう。台所へ向かう途中に、ピートの部屋があったんだ。俺を心から慕ってくれた、協力者の一人だ。

 その部屋で、ピートはきっと拳と罵声で詰問されていたはずだ。俺はどこだと。

 追っ手として放たれたギャレット――俺の親友であった保安官に。

 俺の手にはナイフがあったんだ。相手を殺すための得物は、銃でなくてもよかったんだ。

 早撃ちと同時に、俺は不意打ちも得意だったじゃないか。数多くの敵を、俺はそうやって倒しきたんだから。

 異変に気付いたのは、寝室に戻る途中だった。ピートの部屋のドアが開いていた。

 ランプが消えた部屋の中からは、ピート以外の誰かの気配がした。誰かってのは、ギャレットのことだったんだけどな。

 今となっては確かめる術はないが、ギャレットが放った銃声と俺の言葉、一体どっちが早かったのだろう。


キエンQuienエスEs!?」


 俺を殺そうとするお前は、誰だ!?

 そうじゃない!

 なんでお前が俺を殺すんだ。

 そして――俺を殺したお前は、一体どこに消えた。

 答えろ、ギャレット! パット・ギャレット!

 いや、待て。俺を殺したのは、本当にギャレットだったのか?

 あの時、ピートの家は真っ暗だった。ランプの灯はなかった。

 唐突に、場面が巻き戻る。一つの光景が映し出される。

 これは――そうだ、あの夜だ。忘れもしないあの夜だ、俺の最期の時だ。

 ピートの部屋のドアが開いている。ランプが消えているはずだった部屋の中からは、ピートとピート以外の誰かの気配がした。

 誰かってのは、誰だ?

 決まっている。俺を殺しやがった真犯人だ。


お前は誰だキエン・エス!?」


 俺は、叫ぶ。

 その先に、真犯人が立っていた。

 ソイツの顔に、憶えがある。ソイツは――ブッチ・キャシディだった。

 嘲笑の色に輝く青鋼色スチールブルーの目、手には銃。


 銃声!






「……なァ、キッド。俺は……」


 聴覚ではなく、意識が直に、ブッチ・キャシディの声を捉える。

 コイツは、俺の名を知っていやがった! ってことは――なんてことだ、なんで気付かなかったんだ。

 俺は、俺を殺した真犯人を、無意識のうちに追っていたんだ!







 キエン・エスは気付いていない。

 なんの因果か重なってしまった偶然によって、ミスリードへと誘い込まれていたなど。

 されど、そうして得てしまった間違いこたえは大いなる啓示でしかありえなかった。

 でも何故、キエン・エスはこのような間違いこたえを得てしまったのだろう?

 あくまで可能性としての話だが――脳幹に受けた著しいダメージが、キエン・エスの脳の記憶領域に、なんらかのバグを生じさせたのかもしれない。

 否定したい過去の存在パット・ギャレットが、現在において固執する存在ブッチ・キャシディに置き換えられてしまうという、バグを。

 もちろん、当のキエン・エスがそれに気付くことはない。

 全てを誤解りかいしきってしまったキエン・エスは、咆哮する。

 咆哮は竜巻のごとく荒れ狂い、キエン・エスの意識を沈めていたものを粉砕した。






 背を毒蜘蛛が這い登っていくような怖気を感じる――が、遅かった。

 止めを刺したはずの、確実に死んだはずのキエン・エスの眼が、かっ! と開く。

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