Chapter 4


「どこか遠くに引っ越そう。そこで、また新しくやり直そう」

「……お仕事は、どう、するのですか?」

「辞めるよ」


 だけれども、ある時を境に【あの人】はそんな自分を辞めることになる。とばっちりを受け、アトリが世間から虐げられているのを知ったのを期に。


「アトリを嫌なに遭わせてまで、やり続ける意義なんてないよ」

「…………」

「所詮、どうしようもなくくだらないものでしかありえなかったってだけさ。俺の正義なんて」

「……その、ごめんなさい」

「別に、アトリが謝ることなんてないんだよ」

「……で、でも」

「むしろ、この場合逆だろう」

「……え!?」

「今までずっと、辛い思いをしてきたんだろ? 他ならぬ俺のせいで」

「…………」

「ごめん、本当にごめんな……アトリ。今の俺が護ってやらなきゃいけないのは、アイツじゃなくてアトリだったのに」






 それからしばらく経って引っ越した先で、アトリは【あの人】とテレビを観ていた。

 テレビが映しているのは映画だ、アトリが好きな西部劇だ。

【あの人】が好きだから、アトリも好きになってしまっていたものだ。


「子供ってのは、もっとこう……お人形とかお姫様みたくきらきらした綺麗だとか可愛いものが好きなはずなんじゃないか?」


 アトリが西部劇というものを好きになる切っ掛けは、些細なことだった。

 リビングのテーブルの上に、見知らぬDVDが置きっぱなしになっていたのだ。

 その時、アトリは家に一人。【あの人】は、買い物に行っていて留守。

 強烈な好奇心が、胸の内で膨んだ。きっとこれは、【あの人】のDVDだ! ということは、【あの人】が大好きな世界が描かれているに違いない!

 DVDプレイヤーに、DVDをセットする。

 わくわくしながら、始まるのを待った。


 荒野より来たる、ポンチョを纏った一人の男。

 腰に帯びるのは、使いこまれた銃。

 男はガンマン、何処にも属さぬ無法者アウトロー

 披露されるガンプレイは、鮮やかそのもの。

 町のならず者たちは、猛烈な早撃ちを前になすすべもなく倒れる。

 男は一見非情に見える。だけど実は、深い情けの心を持つ。

 途中、敵役にボコボコに痛めつけられようとも、タダでは起きない。

 そして、最後は決闘。

 見事、男は打ち勝ち、意気揚々と町を去っていく。


 劇中に流れるのは、繊細な旋律と荒々しい音色が協調した音楽。

 登場するのは、激しい眼光を持つ無法者アウトロー

 なにもかもが、鮮烈だった。幼いアトリは、そのDVDの世界にどうしようもなく惹かれてしまっていたのだ。

 その後、頬をぽぅっと染め、放心状態にあったアトリは、帰ってきた【あの人】に「なにやってんの?」と頭を軽く叩かれて、ようやく我に返ることになる。






 大いなる西部の理のもと、そこには数々のドラマがある。

 メインとなるのは、銃と馬と男たち。

 強かろうが弱かろうが、生きるも死ぬも運次第。

 生きて名誉と名声を得るも、死して無縁墓地ブーツ・ヒルへ葬られるのも。

 野性味溢れるカウボーイやガンマンたちが、荒馬に跨り駆け回る。

 モニュメントバレーがそびえる荒野、バッファローが走る草原、タンブル・ウィードが転がるゴーストタウン、毒蛇や毒蜘蛛が潜む危険な砂漠、鳩の大軍に埋め尽くされる空の下。

 どこまでも広大なアメリカ大陸を縦横無尽に駆け回りながら、無法者アウトローや平原の猛者であるインディアンの戦士を相手に銃撃戦を繰り広げる。

 酔った勢いで拳と拳で語り合う場は、酒場サルーン

 大衆が見守る町中で行われるのは、ガンマンの矜持をかけた決闘。

 カードに財産を賭け、己が手札に泣くか笑うかする賭博師たち。

 娼婦たちは幾ばくかの金と引き換えに、男たちに一時の愛を与える。

 吹き鳴らされるラッパの音を合図に、進撃する勇猛果敢な騎兵隊。

 苦み走った保安官は、義侠に溢れる猛者か、それとも「我は法なり!」を主張する悪徳者か。

 それらは全部、西部劇。

 広大すぎて過酷だけれども、どこまでも自由な場所で、様々な人々が強かに生き抜く様を描くもの。

 その世界観にアトリはすっかり魅せられてしまっていて、家にいる時は大抵観ているようになっていた。






 そんなある日のこと、アトリはいつものように【あの人】と西部劇を見ていた。

 夢を追い求め、自由気ままに生きようとするも、時のうつろいに抗えず取り残されていく二人の無法者アウトローを描いたもの。

 数ある名作の中で、アトリが一番好きな西部劇【明日に向って撃て!】。

 切れ者でありながらどこか憎めない性格をしている男と、卓越した射撃技巧を持ちながらどこか抜けている残念な性格をした男。

 時に酷い罵り合いをするけれど、意気投合を極めている二人の絶妙な掛け合いは、見ていてとても楽しい。

 でも、物語は暗澹としている。常に不安に追いかけられ、嫌なことの予感に付き纏われ、楽しいことがあっても長く続いてくれない。


「なんて言うかさ、この西部劇、人生を象徴しているみたいだよな」

「……先が見えないところが、ですか?」

「不条理で理不尽で……ある一定以上の希望すら求めることが出来ないところとかね」

「…………」

「昔、さ……色々なことがあった」


【あの人】は、何時の間にか目を閉じていた。そうやって何も見なくすることで、もう存在しないものを見ようとするかのように。失った存在の微かな残滓に、縋ろうとするかのように。


「俺が色々なことをやったから色々なことがあったのか、俺に色々なところがあったから色々なことがあったのか、今となっちゃ分からないけどね、とにかく色々なことがあった」

「……それは、【向こう】でのこと、ですか?」

「そうだよ」


【向こう】というのは、【あの人】が昔いたという場所のことだ。

 どこにあるのか、アトリには分からない。一度聞いてみたら「お前には到底想像出来ないような場所だ」と、【あの人】は言った。

 アトリは、視線をテレビに戻す。

 寂れた村に、無法者アウトロー二人は入っていく。

 まさかここで、最期を迎えるなんて思いもせず。

 その村の名は、サン・ヴィセンテ。

 後で知るのだけど、二人のモデルとなった人物たち――史実におけるブッチ・キャシディとザ・サンダンス・キッドも、ここで最期を迎えたという。


「……どこに行ったら、この人たちに明日があったんでしょうか?」

「そんな場所、どこにもなかっただろうさ。それ以前の話、明日なんかなかっただろうね。彼らはあるのは今日のみで、今日のみの中を、当たり前のように生きて生きて生きて生きて……そして、死んでいくだけだ。無法者アウトローなんてね、そんなもんなんだよ」


 その後のことは、今でもはっきりと覚えている。


「……たとえば、もし……」

「うん?」

「……連れ添い合って、手を引っ張って歩いてくれる誰かがいてくれたら、この物語の結末はどうなっていたのでしょう? ……あの二人に、花嫁さんでもいてくれたら。……そうしたら、今の場所とは別の場所に導いてもらえたかもしれなくて、明日がかったなんてありえなかったかもしれないのに。……明日なんかじゃなくて、その向こうを越えた遥か彼方へ征(い)けたかもしれないのに」

「ナンセンスなこと言うね。でも、俺はそういうの嫌いじゃない」


【あの人】は笑う。無法者アウトローの顔で。


「今のお前なら、なれるんじゃないか?」

「……なにに、ですか?」

「お前が言う、花嫁さんとやら。外ならぬお前が望むのなら」


 アトリの記憶の中のままの【あの人】は、今のアトリに言う。


「現実は、物語なんかじゃないんだぞ。このまま終わって、お前は本当にいいのか?」

「…………」

「真面目に悩むんじゃない、馬鹿」













 そんな【あの人】は、アトリが中学校に入る前に、死んだ。

【あの人】は、知っていたのだろうか? アトリのお母さんの交流関係を見る限り、アトリのお父さんってことになる男の人が、数えきれないくらいいることを。

 そういえば、アトリは【あの人】を「お父さん」と呼んだことがなかった。

 アトリはそれを、猛烈に後悔している。






 窓の外から差し込む光、荒野の果ての地平線に沈もうとする夕陽が、部屋を赤く染めている。

 アトリは眼を開いた。その視線の先に、なにかがあるわけではない。

 だけれども、アトリは確かな何かを真っ直ぐ見据えている。


「行かなきゃ」













「……本当に、すみませんでした。……ご迷惑と心配をいっぱい、おかけしてしまって」

「謝られることなんてないんですよ。お嬢さんはこれっぽっちも悪くなんてないんですから」

「……いえ、でも……」

「そうだ、折角起きてこられたのだから、なにかお召し上がりになられますか? なんでもご用意いたしますよ」


 下手すれば延々と続きかねないアトリの謝罪を、エメさんは「いいんですよ」と優しく押し止めてくれた。それどころか、「なにがあって、どうなっているのか?」という詮索だって。

 とても元無法者アウトローとは思えないエメさんの大人の対応に、感謝せざるをえない。


「ああ、そうだ。その前に、お嬢さん。先に、お渡ししておきます。本当なら、わたしが渡すべきものじゃないですけど」

「……ってそれ、わたしの」


 行くや否や戻ってきたエメさんの手には、アトリのリュックがあった。


「お嬢さんのものですから、わたしらは中を見ていません。けど、一応、お確かめになってください」

「……あ、ありがとう、ございます」


 確認のため、一応中を見る。

 文庫本、財布、パスケース。ざっと見て、なくなっているものはない。


「……えーっと、って……うぇぇ?」


 幸運にも、エメさんにその呟きを聞かれることはなかった。調理作業中だったから、聞こえなかっただけかもしれないけど。


「……うわ、減ってる」


 それはそうと、リュックの中のあるもの――正確に言うと、その残量が減っていた。


「……使っていないはずなのに、なんで二〇パーセント代まで減ってるんですか?」


 スマホのバッテリーが、思いっきり減っていた。【異世界】に来てしまってから、使っていないはずなのに、なんで? 

 

「燃料切れで駄目になんなきゃ、仕事シゴトとか仕事シゴトとか仕事シゴトとかでさ、上手く使えそうだってのになぁ……俺なら」


「……まさか、隠れて弄っていた、とか?」


 嫌な予感がしたので、メニュー開く。一つ一つ確認していく。

 アプリがアンインストールされているとか設定が変更されていることはなかった。ゲームのセーブデータも、ダウンロードしていた画像たちも無事だった。

 ただし、手付かずだったわけではない。設定した覚えのないアラームがあった。

 でも、なんでアラームなんだろう? アラームをびーびー鳴らして、銀行とか列車を強盗出来るなんてとても思えないのだけど。


「……あと、他は。……え、これ、カメラ?」


 もう一つ、ブッチが無断でやっていたものがあった。

 けれども、意図的に弄ったものじゃないだろう。だって、真っ黒な写真だし。

 所謂、やらかしたってやつだろう。スマホって、画面にロックをかけてちゃんとケースに収めておかないと、こういうことがたまに起こるのだ。なにかの拍子にカメラ機能のスイッチが入り、気付かずにシャッターが切られてしまうことが。

 けれども、よく見たらそれは、写真じゃなかった。


「……これって」


 画面を、をタップする。



『きゅばっ!』

『銃声』

『シリンゴォ!』

『キエン・エス……』

『貴様ァァァア!』



「……ひっ!」


 アトリは思わず、ガチな悲鳴を上げかける。落ちたスマホが、床に落ちて固い音を上げた。

 あの時味わった恐怖が、じわじわと起き上がってくる。

 震える手でスマホを拾い上げ、タップして画面を消す。


「……な、なんで、よりによって、こんなのが……」


 あの時のことを、アトリは忘れようにも忘れられないだろう。

 飛び出して撃たれて、【不死者殺し】だと思い知らされ――なにより、目の前で人が死んだ。

「シリンゴ」ってブッチが呼んでいたから、死んだのはチャーリー・シリンゴだろう。

 一応、アトリが知る歴史上の人物である。時の西部開拓時代と呼ばれる時代に活躍した一人、【ピンカートン探偵社】の探偵の代名詞。

 解決した難事件は数知れず、護りきった要人は数知れず、お縄にした無法者アウトローは数知れずとされている。

 だけれども、その存在を有名にしたのは、やっぱり【ワイルドバンチ強盗団】及び、ブッチの存在だろう。【ワイルドバンチ強盗団】と【ピンカートン探偵社】の戦いは熾烈を極めたっていうけれど、ブッチとシリンゴの戦いはそれ以上だったんじゃないかって言われているし。

 けれど、それはアトリが元いた世界の話だ。下世話だと思って聞かなかったけれど、【異世界】こちらではどうだったのだろう?

 それはさて置き、なんでこんなのもの――スマホの動画撮影機能によるムービーがアトリのスマホに残っているのやら。

 画面は真っ暗、何も映っていない。なのに、音声だけはばっちり入っている。多分、誤作動で動画撮影機能が起動してしまったのだろう。

 反射的に、削除しようとして――ふと、妙な引っかかりを覚えた。


「……キエン・エス?」


 どこか茫然と、アトリは言う。


「……もしかしたら、多分、わたしは最初から全部……分かっていたのではないのでしょうか?」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る