Chapter 3

 

 オルガンの修理道具を抱え、ケサダは物置へ向かっていた。

 既に夕刻だ、慣れない作業に手間取りすぎたせいで。

 闇が薄く屯し始めた中、併設する厩を通ろうとして――


「そこにいんのは、誰だ」


 手に持つそれを放り出し、腰の得物――レ・マット・リボルバーを抜く。


「ウチからなにか盗っていくんだとすりゃあ、大した盗っ人だ。大人しく出て行きやがれ! さもないと……」

「ケサダ、撃つな、俺だ」

首魁ボス!?」


 ケサダは、得物を下ろした。


「ご無事だったんですかい? それより一体どうなさってったんですかい、今の今まで」

「聞いてくれるなや」


 姿は見えない。されど、薄い闇の中から声が返ってくる。


「事情が事情だってんだ」

「ソイツは、大事なことなんですかい? お連れになられていた、お嬢さんよりも?」

「俺ってば、最低だってばね」

「否定しやせんぜ。で、どうなさったってんです? 懺悔したいんでしたら、教会にでも行ってくだせぇよ。半年にいっぺんぐらいしか神父が来ねぇ場所ですけど」

「馬車ン中から持ってきてほしいモンがある、緑の箱って言えばわかるだろ」

「鍵は?」


 ちゃりん、と音。ケサダの足元に、鍵が転がっている。


「中に入っているモン、全部出しといてくれ。頼むよ」






 件のそれは、御者台のすぐ近くに置かれていた。道中、アトリが座席代わりに腰を下ろしていた金庫だ。

 ちなみに、緑の箱っていうのは、無法者アウトローたちの隠語で金庫を示す。現金や砂金や手形を入れる金庫が、緑色に塗られていたことが起因だ。

 余談だが、ブッチにとっての【異世界】にも、かつて同様のものが存在していた。アメリカ西部開拓時代に作られた、【ウェルズ・ファーゴ社の緑の箱】という通称を持つ金庫だ。

 その【異世界】、浅倉アトリという少女が生きる時代においては、骨董物収集家垂涎の逸品だったりする。

 鍵を差し込み、捻る。頑強に作られた無骨な南京錠が外れ落ちる。蓋を開ける。


「ナ? ナガ? ナジ?」

「ナガでもナジでもどっちも読みは同じだ。慎重に、デリケートに、丁寧に扱え。いっそ、敬虔な尼さんか貞淑な寡婦みたいに」

「分かりやした。それと、コイツぁ一体なんですかい? ブリターニアかエステ・ライヒの貴族のガキのおもちゃみてぇなモンは?」

「リュックらしいぜ」

「小さすぎやしやせんかい? これじゃあ、水筒も毛布も積めねぇじゃねぇですか」

「変なケチつけるなや、アトリの私物だぞ」

「あぁ……お嬢さんの、だったんですかい、道理で……」


 アトリの性格は、どうやら所持品にも反映されているようだ。

 ケサダから見たアトリってのは、深窓の姫君もいいところだし。


「結局のところ、あのお嬢さんは何者なんですかい?」

「俺の連れってだけじゃ、だめか?」

「まさかとは思いやすが、新しい情婦、なわけありやせんよね?」


 ケサダは知っている――否、ケサダのみならず、無法者アウトローであれば誰でも知っていることなのだが、ブッチはかつて女性関係がかなりお盛んであった。

 新大陸フロンティアにその名を轟かす無法者アウトロー集団【ワイルドバンチ強盗団】を率いる存在であったからってのもあるだろうが、それを除いてもモテていた。


「ンなわけあるか。つーか、アトリは情婦なんかじゃねぇよ。そもそも、そういうモンですらねぇし」

「…………」

「なんだよ、言いたいことあるなら言えよ」

首魁ボス首魁ボスで、お嬢さんを必要な存在として見ていらっしゃるんでしょう? ンでもって、お嬢さんはお嬢さんで、首魁ボスを必要な存在として見ていらっしゃる……なんつーか、それじゃあまるで……」

「まるで、なんだってばね?」

「畏れ多くも、かつての首魁ボスとエッタ様みてぇじゃねぇですか」






「ったく……血の繋がりのねぇ身内ってモンほど厄介なモンはねぇよ。痛いところを上手い具合にぶっすりぶっすり」


 先程ケサダから受け取った備品、及び、自身の装備の調整を行う。

 ブッチは独りだった。当然だ、アトリはここにいないのだから。

 アトリを【異世界】に還すための旅は、既に終わってしまっている。尻切れトンボ以上に無残な結果で。

 だが、アトリのことを考えればこの方がいいと思う。

 約束を破るという最低の行いを、結果はどうあれ犯したのだから。

 アトリは結局、元【ワイルドバンチ強盗団】の構成員であった夫婦の下に置いてきた。

 返すべきものはきちんと返しておいてくれと頼みこんである。まだ生きていた【ネットワーク】に接触し、手に入れた情報も渡しておいてくれと託した。

 漏洩の心配は皆無だ。なにせ、ひらがな・カタカナ・漢字――こことは異なる世界、文字通り【異世界】の文字を織り交ぜた文章で記しているのだから。

 それを頼りにすれば、後はアトリ一人でもどうにかなる。


「いいンだよ、これで」


 そもそも、自分たちは本来であれば出会うことなんてなかったはずなのだ。

 文字通り異なる世界に生きて、出会うはずも、関わり合うことも、感情を触れ合わせることもなかったはずだ。

 別れを惜しむ感情なんて、ありえない。


「なんで今更、お前が出てきやがるってばね……エッタ」


 考えを振り払うべく、ブッチはわざと苦い言葉を口内で転がす。

 正直、思い出したくない名前でしかない。エッタ――エセル・エッタ・プレイスの名など。

 ザ・サンダンス・キッドの情婦、ザ・サンダンス・キッドが生涯で唯一愛し抜いた女性。

 されど、彼女は最終的にザ・サンダンス・キッドを棄て、行方をくらました。


「つーかよ、キッドの【存在】が無くなって出来ちまった穴に、何故俺が入っているのやらだ」


 問題にすべきなのは、ブッチがエッタとそういう関係に収まっているということじゃない。

 ブッチがエッタとそういう関係に収まっていたという、周囲からの認識だ。

 事実が虚構じじつと入れ替えられている。

 ザ・サンダンス・キッドの【存在】が、虚構じじつでしかありえなくなってしまっている。


「……あえて言わせてもらいますが、ザ・サンダンス・キッドって往年の傑作西部劇【明日に向って撃て!】で有名になった人物ですけど……史実を紐解いてみれば、英雄でも革命児でもない、単なる無法者アウトローその一じゃないですか」


 もういい加減にしておこうと、思考を打ち切る。これ以上は堂々巡りもいいところだ。

 ホルスターに、得物をしまう。既に装填を終えたそれの感触と重みは、掌にしっかり馴染んでいる。

 これを得物にするのは、久しぶりだった。昔会った胡散臭い武器商人から購入したものだ。

 コルトともS&Wとも違う銃、複雑な構造をしたそれを手入れするため動かしたお陰で、戻って間もない右腕の感覚が大分マシになってきている。

 気付けば既に夜だった。

 太陽は既に沈み、夜の闇が徐々に濃くなりつつある。

 闇の黒が、町を呑みこんでいく。


「ンじゃまァ、くとすっかぁ」


 決め定めた先へく。

 許せぬ者を討つために。













 教会、その祭壇の陰に、キエン・エスはいた。

 コルトM1877・ライトニングを両手で握りしめる。その様はまるで、存在しないはずの怪物が闇の中に潜んでいると信じ、ぬいぐるみか毛布に縋りつく無力で幼い子供のようだった。

 けれども、こうでもしていないと、どうにかなってしまいそうなのだ。

 忘れもしないあの時が、そもそもの元凶だ。

 同じ【不死者】であるブッチ・キャシディを撃とうとするも、失敗した。それまで倒れて震えているだけだったくせに、なにを思ったのか飛び込んできやがった、ソイツのおかげで。

 当然、撃ってやった。お楽しみを邪魔してくれた報いだ。

 だが、撃った瞬間――キエン・エスは恐怖した。

 あの時、確かに見たのだ。ソイツが、【あれ】を纏ったのを。

 直感する。【あれ】はキエン・エスを――【不死者】を滅ぼすモノだ。

 得物に、縋りつく。こうしていなければ、今にもどうにかなってしまいそうだ。

 どうにかなってしまうことになど、もう耐え切れない


「……ギャ、レ……ット」


 黒ずんだ液体を肺腑から吐き出すよう発したその名は、歪んでいた。

 許されざる裏切り者、元無法者アウトローで保安官で、親友であったはずの男。

 勿論、殺そうとした、殺してやろうと思った。

 だが、皆が皆、口を揃えて言うのだ。「それは一体、なんなのだ?」と。

 誰もが皆、否定した。名前どころか、その【存在】すらも。

 キエン・エスは知らない。かつての彼が【不死者】へと成り果てることへの代償に、親友であったはずの男の【存在】が失われていたなんて。

 否定され続けた彼は、いつしか、自分を見失っていった。


「……!」


 徐に、キエン・エスは立ち上がる。直感、或いは本能が告げていた。

【あれ】の、【不死者】に滅びを与える存在が、強まる。


「キエン・エス」


 教会の両開きの扉が、開く。

 開かれた先に立つのは、さながらそれは黄泉を従える者、【死】の名を冠する騎士ペイルライダー













「ソイツぁ、こっちの台詞だ」


 ――ではなく。

 キエン・エスと同じ存在ブッチ・キャシディは言う。


「つーか、それは、アンタのオトモダチに言うべきなんじゃねぇか? 【存在】はなくなっちまっているけどよ。つーか、誰に言うのか分からねぇ言葉、肝心の自分自身すらも分かってねぇような言葉が、意味をきちんとなしているかなんて思ってんじゃねぇよ」













 ブッチは懐から取り出したものを投げる。

 澄んだ金属音を上げて、それらは教会の床に散らばった。


「憶えてるか? あの晩、アンタが俺の腹にプレゼントしてくれたモンだ」


 銃弾。それが、三つ。


「撃たれりゃお終いでしかねぇ人間なら、絶対に分かりっこねぇ。そもそも、人間ってのは死んじまえばそれまでだ。けどよ、お前が殺ろうとしたのは【不死者】だった。あの時俺は殺られ、されど殺り返し……ンでもって思ったのさ。どうやらアンタは、ただ者じゃねぇってな。強盗にしちゃあ恐ろしくやり方が上手すぎる、賞金稼ぎにしちゃあ恐ろしくやり方がスマートすぎる、殺し屋にしちゃあ恐ろしく目的が掴めなさすぎる。どれにしたって、正直分かりゃあしねぇ。だから俺は、考え方を変えてみることにした。人間から【不死者】の考え方に変えてみた。そしたら、手前の腹から抉り出したソイツらが、アンタが誰なのかを教えてくれた」


 対し、キエン・エスである彼は、答えなかった。戦慄せざるをえなかったからだ。


「つーかよ、犯人がアンタだなんて普通誰も分かんねぇよ。ぶっちゃけ、痛ぇ! じゃすまなかったぜ。自分のはらわたに指を突っ込んで弄って、これ全部抉り出すの。ぶれることなくちゃんとやらにゃあならんから、麻酔代わりのアヘンチンキだって飲めなかったしな。身心共にぶっ壊れかけたぜ、先に逝った連中と笑い合いながら飲めちまったしよ」



 対し、キエン・エスは答えなかった。戦慄せざるをえなかったからだ。

 淡々と紡がれる言葉、狂気が籠るそれにではない。

 何故、お前がギャレットを知っている? 誰もがその【存在】を否定した親友、元無法者アウトローで保安官。そして、自分の暗殺実行犯であった男のことを。

 だが、キエン・エスが答えを知ることはなかった。

 ブッチはそもそも、答えなど用意していないのだから。

 ただ、言葉巧みにミスリードさせただけだ。

 故に、キエン・エスは謀られる。


 銃声!


 轟いたそれは、夜闇と教会内部の空気を引き裂いた。

 銃が、床に落下する。ブッチの左手のデリンジャーが。

 キエン・エスが撃ち落としたからではない。ただ、わざと手放しただけだ。

 抜き放つも、されど、狙いをつけるでもなく引き金を引いただけ。

 すぐ側を、死の速度を纏った鉛の死神――キエン・エスが放った銃弾が通り抜けていく。脇腹から広がる灼熱は、無視。どうせかすっただけだ。

 すかさず、引き金を引く。今この僅かな間にもう一方の手で抜いた、コルトM1851の。


 銃声! 銃声!


 キエン・エスは、着弾の衝撃にたたらを踏む。その射撃技巧は、動揺を誘う一言、そして、とどめの銃声で今や破られていた。


「想定外の銃声は、聞く者を動揺に陥れンだよ」


 どッっ!


 間髪入れず、ブッチはキエン・エスの胸に一撃を叩き込んだ。


「アンタの弱点は、早撃ちに特化した射撃技巧だ! 例えるなら繊細に仕上がっている結晶、動揺という衝撃を受けりゃあ、容易くぶっ壊れる!」


 キエン・エスは、喀血した。叩きこまれたナイフの一撃は、銃弾より重く、拳よりずっと鋭かった。


「つーかそもそも、勝てると見込めない戦いに、正攻法を持ち込むかってんだよ、バーカ!」


 言い放つと同時に、ナイフを引き、後方へ飛び退く。

 不意打ちとしては完璧で、確実に相手を殺められるはずのものだ。

 だが、キエン・エスは【不死者】である。

 きゅばっ! という音。上がる、青仄白あおほのじろの炎。

 同時に、銃声! 銃声!

 銃弾が、ブッチの身体を貫く。

 身体から、青仄白あおほのじろの炎の炎が上げながら、ブッチは恐怖せざるをえなかった。

 逃げられない。この場だけではなく、望まざる定めからも。

 状況は、どうあったって絶望的でしかありえない。例え、どれほど足掻き通そうとも。

 そもそも、人ならざる者同士の喰らい合いに、終焉は訪れてくれるのだろうか?

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