第6章 WILD BUNCH 生まれ喪い征く者に捧ぐ聖譚曲

Chapter 1


 彼は一人、燃え上がる教会を目指して歩いていた。

 正直、心身共にしんどい。肺が痛い。呼吸から、血の味とにおいがする。

 手の得物は、鉛の錘のよう。一瞬一秒が、永劫の時のように思える。

 それでも足を止めないのは、彼が持ち合わせる責務と正義と執念故だ。

 行く手に、炎の柱が昇る。

 だけれども、誰もそれに気づいていない。

 誰も火事の炎しか見ていないから、その奥で起こっている異変そのものに気づくことはない。

 ずれかけた山高帽子を、彼は被り直す。燃え上がる教会を目指し、歩みを進める。











 クラレントの後を、二人は並んで辿っていった。

 終始無言だった。その歩調は、棺桶を担いで冷え切った沼を進んでいくみたいに重々しい。

 ブッチは、隣を歩くアトリを見た。それは最早、始終おどおどしっぱなしで、心が柔らかい上繊細すぎる、【異世界】からやって来てしまっただけの少女ではありえなかった

 ついて来るばかりだった足取りが、しっかりしている。終始警戒するよう揺れていた目には、強い輝きが宿っている。顔つきは、戦乙女ヴァルキリーみたく凛としている。

 雨に濡れればぶるぶる震えるひ弱なツグミは、今や嵐の大空を飛翔すかけめぐ雷の化身サンダーバードへと生まれ変わっていた。

 そんなアトリは、今、泣いていた。嗚咽を漏らすことなく、伝い落ちる涙を拭うことなく。

 何故泣くのか、ブッチには分からない。思い当たることが沢山ありすぎるからだ。

 だけど、その涙はすぐに乾く。熱と炎が、容赦なく乾かしてしまうからだ。


「やめて、ください」


 それでも、拭おうと伸ばした手を、アトリは拒んだ。


「涙も、血と同じなんですよ」


 その一言に、容赦のない現実を思い知らされる。

 アトリは【不死者殺し】、【不死者】に【再生】不可能なダメージを負わせ、死者にもどす血を持つ存在――【不死者】の天敵なのだ。


「悪ィ……」


 謝ったってどうにもならないことぐらい、ブッチには分かっている。

 アトリは相当以上のものを既に負っている。ビリー・ザ・キッドを殺すことに、結果としてブッチは加担させたのだ――ああする以外、方法がなかったとはいえ。

 本名を知っていたから、おそらくアトリにとってもビリー・ザ・キッドは【英雄】だったはずだ。

 それだけじゃない。

 アトリのさっきの一言は、拒絶じゃなくて気遣いだった。ブッチを傷つけないための。


「俺は、すぐ傍で泣いているアトリの涙すら拭ってやれねぇのかよ……」


 目の前が真っ黒になりかける。自分に対する絶望ではないと、ブッチは信じたかった。


 銃声!


 呑まれなかったことだけが、ブッチにとって幸運だった。


「クソが、ァァア……!」


 きゅばっ!

 胸を撃ち抜かれ、青仄白あおほのじろの炎が上がる。倒れなかっただけ、ラッキーだったと思うしかない。

 背後には、今なお燃え盛る終わった戦場。歩み行こうとする前方には――


「なんで、てめぇッ……生きて、んだよ。チャーリー・シリンゴ……!!」






「何度も言わせるな、ブッチ」

 得物ウィンチェスターM1873を構えつつ、シリンゴは言い放つ。


「どこまでも追い、軛にかけ、その死に様を見届けてやるまで、たとえ天命を終えていようとも、僕はひた走り続け、引き金を引き続けるつもりですよ」

「たとえ亡霊に成り果てようが、追いかけてくるってか? そのご執念、ご立派なことですなぁ。お仕事熱心も大概にしとけや。そんなんだから結婚する都度毎回毎回奥さんに逃げられて、不名誉なバツばっか増えてくんじゃねぇの?」

「やかましい!」


 ブッチの揶揄を、シリンゴは罵声で叩き潰す。


「お前にだけは、そういうことを言われたくないな! 亡霊以前に【不死者】などに成り果てた、今のお前にだけは!」

「ァー……悪ぃけど、俺ぁ学校マトモに行ってねぇんだよ。だから、シリンゴ先生がおっしゃられるそーゆー難しいこと、全ッ然分からないんですどー?」

「シラを切るのも大概にしろ! いっそのこと銃弾に詳細を全部刻んで、そのふざけた思考に直接教え込んでやりましょうか!? 【不死者】ブッチ・キャシディ!」


 ブッチは思わず黙りこむ。【不死者】であることは、最早隠しようがない。

 シリンゴの行動は、実に合理的だった。

【再生】の際の炎を引きずり出すことにより、ブッチが【不死者】であることを外ならぬ自分の眼で確認したのだから。一撃でその命を奪える箇所に向け、銃弾を放つことで。


「答えてもらいましょうか、お前は一体いつから【不死者】だった?」

「…………」

「【不死者】であったから、ボリビアの地で死ぬことなく生き延びたのか?」

「…………」

「そもそもの話、どうやって【不死者】に成り果てた?」

「…………」

「答えろッ!」

「誰が答えるか!」

「そうですか、ならば……」


 シリンゴは、得物の狙いを少しだけずらす。

 意味することがなんであるのかを知ったブッチは、思わず叫びかけた。


 銃声!


 放たれたそれは、アトリの目の前、ブーツのつま先ぎりぎりの地面を抉っていた。


「てめッ!」

「ならば、お前の連れ添いに答えてもらうしかないですね」


 狙いは、アトリの眉間に定められている。


「では、代わりに答えてもらいましょうか。【不死者】ブッチ・キャシディに連れ添う者。ブッチ・キャシディは、ボリビアの地を踏む前より【不死者】だったのか否か。そして……! かつて【ワイルドバンチ強盗団】を率いた無法者ブッチ・キャシディと共に在るお前は、一体、何者……なのだ!?」













 ところで、シリンゴはあの状況をどうやって生き残ったのだろう?

 普通に考えれば、胸に銃弾が命中すれば誰だって死ぬ。【不死者】という例外を除けば。

 だけどシリンゴは【不死者】ではないただの人間だ。普通に考えれば、死んでいなければおかしい。

 じゃあ、どうやって?

 簡単な話だ。あの時、銃弾がシリンゴに直接命中していなかっただけだ。

 シリンゴの胸に確かに命中していたとしても、そこにあったもの――ジャケットの胸ポケットに偶然入っていたあるものに阻まれたのだ。

 そのあるものとは、懐中時計の留の部分、盾のチャーム。

【ピンカートン探偵社】の一員であり、無法者アウトローの敵対者であることの証明が、死の速度を纏った銃弾を受け止めて、シリンゴの命を救ってくれたのだ。

 はっきり言って、奇跡である。もしそこに何も入っていなかったら、入っていたとしてもあとほんの僅かずれていれば、冗談抜きにシリンゴは死んでいたのだから。

 なにはともあれ、シリンゴは奇跡的に助かった。

 とはいえ、助かったのは命だけだ。防げたのはあくまでも着弾だけで、それに伴う衝撃を防ぐことができなかった。おかげで、一時的にだが意識を失う羽目になってしまった。


「奇跡じゃよ、本当に」


 気付けのテキーラをシリンゴに渡しながら医者は言う。


「あんた、余程運がいいんじゃな」

「実力に運が並走してくれているだけですよ」

「へッ! よく言うわい」

「それ故、死ななくてすみましたよ」

「死ななくてすんだだけじゃ。肋骨アバラは何本かイっとるぞ」

「だとしても、儲けものですよ。無法者アウトローが放つ銃声の代価に、こちらの命を払わずに済んだのですから。それ以前の話、【ピンカートン探偵社】の名と象徴を、無法者アウトローごときに簡単に吹っ飛ばされてたまります、かッ……ァ」


 そう言い放った直後、シリンゴはむせた。気をふと抜いてしまった今、胸部で突然、痛みが暴れだしたからだ。


「言っておくが、しばらくは絶対安静じゃ」


 そんなこと、分かっている。自分の身体なのだから。【ピンカートン探偵社】の探偵として食べていく上で、一番の資本は自分自身の身体なのだから。

 けれどはっきり言って、これはちょっとやばいかもしれない。呼吸をする都度肺がぎりぎり傷むし、気管に変な熱を感じるし、呼吸からは血のにおいと味がする。

 とりあえず、【ケルビム】と接触しなければならないだろう。

 悔しいが、分かっている。【コードÀ】――【不死者】の出現への対処に、こんなザマでしかも一人で当たることなどできやしない。

 事が事だから、応援――否、交代要員として他の探偵が大至急寄こされるはずだ。

 そうなれば、あとはその探偵が万事解決するだろう。

【ピンカートン探偵社】のうちの探偵の誰かが、シリンゴがもたらす情報を元にこの件を引き継ぎ、うまく立ち回り、うまく解決へと向かっていくはずだろう。

 今度こそ、【ワイルドバンチ強盗団】の首魁ブッチ・キャシディを軛にかけることができる。

【ピンカートン探偵社】の悲願が叶う。ガキの使いみたく、つまらない案件のついでで。


「ふざけんじゃ、ねぇ……!」






 故に、シリンゴはブッチの前に立ち塞がり、得物を構えている。

 しかし、銃口の先に立つのは、照準を定める相手は、それ以上に厄介な相手。

【ピンカートン探偵社】の探偵が総がかりになってもその存在を感じ取ることすらできなかった、【ワイルドバンチ強盗団】の主幹メンバーの十人目。

 おそらく、ブッチに最も近き存在。ボリビアの地まで――否、もしかすれば、更なるその先を目指し、共にこうとしたかもしれない者。

 他の誰よりも深い結びつきを持った、唯一無二の相棒。

 シリンゴは、今、誤解かくしんに至っていた。













 かつての【英雄】ビリー・ザ・キッドを斃した先、待ち構えていたのは、現在の最悪。

 そいつは、あろうことか、ブッチだけでなくアトリまで撃ってきやがった。

 三度目の銃声は、まだだ。

 けれどもそれは、そう時を経ないうちに放たれる。

 ブッチだけでなく、アトリをも軛にかけるためのものが。

 完全に、詰んだ――はずだった。


「探偵ごときがッ、俺たちに問うか!?」

「!!?」


 我が耳を疑う。あまりのことに口がきけなくなる。

 はっきり言って、背後から突然撃たれるより余程効果がある。

 正直、否定したかった。今起こっていることは、全部虚構じじつだと。

 そいつは、ただの少女だったはずだ。それが無法者アウトローとして立ち上がったのだ。

 そして、無法者アウトローそのものの言葉を放つ。立ち塞がる敵対者チャーリー・シリンゴに対して。

 ブッチは混乱する。思考が迷路に囚われる。問いただすための言葉すら見失う。

 アトリ、お前、一体、なにを考えている!?

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