Chapter 6



【不死者】を倒したと思った瞬間、シリンゴの前に現れたのは、【不死者】よりずっと厄介極まりない相手だった。

 しかもそいつは、一般人を人質に、こちらを牽制してきている。


「お前という、奴は……!」

「なんか誤解しちゃいねぇか、シリンゴ? ……俺ぁ、生粋の無法者アウトローなんだぜ」

「そんなこと、とっくに知っていますよ……しかし! お前は、お前だけは、そういう類の無法者アウトローとは違うと」

「買い被りすぎも大概にしろや!」


 シリンゴの怒号を、ブッチは嘲笑で叩き斬った。


「てめぇらのくだらねぇ流儀だの正義だのに従って、軛にかかってやる義理なんざねぇっての! この、資本主義の走狗ブタが!」













 望まずとも、アトリはブッチとシリンゴの応酬を全部、嫌でも見て聞かされる羽目になる。

 随分暴力的な言葉を吐き散らしていると思う。ブッチは無法者アウトローだ。それ以前に、敵対する相手が相手だから当たり前なのだろうけれど。


「得物を棄てな……ンでもって、ねさらせよ、チャーリー・シリンゴ。俺ぁ、やるってばね。言おうが言うまいが、決めたからにゃな!」


 実際、ブッチはやると言うからには必ずやるし、やると決めたからには必ずやるだろう。はったりをきかせまくった、嘘八百を平気で並べ立てることだって。

 ブッチを除けば、アトリだけが、それを理解している。アトリを押さえこんでいる腕からは、力が露ほど感じられないから。

 やろうと思えば、間違いなく振り払って逃げられる。


「さァ、どうするよ、敏腕探偵?」


 けれど、相手にしてみれば「不届きな無法者アウトローが罪なき一般人を人質として抑え込んでいる」ようにしか見えないわけで。






 シリンゴにはったりをきかせる一方、ブッチは焦燥を募らせていた。

 ぶっちゃけ、既に万策尽きている。

 逃げようと思えば逃げられる。アトリを見捨てれば、或いは、シリンゴを殺せば。

 詰めの甘さに、ブッチは歯噛みする。正しくないかもしれないけれども、正しいと思えるはずの選択をしたはずだった。

 だが、結果はこれだ。決まりきっていないはずの結末は、容易くブッチを裏切るのだ。

 いつだって、いつだって――


 きゅばっ!


 銃声!






 生命の重さというのは、意外にも軽い。

 はやさを纏ったたかが数グラムの鉛の銃弾が胸を真っ直ぐ貫くだけで、人間は死ぬ、呆気なく死ぬ、あっさりと死ぬ。

 そう、死ぬのだ。

 それが、【英雄】であったとしても。

 たとえそれが、【英雄】に匹敵するような人間であったとしても。

 ブッチは、思わず目を大きく見開く。

 その視線の先で、膝がつかれる。傾いた頭から、被っていた山高帽子が落ちた。

 得物ウィンチェスターM1873を手放さなかったのは、敏腕探偵としての矜持か。


「シリンゴォ!」

「キエン・エス……」

「貴様ァァァア!」


 ブッチの赫怒の咆哮に、青仄白あおほのじろの炎を纏った【不死者】は無感動に答えた。

 ただ引き金を引くだけで、死は舞い降りる。

 引き金を引く僅かな力が、死神が振るう大鎌となる。

 どさっ、という麻袋を乱雑に転がしたような音が、やけに大きく耳朶を打つ。

 倒れたシリンゴから、血が流れ出ることはない。

 だが、放たれた銃弾は、【ピンカートン探偵社】の敏腕探偵チャーリー・シリンゴの命を消し飛ばしていた。

 

 間髪入れず、銃声!

 銃弾が、ブッチの左肩を貫く。













「がッ!」


 着弾の衝撃と苦痛にブッチは呻き、よろける。その際、腕の力が緩む。抱え込んでいたアトリを、手放してしまう。


 銃声!


「がァッ!」


 今度は、右膝に衝撃が走る。撃ち砕かれたそれから力が抜け、踏ん張りがきかなくなるのと、視界が赤を通り越してどす赤く染まる激痛が走るのは、ほぼ同時。

 辛うじて転倒を免れるも、バランスを崩し、片膝をつく。

 左腕は既に【再生】し終えている。キエン・エスは五体満足で立っていた。

 何かしらの奇策を有する【ピンカートン探偵社】が殺れば、どうにかなると思っていた。

 しかし、あれほどのダメージをくらったというのに、まだ立ち上がってくるのか。


 銃声!













「……う」


 気付けば、アトリは投げ出されていた。


 銃声!


 同時に、「がァッ!」という叫び声。

 叫び声というより、悲鳴だ。ブッチが上げるそれは。


「……ブッチ、さん」


 地面に這いつくばるアトリの視界の中で、ブッチが体勢を崩す。

 なんとか片膝をついて転倒しなかったけれども、バランスは大きく崩れていた。

 やった相手は、キエン・エスだ。

 アトリを間に挟むような形で、ブッチを撃っていた。

 そうやって、ブッチを嬲り殺そうとしている。


「……や、やめて」


 どれだけの銃弾を叩き込まれたって、【再生】するのだ。

【不死者】は死なない、死ぬことは決してありえない。

 どれだけ銃弾を叩き込まれようとも、決して。

 同じ【不死者】であるはずのキエン・エスは、それを理解しているはずなのに。


「……お、お願い、やめて」


 でも、もし「どれだけ」以上の銃弾を撃ち込まれたらどうなる?

 十発ならまだしも、百発、千発の銃弾、あるいは一万発。


「……お願い、やめて、やめて……!」


 もしかすれば、ブッチは死んでしまうかもしれない。

 どくんっ!

 鼓動が、一度――大きく、響いた。

 そのまま、アトリは、情動に突き動かされるがまま――


 銃声!






 眼前の光景は、ブッチにとって信じがたいものでしかなかった。

 なにが起こったのかは、理解できた。それが何故起こったのかは、理解できなかった。

 着弾の衝撃に、呼吸が詰まったのだろう。身体が一瞬、硬直する。

 後々分かることなのだが、幸か不幸か着弾はしていなかった。

 だが、銃弾は、肩の肉と鎖骨の一部を削ぎ取っていった。

 削ぎ取られた部分から、真っ赤なものがぱっ! と飛び散る。

 血飛沫と、皮膚の欠片と、細かな肉片が。

 それらは、ほぼ一瞬のうちに起こったことだ。

 とさっ、と――枯れ木が倒れるような音だった。アトリが倒れる、その音は。

 倒れたのは、ブッチを庇ったからだ。ブッチを庇って、銃弾の盾になったからだ。

 撃たれたのは、飛び出したからだ。ブッチの身体を穿つはずだった銃弾を、アトリがその身に受けたからだ。

 着弾の衝撃により、その小柄な身体が放り飛ばされなかったのは、奇跡でしかない。

 だけれども、そんな奇跡はロクなもんじゃない。

 倒れたアトリは、やがて、動かなくなる。

 銃弾が穿った箇所から、不吉な赤が流れ出ていく。


「……!?」


 流れ出るそれを眼にした瞬間、言い様のない恐怖がブッチの心臓を鷲掴む。それは、目前でアトリが撃たれたのを目にしたからだったはずだ。

 アトリは【不死者】ではない。たった一発の銃弾を受けるだけで死んでしまう、人間だ。

 だから、駆け寄って、抱き起してやりたかった。倒れて動かないその小さな身体を揺さぶって、名前を呼び叫んで、眼を覚まさせたかった。

 なのに、それが出来ない。

 らしくもなく、身体が竦んでしまっていた。例えが合っているかどうか分からないが――存在しないはずの怪物との遭遇であいを果たした人間の反応とは、こうなのではないだろうか?

 しかし、追い込まれていたのは、ブッチだけではなかった。


「¡¡Aaaaaaaaaaaaaaaah!!」


【不死者】キエン・エスの苦悶と恐怖の叫び声を、ブッチは聞いた。

 完全に恐慌一歩手前だ。得物を持たぬ方の手で自分の前髪を鷲掴み、開いた口からは声帯がぶっ壊れかねない叫び声を迸らせている。


「¡¡Aaaaaaaaaaaaaaaah!!」

「こいつ、怯えて、やがる……?」


 得物を手放さなかったのは、ガンマンの矜持――ではないだろう。

 恐らくは、拠り所であるに違いなかった。心を捕えようとする恐怖、得体の知れないなにかから逃げるため。


「¡¡Aaaaaaaaaaaaaaaah!!」


 そして、そのまま、逃げ出した。

 矜持も殺意も、全てかなぐり棄てて、なりふり構うことなく叫び声を上げながら。そうすることで、恐怖から逃れようとするのように。


「一体、何が?」


 だが、そんなのどうでもいい。


「アトリ……アトリ、アトリ!」


 なんとかしてやらなければ、アトリは死ぬ。

 激痛走る身体に鞭打ち、駆け寄る。無我夢中で、手を伸ばす。

 ブッチにとって、アトリはただの人間でしかありないはずだった。













 アトリは、地面に倒れ伏していた。仰向けの出来損ないみたいな、変な体勢で。

 そのせいか、身体が中途半端に熱せられたラードの塊になってしまったみたく、重い。あと、左半身が変に熱い。

 なんとなく、手で触れてみる。熱くて、ぬるぬるしたものが、指を赤く汚した。

 瞬間、思い出す。ああ、そうだ――ブッチを庇って、撃たれたんだった。

 今更ながら、被弾の痛みがものすごい勢いでせり上がってくる。だけど、アトリは悲鳴を上げられなかった。


「無事、か……ア、トリ……」

「……ブッチさん?」

「無事な、らなに、より……で、いいんだっ、てば……ね」


 気付けばブッチが、片膝をついて寄り添っていてくれていた。だけどなんだか、様子がおかしい。


「見る、な」


 それは、アトリが初めて聞くブッチの声だった。


「見る、んじゃ……ねぇ」

「……ブッチさん?」

「俺、を……見るんじゃ、ねぇ……!」


 その声は、ひどく弱りきって震えていた。


「……ブッチ、さん……一体、どうし」

「お前の……せいで、こうなった、わけじゃ……お前は、なにも悪く……悪くなん、ざ」

「……っ! 傷、痛むんですか!?」

「なん、でもねぇ、なんでも、ね……ッぐ、ああァ……!」


 直後、響き渡るのは、苦痛と苦悶に満ち満ちた、手負いの獣のき声。

 俄かに信じられることじゃない。ブッチが臆面も体裁もなく、そんなものをただただ放つ光景なんて。

 混乱する間もなかった。何故なら、アトリはモロに見てしまったのだから。


「……ブ、ブッチさん……!? そ、その、その手……」

「見る、な! 頼む、から見る、んじゃ、ねぇ……!」


 ブッチの手は、醜く爛れ切っていた。哭き声に呼応するよう、ぶすぶすと煙が上がる。

 それは醜悪で、真っ黒く、禍々しかった。嘔吐を促す、腐った死肉のにおいを何十倍にも濃縮したような、おぞましい臭気を放っている。


「……な、なんで」


 直感する。これは、決して癒えるものではない。

 けど、ちょっと待ってほしい。なんで、ブッチがそんなものを負っているのだろう。【不死者】は、死に瀕するダメージであったってたちどころに【再生】することが出来るはず。

 まるで、なにか触れてはいけないものに直接触れてしまったような――直接!?


「……まさかっ!?」













 例えばの話。

 ヴァンパイアは、純銀に触れられないという。

 妖精は、鉛に触れると火傷を負うという。

 鬼は豆やイワシの頭が苦手だし、バジリスクやメデューサは鏡を見ることが出来ないという。

 要は、どれだけすごい存在にも必ず弱点は存在しているってことだ。

 だけど、これは別に想像とか空想上の世界に限られることじゃなかったりする。

 犬や猫はタマネギが、馬や牛や羊はワラビが、インコやモルモットはアボカドが、それぞれ駄目だっていう話がある。体内に取り入れることで、中毒症状を引き起こすからだ。

 このように、人間にとって大丈夫なものが、他の生き物にとっては有害になるという話は実は結構ある。その逆も、また同じく。

 蚕が常食する桑の葉、ニホンジカが食べるトリカブト、ヤマカガシが好むヒキガエルなんて、人間が食べたら大変な事になる。

 もしもこれと同じようなことが、【不死者】にあったらどうだろう? 人間に無害であっても、【不死者】にとっては害毒にしかなりえない【なにか】があれば。


「……そんなことって」


 可能性としてありえないわけじゃない。だって、その【なにか】は、今この場に存在している。ブッチが触れてしまわざるをえないものとして。


「……血、わたしの、血……?」


 アトリは思わず、自分の手を見る。

 それを汚すのは、一体なんだ? それは、アトリのどこから流れ出た?

 左肩の傷だ、キエン・エスに負わされたものからだ。

 ブッチのことだ。倒れたアトリをなんとかしようとしてもおかしくない。その際、傷の具合を確かめようとして、触れてしまうってことだって。

 可能性としてありえないわけじゃない。

 ブッチは【不死者】だ、この【異世界】のことわりから外れた存在だ。

 だけどもしも、それ以上にことわりから外れた存在がいるとすれば?

 可能性としてありえないわけじゃない。

 実際、そうあることに他ならぬアトリは――


「……わたしの血、血は、ブッチさんを……」

「言うなッ、アトリ!」

「……他ならぬブッチさんをそういう風にしている、元凶は、わたしの、血で……」

「その先を言うなッ……! 他ならぬお前自身が、ンなこと言うんじゃねェっ!」

「……わたしの血、血は……」

「アトリっ!」

「……ブッチさんを、【不死者】を殺せてしまえる……!」


【不死者】の天敵――謂わば【不死者殺し】であってもおかしくないわけで。


「バカヤロウッ! 他ならぬお前ぇが……お前ぇ自身が、ンなこと認めるんじゃねぇッ……!」


 だけれどもその一言は、アトリにとって死刑宣告同然だった。

 断罪の銃弾となって、容赦なくその心を穿つ。

 アトリはそのまま、意識を手放した。

 崩れ落ちる最後の瞬間口にした絶望の呻きは、もしかすればアトリの心の断末魔だったのかもしれない。













「俺を許してほしいとは言わねぇ、許してほしいとも思わねぇ。許してやるべきなのはよ……アトリ、お前自身なんだぜ」


 届くことが叶わないのは分かっている。けれども、言葉は零れ落ちていく。


「お前はこれっぽっちも悪くなぇ……お前はたまたま、そんな力を持ち得ていただけだ。だからアトリ、お前ぇ……一線だけは絶対越えんなや。望まずしてなにかに成り果てちまうにしたってよ。今日しかねぇ俺なんかが持っていねぇような明日を生きてくれ……頼むから」

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