Chapter 5
一行が丘の上についた時、彼等は、言われた通りに振返って、先程の林間の草地を眺めた。
たちまち、一匹の虎が草の茂みから道の上に躍り出たのを彼等は見た。
虎は、既に白く光を失った月を仰いで、二声三声咆哮したかと思うと、又、元の
アトリから語られた【異世界】の物語こと【山月記】は、このような結末を迎えている。
要は、虎になってしまった哀れな
「【不死者】ってのは、究極的につまらねぇエゴイストでしかねぇってんだ。それこそ、死ぬ価値すらねぇような」
町外れ、荒野との境界ぎりぎりの岩場、隠れるようにして小屋がぽつりと建っていた。元々はちゃんとした小屋だったらしいが、しかし、今は廃屋である。
散々町で騒ぎを起こしまくった
「……ッ!」
上げかけた悲鳴を、噛み潰す。絶え間なく激痛が襲い来る。まるで神経を刃物でじわじわ削られているかのよう。
【不死者】である以上、傷を負ってもすぐ【再生】した。だが、それも今回ばかりは例外であるらしい。
「完っ全に、あれは盲点だったってばね」
そもそも死ぬことがない、死なない、死ぬはずなんてあり得ないのが【不死者】である。
故に、【不死者】を殺す手段は、本来であれば存在しないはずだった。
「…………」
絶えることのない激痛を訴え続ける箇所を、無言で見下ろす。
視線の先、ブッチの右腕はどす黒く変色し、醜く爛れきっていた。
後がどうなったっていいから、今すぐにでもこのおぞましい、我が身を冒す異常を掻きむしり、引き千切ってしまいたかった。
ところが、ブッチの身体はその意思に反する。触れようとすることを頑なに拒み、身体が強張ってしまう。行動そのものに、ブロックがかかる。
認めたくなかった。けれども、ブッチにはそれが何故なのかわかっている。
それは、恐怖だ。【不死者】としての。
正直、今の自分自身がおぞましかった。
もはやブッチは人間ではなく、【不死者】でしかありえないのだ。
堕ちぶれようとも、心だけは人間。それだけは変わらざるものであると、信じていた。
だが、実際はどうだ?
「…………」
不意に、誰かの名前を呼びかける。
片や、ブッチが【不死者】へと堕ちぶれてしまうために、その【存在】が、過去・現在・未来に関わらずこの世界から全て失われてしまった男。
片や、ブッチが【不死者】へと――否、究極的につまらねぇ利己主義者へと堕ちぶれた馬鹿であったがため、最悪の状況へと追いこんでしまった少女。
頭を振って、思考を払った。どちらであったとしても、名前を呼ばれる側にしてみれば汚辱もいいところだろう。
ブッチは思い出す。あの時、あの瞬間のことを。
屋根から見下ろす先、アトリの前に、キエン・エスが立っていた。その手には、銃。
目にするなり、ブッチは行動を起こしていた。
抜き放ったS&Wモデル2・スコフィールドの留め金を解除、弾倉を開く。開いた弾倉に、必殺の一発を込める。
「
迷わず、引き金を引く。
銃声!
――否、それを単なる銃声と言い表すのは誤りがある。
さながらそれは、咆哮だ。獰悪と狂暴が剥き出しになった。
比喩でもなんでもなく、空気が激震。
そして、キエン・エスの左腕が、誇張でもなんでもなく宙を舞う。肩口から文字通り引き千切れて。
ブッチが撃った必殺の一発は、単なる銃弾ではない。火薬を通常より増量し、銃弾の威力を大幅に上げた銃弾、【ホットロード】である。
着弾時に対象に与えるダメージは莫大だ。当たれば人体など、ボロ雑巾に等しい。
だけれども、それと引き換えに撃つ側のガンマンは洒落にならない状態になる。
実際その通りだと、ブッチは痛感する。S&W モデル3スコフィールドは弾倉が破裂してオシャカになっているし、余波で、指と手首の骨がイッた。
壊れた得物を、ブッチは迷わず捨てる。
屋根を蹴り、跳躍。
浮遊、からの落下。
その間に、背負っていたウィンチェスターM1873、先程出くわした【ピンカートン探偵社】の探偵から強奪したそれを抜き、容赦なく振り下ろす。
ごぎゃっ!
ストックから手に伝わってくるのは、相手の延髄が確実に砕けた感触。
着地と同時に、ブッチは再度跳躍。その際、呆然状態のアトリを抱え込む。
直後、万の銃声が一斉に上がるような轟音。それは、
間髪入れず飛来するのは、鉛の死神たちの群れ。
利き腕を失って間もないキエン・エスが、容赦なく蜂の巣に変えられる。
「ったく……やってくれるぜ、あの敏腕探偵」
しかし、ふと思わざるをえない。増援にしろなんにしろ、駆けつけるタイミングがよすぎだ。
だが、相手は
「アトリ」
それはともかく、だ。腕の中に収まる少女の名を、呼ぶ。
「アトリ」
返事はなかった。その目は、虚ろでぼんやりしている。
「目ぇ覚ませ、アトリ!」
「……ぁ、え!? ……ブ、ブッチさんっ!? ……な、なんでっ、ブッチさんが、ここにっ!?」
「怪我はねぇか?」
「……なんでっ! ブッチさんがっ? ここにっ!?」
「ひでぇ物言いじゃねぇかってんだ。そンなんじゃ、俺ぁお前を助けねぇ方がよかったってことになるぜ」
「……そ、そうじゃなくってですよ? ……えええっと、えっと、えっとえっと、ですねっ!? ……なんで、わたしなんか、助けに来てくれたんですか?」
ブッチが知ることのないことだが、この時のブッチの登場はまるで、アトリにとっては西部劇のヒーローだった。
ヒロインや仲間を救うべく、死地に赴く
「だからなァ……落ち着けって。けどよ、その前に……大丈夫か?」
「……ぇ!?」
「だから……大丈夫か? って、俺ぁ聞いているんだけどよ」
「……でも、えっと、えっと……」
「どうやら、大丈夫じゃねぇみてぇだな」
「……ぅうー」
その眼は、ふるふると揺れていた。そこには、さっきのような虚無はない。あるのは、罪悪感と、寂しさと哀しさだ。見る者に、どうしようもなくひりひりとした痛みを与えるような。
それら全て、ブッチによるものだ。いくらザ・サンダンス・キッドを取り戻すためだったとはいえ、許されざることである。
ふと、ブッチは思う。ブッチにとってアトリは、ザ・サンダンス・キッドの【存在】を
ならば、アトリにとってブッチは、一体なんなのだろう?
「ンなの知るかってんだよ。そもそもお前は……アトリは、キッドじゃねぇだろうが」
「…………」
「つーかお前、そもそも自分をなんだと思っていやがるってんだ?」
「……えっ、えっと……その」
「それと、さっきのことなんだけどよ、俺ぁ……言い繕うつもりはねぇよ。あれは紛れもなく、俺の本音でしかねぇ。実際、俺はそういう風に思っている」
吐露されるのは、【ワイルドバンチ強盗団】の
相棒たるザ・サンダンス・キッドに対して向けられる、狂おしいまでの。
真摯そのものの感情、胸中に閉じ込められていた想い――言い様はいくらでもある。
「だから、分かったようなことなんざ言うなや……キッドじゃあるめぇし」
「……ご、ごめんなさ」
「アトリは、アトリだろうが。アトリでしかねぇはずだろうが。理由も分らず【異世界】から
「……ッ!」
「けどよ……それ以外でもそれ以上でもあるのも、アトリであるはずだぜ」
「……ブッチさん?」
腕の中のアトリは、不思議そうに目をぱちくりさせる。
「……えっと、それは……どういうことなのですか?」
だが、ブッチはそれに答えることはなかった。
「動くな!」
怒声に打たれ、ブッチの腕の中でアトリは身を強張らせる。
「つーか、いるんだったらもっと早くどうにかしろってんだ、敏腕探偵」
「黙れ」
威嚇と牽制のために発破されたダイナマイトの爆発の余波によってもうもうと上がる煙の霧から、人影が進み出てくる。
ウィンチェスターM1873を構えた、山高帽子にチャコールグレイのスーツの男――チャーリー・シリンゴが。
「そんなことより、何故、お前がここにいる?」
「お前の探偵としての勘と推理と本能にでも聞けば?」
「減らず口を」
「ンなことより、いいのかなァ? 下手な真似をしてみろってんだよ、シリンゴ」
腕の中のアトリを、ぐいっ! と強引に抱え込え直す。
「このガキの首、へし折るぜ?」
「貴様……!」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます