Chapter 4


 銃弾をくらった対象は、仰け反って倒れる。


 銃声!


 方向が転換された銃口の先で、また一人倒れる。

【ピンカートン探偵社】の探偵が二人、ほぼ同時に。


「サンチョ、クチーロ……野郎ォ!」

「止めろ! 撃ち返すな!」

「向こうから見えない角度からやれば問題なッがアァ!?」


 銃声! 銃声!


 ガラスが破られる、けたたましい音が響く。同時にライフル、ウィンチェスターM1873のレバーを引きかけていたニーニョが、飛び込んできた銃弾に倒れる。


「伏せろっ!」


 銃声! 銃声!


 二人が立っていたあたりを、鉛の死神が亜音速で通り過ぎていった。


「ウソだろっ! 距離はともかく、遮蔽越しだぞっ!?」


 間一髪でシリンゴに助けられたワイルドは悲鳴を上げる。


「アイツ、アイツ、人間じゃねぇ、あれは」

「気持ちが分からないでもないですが、一発でも当たれば我々は終わりですよ」

「で、ですけどっ」

「落ち着けと言っているのが分からないのか、馬鹿野郎っ!」


 その一喝で、千々乱れかけていた精神が醒まされる。

 それぐらい効果てきめんだった。余裕が失われたシリンゴの叱責は。


「死にたくなければ、心を平常に保つことです。そして」


 シリンゴは言う。【ピンカートン探偵社】の敏腕探偵らしからぬ事を。


「あれを、名のある無法者アウトローや凶悪無比な犯罪者と……いや、人間と同列に考えるな。あれはバケモノだ、奴のような存在は……【不死者】は!」

「いや……ンなこと唐突に言われても、俺には」


 その一言に、ワイルドは疑惑を懐く。どう考えたって、納得出来ることじゃないからだ。

 大体、シリンゴともあろう人物の口から出るべきことじゃない。

 バケモノだの【不死者】だの、オカルティストがほざく戯言じみたものなど。

 例えの引き合いで神や悪魔や精霊マニトゥといった存在を出すのなら分かる。

 でも、鉛の死神たちが容赦なく牙を剥いて襲い来る銃撃戦で、そんなことを言うなど。

 洒落にも冗談にもならない。正直、笑おうにも全く笑えない。


「シリンゴさん」

「なんです?」

「アレの……【不死者】とかいうものやらに関することって、さっき【ケルビム】が言っていた【コード:Á】とやらとなにか関係が」

「平たく言えば、案件ですよ。【ピンカートン探偵社】が請け負わされている」

「【不死者】とかいう……シリンゴさん曰く、バケモノに関してどうにかしろっていうものが、ですか?」

「というより、ガキの使いですね」

「【コード:Á】とやらが、ですか?」

「逆ですよ【コード:Á】とやらを除く全て、全部が全部がですよ。それこそ、ブッチ・キャシディの拿捕ですらも!」


【コード:Á】とやら、【不死者】とやらに関連すると思われるそれは、【ピンカートン探偵社】におけるもの全てを差し置いてなお、優先させるべきものである。

 シリンゴが言うことを要約すると、こうだろう。

 しかし、ワイルドにはちんぷんかんぷんである。話の全容が、欠片も掴めないからだ。

 されど、理解だけはできた。シリンゴが抱かざるをえない怒りについてだけは。


「実際、理不尽極まりないと思っていますよ。無法者アウトローどもとの戦いという探偵の本業を果たすより、あんなバケモノをどうにかするのに全力を尽くせなど。近くに真っ先に拿捕すべき対象者がいるってことが分かっていながら! 円卓評議部の腐れ老害どもめ、探偵の名分をなんだと思っている!」

「俺、今なにも聞きませんでしたからね。それより、シリンゴさん」


 返事を待つことなく、ワイルドは得物――ウィンチェスターM1873を手渡す。


「装填済みです。あと、倒れた時の衝撃でどうにかなってはいないようです」

 視線を、倒れたニーニョの方にやる。無益な死を遂げて間もない、仲間の方へ。

 それだけで察したのだろう、ライトブラウンの目が一瞬伏せられた。

「では、離れの上から援護を。とりあえず、ぼくはこれから突破口を開き、標的を仕留めます」 


 ワイルドは、頷く。


「あの【不死者】の側に……逃げ遅れが一人いましたね」






 部下が出たのを見計らい、シリンゴは行動を起こす。

 後ろに転がしていた旅行鞄を足で引き寄せ、前へやる。


「まさかこの僕が、【不死者】を相手に無法者アウトローどもの常套手段を使うことになるとは」


 シリンゴは、旅行鞄を開く。

 中身は外部からの衝撃からがっちり護られている。油紙色の保護材に包まれた筒状の爆薬・雷管・導火線の三点セット――ダイナマイトは。

 威力は相当抑え込まれているはずだが、間違いなくここは目茶目茶になる。

 正直、やりたくもない。だが、背に腹は代えられない。


「ここの修繕費、ちゃんと経費で落ちますよね?」













 狂気に潤む若葉色リーフグリーンの眼が、アトリに向けられている。どうあったって逃げられない至近距離から。

 銃弾が再装填されたコルトM1877・ライトニングの銃口が向けられる。

 けれども、アトリには現実から遥か遠くの出来事でしかない。


「……さん」


 故に、涙と一緒に零れ出た言葉に答えは、意味などなく、ましてや、届くはずなど――


ッねぇ、さらせェ!」


 ――ありえないはずだった。


 銃声!






 一発の銃弾が、キエン・エスを貫く。

 その左肩へと着弾、炸裂する。

 銃声が耳に届くよりはやく飛来した銃弾は、キエン・エスの左腕を文字通り引き千切った。

 肩から飛んだそれが地面に落下するのと、腕の断面から血しぶきが撒かれるのと、絶叫が迸るのは、果たしてどれが最初だったのか。

 けれども、分かることが一つだけ。それは、銃弾を放ったのがこの場に乱入をかました誰かであるということ。


「……!?」


 そしてそれは、前置きも御託もなしにキエン・エスにぶち当てられる。

 延髄に、怒れる雷神の鉄槌が。

 それでも、キエン・エスは持ちこたえようとした。

 刹那の間に、感じ取ったからだ。その誰かとは、外ならぬブッチ・キャシディだ。

 だが、そこまでだった。

 相手は大きく飛び退き、キエン・エスから距離をとる。

 その際、急襲した大鷲が動けぬ獲物を狩るような鮮やかさで、アトリを掻っ攫う。

 同時に、轟音が上がる。万の銃声が一斉に上がるよりも凄まじい爆発音が。

 次いで飛来した銃弾の群れが、キエン・エスを容赦なく蜂の巣に変える。













 寝苦しさを感じて、アトリは目を薄く開く。どうやら、いつの間にか寝入っていたらしい。

 窓の外は真っ暗だった。


「まだ寝てていいんだぜ?」

「……ブッチさん、なに……やってるんですか?」

「なにって、見りゃあ分かるだろうによ」


 自分の膝に眼を向けたまま、ブッチは答える。


「うーん、やっぱ……読めねェな」

「……それ、一応、わたしの私物なんですけど」


 ブッチは、窓際の椅子に腰かけていた。膝の上には、開かれた本がある。アトリが元の世界から持ち込んだ文庫本だ。


「……読むなら、せめて灯りをつけてください。目に悪いですよ」

「油と蝋燭が勿体無ぇよ」


 唯一の光源は、窓から差し込む月光のみ。それでも、室内をとりあえず見渡せるぐらいの明るさがある。


「つーかさ、ンな余計なこと、考えんでもいいんじゃねぇか?」


 文庫本を閉じて、ブッチは言う。


「つまらねぇしがらみなんざ、捨てちまえってんだよ……俺も含めてさ」


 一瞬、なにを言われたのか分からなかった。


「アトリは自由じゃねぇかって、俺は言ってんだよ」

「……ブッチさん、それ、どういう意味で」

「意味もクソねぇじゃねぇかってんだ、だってそうだろ?」

「……ひっ!?」


 青鋼色スチールブルーの目が、憎悪で暗く濁る。


「……ブ、ブッチさ、ん。……わた、わたし、は……」

 

ブッチの手から、文庫本が落ちる。


「目ぇ食いしばらせて、よーく見ろや、アトリ」

「……ひっ!」

「てめぇ……よくも、俺を、殺してくれやがったな!」


 悲鳴は、アトリの意に反して上がってくれなかった。

 当たり前だ。【あんなモノ】を見せつけられたら。

 嘔吐を促す腐臭を放ち、濃密な死臭を纏う、醜く爛ただれきったそれは――おぞましい変化を遂げてしまった、ブッチの右腕。

 しかし、それ以上におぞましいのは、アトリなのだ。


「……ごめん、なさい、ブッチさん……。……ブッチさん、ごめ、ごめんな、さい……!」













 ここで、アトリは今度こそ本当に目を覚ます。

 ここのところ、アトリはずっとこうだ。麻酔と痛み止めが効きすぎてしまっているみたいで、気を抜くと意識が沈んでしまう。


「……悪夢だったら、どれだけよかったんですかね」


 ざらざらに渇ききった声で、一人呟く。

 とりあえず、水でも飲もうと思った。部屋のテーブルに、水差しとコップが常備されているはずだ。ケサダかエメさんのどちらかが、用意してくれているはずだから。

 べッドから上体を起こそうとした――瞬間、左肩を激痛が突き抜ける。

 反射的につぶった目の奥で、特大の火花が爆ぜた。


「……ぃ、づぅ!」

「お嬢さんっ!?」


 ばんっ! と部屋の扉が開いた。

 手に持っていた布、取り代えようと思って持ってきたものであろう包帯が、ケサダの手からばらばらと落っこちる。


「無茶しないでくだせぇ! お嬢さんは今、お身体に大きな傷を負っていなさるんですぜ!」


 そして、あたふた言いながら駆け寄ってこようとした。


「……っ、来ないで、来ないでくださいっ! ……来ちゃ、来ちゃ駄目です!」

「お嬢さんっ?」

「……ケ、ケサダさんまでっ、死ん、死んじゃった……らっ!」


 瞬間、アトリの咽喉から引きつった声が、怯えきった悲鳴が上がる。


「……お願い、お願い、ですからっ、来ないで、ください……!」

「お嬢さん、落ち着いてくだせぇ! 頼みますから」

「……こ、来ないで!」

「分かりやした。アタシは行きませんから、誓ってお嬢さんのお近くへは行きやせんから。けれど、せめてエメかお医者先生……あと、出来ればマックスをお傍に置いちゃくれやせんか? みんな、お嬢さんを心配しているんです」

「……ッ!」

「お願いしやす、お嬢さん……! でねぇと、アタシゃ……首魁ボスに顔向け出来ねぇんですよ! お願いしやすよ、お嬢さ……ぁだっ!?」

「このバカモンが!」


 だけどそれは、突っ込んできた横槍によって阻止される。医者の一喝と、エメさんの拳骨で。


「怪我人に余計な刺激を与えるなと、ワシゃあれほど言ったろうが!」

「し、しかしですね、お医者先生、ただアタシは」


 言い返そうとするケサダだったが、エメさんはそれを許さない。首根っこを掴んで、廊下へぶん投げる。

 抗議の言葉を発せさせるより早く、厳しい声で命じた。


「ここはわたしとお医者先生に任せて、アンタは目を覚ましたお嬢さんになにか精のつく温かいものを持ってくるんだよ……って言うべきなんだろうけど、その前に酒場サルーンに居座り続けて、怪我人であられるお嬢さんに事情を聞きたがっている、プレーリードッグ以上に迷惑な【ピンカートン探偵社】の探偵を叩き出しておいておくれ!」






 全部夢だったらよかったのにと、思った。寝ても覚めても、そういう風にしか思えない。

 これは全部夢、よくありがちな悪夢、重苦しく澱んだ空気の中にいるってだけの。

 ちゃんと眼を覚ましたら、きっとブッチが側にいてくれるはずなのだ。

 正直、現実感がない。あれよあれよという間に、全てを失ってしまっていたのだから。


「なにがあったのか聞きませんよ。お嬢さんだって、お答えになりたくなんてないでしょう」


 包帯を取り換えてくれたエメさんの声も、今は遠い。


「でも、これだけは言わせてください。首魁ボスはお嬢さんのことを、決して恨んだり憎んだりしていませんよ」

「……?」

「そうでなきゃ、こんなもの、お嬢さんに宛てて残しませんよ」


 前掛けのポケットから、エメさんはなにやら取り出す。

 差し出されたのは、四つ折りにされたルーズリーフ。


首魁ボスから預かったんです。お嬢さんの意識が戻ったら、渡しておいてくれって」

「……ブッチさんから!?」


 エメさんから受け取ったそれ、ブッチからの手紙を、しばし眺める。

 熱を出しているわけじゃないけれど、指先が震えた。

 でも、見なきゃいけない。どれだけ怖くったって。

 深呼吸を幾度か繰り返し、紙片を開く。

 それを眼にした瞬間、アトリから、世界の全てが消え失せる。


「お嬢さん!?」


 ただならぬなにかを察したらしいエメさんの叫び声が聞こえた。だけど、アトリにとっては外側の出来事でしかない。

 胸に押し付けるようにして、紙片を握りしめる、頬を、涙が伝い落ちていく。


『すまなかった』


 手紙には、ただ、それだけ書かれていた。

 アトリが教えた文字、ひらがなで。


「……こんなことになるのを前提に、わたしは文字を教えたわけじゃないのに」

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