Chapter 3


 わがままを言ってしまえば、テキーラをジョッキ一杯やりたかった。

 摂取したアルコールが、脳内を駆け巡る痛みを沈静化させてくれるだろうから。得体の知れぬ方法を用い、不意打ちをかました上、まんまと逃げおおせてくれやがったブッチへの赫怒も。


「それにしても、随分派手にやりましたね」 

無法者アウトローの拿捕を、レディの扱いみたく繊細にやれとでも? まぁ、仮に女だとしても、無法者アウトローであれば僕は容赦なく手を上げますが」

「…………」

「なんですか、ワイルド?」

「いえ、別に」


 返された気付け薬代わりのブランデーの小瓶をしまいながら、ワイルド――シリンゴの部下の一人は、気まずげに言う。


「流石、シリンゴさんだなー、容赦もクソもないんだなーって」

「それより」


 シリンゴは、この場に集う【ピンカートン探偵社】の探偵たち、駆けつけてきた部下たちに問いかける。


「なにか、掴むことは出来ましたか?」

「ニーニョとクチーロとサンチョは外れクジを引きました」

「では、お前かブラッキーが?」

「当たりを引いたのは、ブラッキーの方です」

「何故、肝心のブラッキー当人が、何故この場にいないんです?」


 五人だったはずだ。バックアップとして召集をかけた部下たちは。


「ブラッキーの奴、こっぴどくやられちまっていまして」

「と、いうと?」

「女にのされたんですよ」

「まさか、娼婦といざこざでも起こして、デリンジャーで撃たれたんじゃないでしょうね?」

酒場サルーンの女将にぶっ飛ばされたんですよ」

 

 ワイルドの後を、ニーニョが引き継ぐ。


「客に失礼をはたらいたからだとかで」

「馬鹿じゃねーノ、ソイツ」


 微妙な空気になりかけていた場に、声が滑り込んでくる。居合わせた全員の視線の先には、プレーリードッグの巣穴サイズの穴。


「【ケルビム】?」 

「失礼するヨ、盛り上がっているところ悪いんだけどヨ、伝えることがあって馳せ参じたヨ」

「出来れば、手短にお願いします」

「ジゃア、手短に済ませるヨ。ブッチ・キャシディの拿捕ハ、後回しダ」


【ケルビム】の言葉は、耳を疑うものだった。

【ワイルドバンチ強盗団】首魁ブッチ・キャシディの拿捕は、シリンゴのみならず【ピンカートン探偵社】の長年の悲願であったはず。それを、後回しにしろだと?


「チャーリー・シリンゴ、【コード:À】ダ。オ前に当たれとのお達しダ」


 瞬間、シリンゴのライトブラウンの双眸が、剣呑なものを帯びる。


「なん、だと……!?」

「ナんだもクソもないヨ。【コード:À】――【不死者】の討伐ハ、【ピンカートン探偵社われわれ】が最優先すべき案件だろウ?」


「しかし!」

「納得いかねぇなんて言わせないヨ、チャーリー・シリンゴ」


【ケルビム】の声が、冷たさを帯びた。


「確かニ、ブッチ・キャシディの拿捕は長年の悲願ダ。オ前だけではなク、【ピンカートン探偵社】にもおけル。シかシ、【コード:À】はそれ以上に優先すべき事ダ。チャーリー・シリンゴ、オ前は組織に属する人間なんだヨ。アウトローでモ、聞き分けなく走りまわるガキでモ、オとぎ話の過ぎる時代に取り残された男リップ・ヴァン・ウィンクルでもねぇんだヨ。ヤりたいこト、ヤらなけりゃいけないこト……ソの分別ぐらいついているだろうがヨ」

「…………」


 言われずとも、分かっている。

 法執行官である以上、行動に融通がきかなくなることぐらい、ましてや、自分なりのやり方に軛がかけられることぐらい分かっている。

 ただ獲物を追い続け、狩りたいのであれば、賞金稼ぎにでもなればいい。

 殺し屋でも、傭兵でも――それこそ、無法者アウトローにでも。


「全員、残弾に十分な余裕はありますか? それと、誰か馬の鞍に差している銃で、出来ればS&Wモデル2・アーミー……いや、ライフルを一つ貸してもらいたい」


 シリンゴの言葉に、部下たちの間に緊張が駆け抜ける。


「標的を、ブッチ・キャシディより、【不死者】へと変更する」


 分かっているつもりだ。弁えがない正義に、大義がないことぐらい。

 善と悪のはっきりしない混沌が未だ渦巻くこの新大陸フロンティアにおいて、それらを分かつ境界線を踏み違えていないから。

 そうでなければ、シリンゴは【ピンカートン探偵社】に在籍などしていない。













 アトリは、エメさん夫婦が経営する酒場サルーンを飛び出した。

 そのまま、ただひたすら逃げるよう、歩いて歩いて歩いて回って――そして、止まる。

 ともすれば倒れて動けなくなってしまいそうだったから、丁度目についた馬繋ぎ――自分の馬を繋いでおくための大雑把な造りの木の柵のようなそれにもたれかかる。


「……ぅ、ぐぅ!」


 その状態で、アトリは胃と肺腑が雑巾絞りを食らわされたら出てきそうな呻き声を漏らした。

 そんな様を、通りを歩く人々は薄気味悪そうなものでも見るような目で見るが、足を止めることなく歩き去っていく。馬を繋ごうとした人々は、別の馬繋ぎの方へ行ってしまう。

 なんていうか、現実としてここまで思い知らされてしまうと、言葉も出なかった。

 全部、アトリのひとりよがりでしかなかったのだ。

 ブッチが最初から思っているのは、ザ・サンダンス・キッドのことだけ。

 なにか思ってくれていたとしても、大方アトリが利潤を齎してくれるかどうかなのだろう。

 実際、アトリはそうでしかないのだ。ブッチにとってみれば、ザ・サンダンス・キッドの【存在】を虚構じじつとして認識しない唯一の存在であるアトリは、ザ・サンダンス・キッドを取り戻すための切り札でしかない。

 だから、どうあったってこんな結末を迎えてしまうことぐらい、アトリは最初から分からなきゃいけなかったはずなのに。


 アトリは、すすり泣いた。結局、どこにいたって自分は独りなのだ。

 ブッチとのことだって、結局独り善がりでしかなかったのだ。


「……ばかみたい、じゃなくて、ばかじゃないですか……実際、わたしは」


 しかし、言葉は打ち切られる。アトリの思考を、銃声が揺らす。

 そして、アトリは再び出遭うことになる。













 正直、ラムを飲みたかった。

 ラムじゃなくてもいい。馬の小便と揶揄されるような、かさ増しになにが入っているか分からない代物でもいい。

 酒であるならなんでもいい。摂取したアルコールが、この酩酊を沈静化させてくれるだろう。

 鬱屈さえも。常日頃から抱く不満――加えて、理不尽も。

 通りの一つ、日暮れ前のさざめきの中を、彼は歩いていた。

 歩くというより、酔って下手くそなダンスのステップを踏んでいるという感じだ。

 行き交う人々は、自ら進んで避けた。すれ違うことを、眼を合わせることを拒む。

 彼は、実際酔っていた。酒ではなく、アヘンチンキで。

 彼の名誉のために言っておくと、彼は決して好きでそんなもので酔っているのではない。そもそも彼は、そんな類のもので酔おうとする馬鹿ではない。

「痛むんだったら舐めておけ」と、医者から処方された痛み止めがアヘンチンキだっただけだ。

 全く別の世界の全く別の価値観を持つ人間にとっては、狂気の沙汰だろう。アヘンチンキなんて、ご法度な危険物だし。

 けれども、新大陸フロンティアではアヘンチンキは割とポピュラーな薬でしかない。痛み止めと書いてアヘンチンキとルビを振ってもいいぐらいに。


「ッと!」


 大きくよろめく。咄嗟に手を伸ばし、軒の柱を掴んで転倒するのを回避する。その辺に屯っていた子供たちが、黄色い声を上げて逃げていく。それが悲鳴か歓声か子供が上げる単なる奇声だったのかは分からないが、今は無性に癇に障った。

 出来ることなら、首根っこを引っ掴んで尻を蹴飛ばしてやりたい。

 普段、路傍に転がる馬の糞みたく当たり前のものですら、彼にとっては不愉快なものでしかなかった。


「クソがっ」


 思い出すだけで、はらわたが煮えくり返ってシチューになりそうになる。

 忘れもしないあの時、彼は例の人物を見つけたのだ。上司が血眼になって探し、軛にかけようとする人物の連れ添いと思われる人物を。

 正直、チャンスだと思った。その人物に辿り着けたのが、まぐれであったとしても。折角見つけたチャンスを逃すなど、ブロンドの美姫からのベッドの誘いを不意にするようなものだ。

 もし外れたら、という心配はなかった。

 仮に外れたとしても、「あれは冗談だった」と笑い飛ばせばいい。なんなら、金を払って本当に客になってもよかった。


「美しいお嬢さん、どうかあなたを崇拝させてください!」


 しかし、次の瞬間、その場に駆けつけてきた怒り狂える大女の鉄拳が、手加減抜きに彼の顔面に叩き込まれたのだった。

 で、今に至る。


「クソがっ!」


 思えば、彼はいつもこうだった。

 大衆小説ダイム・ノベルに登場する主人公たち――無敵の保安官や名うてのガンマンの活躍に憧れ、しがない牧場経営に汗を流すだけの実家を飛び出して、【ピンカートン探偵社】に入社した。

 けれども、待っていたのはスリルと冒険に満ち溢れる日々ではなく、ただひたすら上からの命令に従って雑務を黙々とこなす使い走りの日々。

 才能を見込まれ、出世していく奴もいる。しかし、それはほんの一握りだ。

 そして、彼はその一握りに選ばれなかった。未だに使い走りのままだ。

 自分のミスを都合よく忘却して、彼は勝手に苛立っていた。

 それ故、また過ちを犯す。彼の視界が、馬繋ぎにもたれかかってぐったりしているそいつの姿を捉えた時。

 忘れようもない、見間違えるはずもない。あの時みたくステットソンハットを被っておらず、似合ってもいないストールを付けていなくても。

 どうやら、天は彼を見放していなかったようだ。

 彼は歩み出す。馬繋ぎにもたれかかる補足対象へと。今再び見つけたチャンスを、不意にすべきではない。よく見れば、参りきって弱っているように見えた。

 だが、彼にとってそれは好ましいことである。

 相手は、あの【ワイルドバンチ強盗団】の一員だ。

 見逃せば、おそらく、次はあるまい。なにがなんでも、捕捉するのだ。

 しかし、直後、思いきり無様に素っ転ぶ。背中に受けた馬鹿でかい衝撃に、一瞬、呼吸が詰まる。食らわされた不意打ちの衝撃は、それだけ威力があった。

 なにが起こったと困惑する彼の前を、犯人――否、犯犬が悠々と駆け抜けていく。

 ウェルシュコーギー犬だった。道行く誰かが歓声を上げ、口笛を吹き、手を叩く。

 そいつは、さながら大衆小説ダイムノベルの主人公、不埒な暴漢からか弱い少女を救うべく颯爽と馳せ参じた、【英雄】だった。

 その圏外で彼は立ち上がる。感情の沸点は、最早上回っていた。

 見れば、ウェルシュコーギー犬はこちらに向けてぎゃんぎゃん吠えかかってきているではないか。

 思わず怒声を放ちかけ――しかし、再度、背中に衝撃。だが、今度は踏み止まる。


「なんだァあ!?」


 怒りの矛先が急に方向転換をさせられたせいか、語尾がおかしいことになる。

 それに彼が気付くことは、最期までなかった。


「キエン・エス」


 銃声!






 上がる幾つもの悲鳴。逃げ惑う人々の姿。

 投下された恐怖は、約束されていたはずの平穏をいとも簡単に引き裂く。

 ただ一度の銃声が、当たり前であるのが当たり前な平和を容易く打ち砕く。

 日暮れ前のさざめきは、最早ない。

 当たり前であったはずの平和が、既に打ち破られてしまったからだ。

 ことを起こした、張本人は、悠然とその場に立っていた。

 手には、銃。傍らには、撃ち殺した死体。

 狂気に潤む【不死者】キエン・エスの眼は、アトリをじっと見据えていた。













 もし普段通りなら、こいつだけでなく、その場の人間を全て殺していた。

 そうしなかったのは、キエン・エスのただ単なる気紛れであり――そして、珍しく機嫌がよかったためでしかない。

 キエン・エスの手には、銃があった。コルトM1877・ライトニング――奇しくも、かつての彼の得物と同じ銃が。

 それは、数多くの【英雄】たちが得物としたと伝えられる、名銃の中の名銃と謳われる銃。

 前を見据える。きちんと覚えていた。あれは、探し追う獲物の片割れだ。

 歩みを進める。得物を向けた。


「ガヴゥヴヴヴッ!!」


 しかし、邪魔される。

 その腕に、ウェルシュコーギー犬の牙ががっぷりと食い込む。


「ヴゥヴヴヴヴッ!!」


 キエン・エスは、腕の肉が抉れるのも構わず引きはがした。そのまま思い切り地面に叩きつける。ウェルシュコーギー犬は、ぐったりと動かなくなる。

 今回の目的は、人間どもを殺戮することではない。

 殺すのは【不死者】ただ一人。

 その【不死者】の名は、ブッチ・キャシディ。

 キエン・エスと同じ存在。

 故に、口元が緩む。殺してやれば惨めな死に様を晒し、物言わぬ骸と化すのが人間だ。

 けれどもし、【不死者】であるのなら、一体どのようなものに成り果てる?






 キエン・エスがアトリを見ていた時、アトリはキエン・エスのことなんか見ちゃいなかった。ただ、その姿を視界に入れているだけだった。

 ショックに打ちひしがれ、心ここに在らず。顔を上げたのだって、反射的な行動でしかない。

 アトリは、ただぼんやりと、今起こることをただ漠然と見ていた。

 撃ち殺された、見知らぬ男の人。

 平和を打ち砕かれ、パニックを起こして逃げる町の人々。

 アトリを護ろうとして、地面に叩きつけられたマックス。

 それら全てを起こした元凶は、【不死者】キエン・エス。

 この流れでいくと、わたしは殺されるのですね――と、アトリはどこか漠然と思った。

 いや、確実に殺されるだろう。頭か胸かどこか分からないけれど、撃ち抜かれて終わる。

【異世界】という異境の地で、アトリは死ぬ。

 なにせ、キエン・エスの手には、銃があるのだから。

 そういえば前にもこんなことありましたっけ? と、アトリはどこか漠然と思う。

 あれは確か、ブッチがザ・サンダンス・キッドの名前を騙っていた頃。

 どういうわけかいきなり来てしまっていた【異世界】の荒野をうろうろ彷徨っていたら、幌馬車で通りかかったブッチに助けられた――かと思ったら、腹パンを入れられて失神させられ、お持ち帰りされた――かと思えば、そこでブッチは自分の得物のコルトM1851で自分の頭を撃ち抜い――


「……ぇ?」


 思わず、声を上げてしまう。

 気付いてしまったのだから。それは、西部劇でしか通用しない撃ち方だ。

 でもあれは、芝居だからこそ出来る撃ち方だ。なのに、キエン・エスはそれをガチで行っている。

 アトリが知る限り、クラウス・キンスキーがよくやっていた。

 本物のガンマンは、ガンマンの利き手以外で銃を撃つなんてしないはずなのに。

 なんていうかここまで見てしまうと、キエン・エスがやらかすことは【英雄】的ですらある。

 もしかすれば、キエン・エスは本当に【英雄】であったのかもしれない。

 神話に登場する神々でも英霊でもトリックスターもなく、その時代において当たり前のように伝説を創造しつくってしまう、血が通った生身の人間でありながら伝説を創造すつくる存在。

 実際、アトリは知っている。ガンマンの利き手ではない方の手で伝説を創造しつくった【英雄】を、たった一人だけ。


「……あなたは、まさか……!?」


 銃声!

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