Chapter 4
きぃ、とドアが開く音。ケサダだろうか? それとも、エメさん? もしかすれば、ブッチが帰ってきてくれたとか?
毛布をはいで、油粘土みたく重く感じる身体を起こす。
開いたドアの隙間から入ってきた人物と、目が合う。
「きゅうん」
訂正――人物じゃなくて、犬と目が合う。
ウェルシュコーギー犬だった。足元まで来ると、顎を床につけるようにして伏せる。つぶらな黒い目が、アトリを見ていた。
「……ケサダさんはともかく、わたしはもう怒ってませんって……マックスは別に、悪気があったのではないのでしょう?」
実際、悪気なんてこれっぽっちもなかったはず。無防備なアトリの背中に体当たりをかましてきたのは、自分の存在に気付いてほしかったからだ。
「お嬢さん、失礼しやす。具合の方はどうですかい?」
だみ声と共に、バーテン服に身を包んだ黒人の男が入ってくる。
アトリたちが逗留中のサルーンの主人のケサダ、エメさんの旦那だ。手には、薄黄色の液体入りのボトルとグラスがあった。
「レモネードをお持ちしましたんで、よければお飲みになってくだせぇ」
「……ありがとうございます」
「もし具合がよけりゃ、なにか腹に入れますかい? カボチャのパイかジョニーケーキぐれぇならありますぜ」
「……すみません、なにからなにまで、すみません」
「お嬢さんが謝られることなんてありやせんよ、元はといえば、そもそもコイツが……やい、マックス! てめぇいいご身分だな。
「……お願いですから、止めてください」
追記すると、元【ワイルドバンチ強盗団】の構成員、ブッチの元部下。
「お嬢さん、このろくでなしにお情けをかけるのはよしてくだせぇ」
「……冗談言うにしても、きつくないですか?」
「アタシは結構本気で言ってやすぜ。無防備な相手の背中にばかでかい不意打ちをかますなんて、
おそらく、ボブ・フォードとチャーリー・フォードのことだろう。
要は、ケサダはマックスを「この卑怯者!」って罵っているわけだ。
もしこれが西部劇だったら、マックスの行いは極悪非道もいいところだ。けれど、西部開拓時代では不意打ちは正攻法である。あの時代、待ち伏せ、暗殺、闇討ち、その他勝つためならなんでもありだったっていうし。
でもだからって、それで勝って周囲から賞賛されるかどうかは分からない。どういう評価を受けるのかは、殺った側と殺られた側の人徳が基準になるっていうし。
「……だとしたら、パット・ギャレットなんてよっぽど慕われてなかったんですよ」
「なんですかい、そりゃあ」
「……誰って、ビリー・ザ・キッドの暗殺実行犯ですよ。……元
アトリは口を噤んだ。ケサダから変なものでも見るような目で見られていた。
前に、ブッチからビリー・ザ・キッドの話題を振られたことがあったからなんとなく言ってみたのだけど、どうやらケサダには通用しないものだったようだ。
「……どういうわけかわたしが知っている西部開拓時代の人たちの名前……って言っても
「スイマセン、アタシにゃなにがなんだか……」
困り果てるケサダの気持ちを代弁するかのよう、マックスは首を傾げていた。
閃光! そして、膨れ上がる煙。
ブッチが撃ったのは、煙幕だ。
「っ、の野郎っ!」
罵声が迸る。今度こそ、追い詰めることが出来た――かに思えた。
しかし、それは慢心でしかなかった。故に、してやられたのだ。
銃声! 銃声!
引き金を引くが、銃弾が相手を捉えることはない。
「奴の名を知っているか? スネークヘッドだ! 自分の股のムスコを笑っただけの娼婦の顔を切り刻みやがった、極悪人だ!」
シリンゴは、外に向けて声を張り上げた。
外では、既に騒ぎになっていた。当たり前だ、町中で、白昼堂々銃声が上がったのだから。
そうなれば、住人たちがとる行動は二つ。流れ弾を畏れてどこかに引っ込んでふるえるか、様子を窺うか。
「賞金首を追っている! 俺は賞金稼ぎのミッキー・バタースコッチだ! 手助けをしてくれるなら、賞金の山分けを約束する!」
でももし、この状況が場合によっては金になると理性が判断すれば?
手が届くところまで追い詰めたのだ。再び逃すのは論外だ。
間違ってもブッチに与えてはならないのは、落ち着く機会。得てしまえば、たとえ僅かであってもブッチは逃走へと繋げるだろう。
今のところ、動く気配は感じられない。こちらの行動を警戒しているのか、或いは、何か仕掛けてこようとしているのか。
しかし、次の瞬間、シリンゴは――
「……ァ!?」
らしくもなく、身を竦めて素っ頓狂な声を上げてしまわざるをえなかった。
そしてそれは、致命的なミスとなる。
地に伏す。背後から繰り出されたブッチの蹴りを、側頭部にまともにくらったからだ。
意識が闇に落ちる寸前、耳にしたのは、名状しがたき不快な異音。
「俺のやり口を忘れたとは言わせねぇぞ、敏腕探偵」
意識を失ったシリンゴを、ブッチは見下ろす。
そもそも、ブッチは
「つーかコレ、便利だわな。マジ冗談抜きに欲しいぜ」
少し離れた場所に、ブッチが言う「コレ」が置かれている。名状しがたき不快な異音――デジタル音を発しする黒く小さな薄い板こと【スマホ】、【異世界】における万能便利ツール。
音の正体は、【異世界】の言葉で【チャクシンオン】というのだそうだ。【スマホ】が備え持つ、ブッチには理解できないスペックの一つ。
持ち主のアトリによれば、本来【チャクシンオン】が鳴るのは、同じ【スマホ】から連絡がきているという合図なのだとか。
しかし、【アラーム】――こちらもブッチには理解できない【スマホ】のスペックなのだが、連動させることで、【チャクシンオン】だけ鳴らすことが出来るのだという。
それらを上手に悪用することが出来れば、立派な罠になってくれる。
【アラーム】を設定し、床に置く。
そこからある程度離れて気配を殺し、【アラーム】が鳴るまで待つ。
そして、相手が【アラーム】に驚いた瞬間の無防備なところを狙う。
流石のシリンゴも、【異世界】の手段を使用した罠を仕掛けられるとは思っていなかっただろう。反則にしたって、限度がある。
けれどもそんなこと、今はどうだっていい。
ブッチは【スマホ】を拾い上げ、鳴り続ける【チャクシンオン】を止めた。ちかちかとカラフルに光る表面を指の腹で軽く叩いてやると、【チャクシンオン】はぴたりと止まる。
「さて、と……」
煙幕が薄まりつつある中、倒れたシリンゴの手からS&Wモデル2・アーミーを、今まで数多くの
弾はまだ、残っていた。
これ以上いい復讐方法はないだろう。
引き金に、指をかける。
「…………」
だが、ブッチは引き金を引かなかった。あろうことか、シリンゴから照準を外す。
今なら確実に殺れる。それこそ、鶏を絞め殺すよりもずっと簡単に。
しかし、待ったがかかる。殺ったところで、一体なんになるのだ?
そのような躊躇が生じるのは、外ならぬ利潤だ。
そもそも、ブッチが真に望むのは――否、望むべきなのは、復讐ではない。
「俺には……アトリがいる」
きざはしそのもの、果ての見えぬ終わりなき悪夢の中における唯一の
「悪く思うんじゃねぇってばね」
発したそれは、果たして誰に向けられたものだろうか。
床に散乱した物らを拾い上げると、ブッチは一人、立ち去った。
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